第十二話 予調
Day − 5 / 14
朝十時。
上善とユキは、都心の繁華街にある喫茶店にいる。
店内は間接照明に照らされ、レトロな気品をそのまま封じ込めたような、静謐な空間が広がっている。
高い天井を見上げれば、豪奢なシャンデリアが温かみのある琥珀色の光を投げかけ、磨き抜かれた大理石の床に柔らかな影を落としていた。
各テーブルの間隔はゆったりと取られ、周囲を気にせず会話ができる。
上善とユキの席の両隣では、真剣な面持ちで商談を交わすビジネスマンたちや、深刻な表情をした訳ありげな男女が向かい合っている。
上善とユキは、上質で重厚な木製テーブルを挟み、向かい合って座っている。
ユキは大きな黒縁のサングラスをかけている。
長い黒髪に黒のTシャツ、黒のレザージャケット、黒のスキニージーンズ。
その黒が、色白で透き通るような肌をいっそう際立たせていた。
テーブルの上には、女の写真が印刷された一枚の紙が置かれている。
「これ、預かっていいか?」
「いいわよ。裏に名前と住所が書いてある」
上善は紙を手に取り、裏返す。
――森川綾乃
上善は黒いジャケットの内ポケットから封筒を取り出し、テーブルに置く。
紙を四つに折り、同じ内ポケットに収めた。
ユキは封筒を手に取り中身を確認すると、RとMが組み合わさったようなロゴの黒いショルダーバッグにしまう。
「で、どうすんの?ま、ここから先は私アタシには関係ないけどね」
上善は、高級そうな白磁のカップを無言で口元へ運ぶ。
「いつものダンマリってわけね」
ユキはオレンジジュースのグラスに顔を近づけ、ストローを咥えてズズッと啜った。
「お前…、珍しく興味ありげだな」
ユキは顔を上げ、舌で唇についたオレンジジュースを舐め取る。
「田邊隆二って、相当イヤなヤツみたいよ」
上善は無言で肩をすくめる。
「あんた、『女を孕ませた男を締める』って言ってたわよね」
「ああ」
「アタシね、森川綾乃と話したんだ」
上善の眼光が一瞬、鋭く光る。
「そんな怖い顔しないでよ。分かってるって。余計なことするな、って顔でしょ?」
上善は腕を組み、小さく溜息をついた。
「お前、森川綾乃に、西崎千尋と田邊隆二の関係を話したな?」
ユキは上目遣いに頷く。
上善は天井を仰ぎ、もう一度溜息をついた。
「悪かったよ。でもさ、あんただって同じことするつもりだったんでしょ?」
上善は何も言わず、視線を天井に向けたままだ。
「実はね、森川綾乃って会社の受付なの。レセプショニスト」
「アタシ、保険外交員ってことにしてさ、西崎千尋の個人年金のプラン持ってきたから会いたいって言ったの」
「そしたら退職したって言われて、ちょっと困ったふりしたらさ、アタシ、西崎と親しかったから預かるって言うのよ」
「でも、個人情報あるからダメって断った」
ユキはストローを指で持ち、口元に運ぶ。
「で、じゃあ家に行きたいけど住所分かんないって言ったの」
「普通さ、保険プランに住所書いてあるじゃない。でもまぁいいかって」
「そしたら規則でダメって」
「だからさ、退職の理由聞かせてほしいって言ったの。場合によっては契約止めるって」
上善は黙ったままだ。
「そしたらさ、キョロキョロしだして、小声で話し始めた」
「パワハラで辞めたって噂はあるけど、本当は分からないって」
一拍。
「でもね、すぐだった」
ユキは軽く笑う。
「その上司の話になったら、止まんなくなった」
ズズッと啜る。
「森川もセクハラ受けてたって」
「とにかく、その上司がさ、ほんと最悪で」
上善はジャケットの内ポケットから森川綾乃の写真を取り出す。
やや日本人離れした顔立ちの、美しい女だった。
「で、言ったの」
「その上司、田邊隆二でしょって」
「固まってたよ」
「で、すぐ分かったって顔してた」
「だからさ、正直に言った」
「アタシ、保険の人じゃないって」
「調査してるって」
「依頼主は言えないけどさ、西崎千尋と田邊が不倫してて、子供できて、堕ろさせたって」
「で、西崎が耐えられなくなって辞めたって」
「それで、その依頼主が田邊を許せないって」
「だから調べてるって」
上善は、写真の紙を軽く扇ぎながら舌打ちする。
「そしたらさ、森川、言ったよ」
一拍。
「絶対に許せないって」
ユキはストローを外し、グラスに直接口をつけて残りを飲み干す。
ふあぁ、と息を吐いた。
「ごめん。越権行為だよね。迷惑かけたかな」
「お金、返すよ」
ユキはショルダーバッグから封筒を取り出し、テーブルに置くと「じゃあ」と立ち上がる。
「その封筒をしまえ」
「だって……」
「いいからしまえ。やっちまったことは仕方ない」
「お前は森川綾乃を見つけた。それでいい。報酬は報酬だ」
ユキのサングラスが、笑うようにわずかに傾く。
「いいの?ありがとう」
ユキは封筒をバッグに戻し、「バイバ~イ」と言って店を出ていく。
上善は、冷めたコーヒーを飲み干す。
伝票を握り、立ち上がる。
レジへ向かう。
銀のトレイを抱えたウェイターが上善に気付き、小走りでレジに入る。
上善は伝票とともに千円札二枚を差し出す。
ウェイターは札を受け取りながら、上善を見上げた。
長身、長髪、口髭。黒いスーツに黒いシャツ、黄色いネクタイ。
その視線を引きつけたのは、上善の表情だった。
笑いを堪えているような、
怒りに耐えているような、
形容し難い、不気味な表情だ。




