第十ー話 新陽
Day − 4 / 14
朝。
上善の朝は早い。
まだ空は白みきらない。
山の稜線だけが、かすかに浮いている。
目が覚める。
音ではない。
時間でもない。
そういう型だ。
上善は布団の中で一度だけ呼吸を整え、ゆっくりと起き上がった。
無駄な動きはない。
畳のきしむ音も最小限だ。
障子の隙間から、薄い光が差し込んでいる。
冷えている。
夜の空気がまだ残っている。
上善は布団を畳む。
角を揃える。
押し入れに戻す。
位置も変えない。
土間へ降りる。
足の裏に、土の冷たさが伝わる。
石の流しの横に置かれた桶の水は、夜の間にさらに冷えている。
手を入れる。一瞬だけ、止まる。
顔を洗う。
水は硬い。頬に残る。布巾で拭く。
強くこすらない。
そのまま外へ出る。
戸を開けると、朝の空気が流れ込む。
湿っている。
だが、夜とは違う。
動きがある。
井戸は庭の端にある。
丸石で囲われ、木の蓋が乗っている。
蓋をずらす。
滑車が軋む。
縄を下ろす。
桶が水に触れる音が、遅れて返ってくる。
引き上げる。
一定の速度。
重さは変わらない。
水面は静かだ。
揺れない。
桶に移す。
こぼさない。
蓋を戻す。
上善は一度だけ空を見た。
色が変わりはじめている。
戻る。
土間に置かれた食器に目をやる。
昨夜のままだ。
順番がある。
水を張る。
茶碗を浸す。
油は浮く。
指でなぞる。
落とす。
音はほとんど立たない。
すすぐ。
伏せる。
並べる。
間隔も変えない。
終わる。
火を入れる。
薪は細いものから。
火はすぐにつく。
煙は少ない。
湯を沸かす。
米をよそう。
味噌を溶く。
朝食は簡素だ。
変えない。
食べる。
同じ速さ。同じ順番。
終える。
茶を飲む。
湯気が上がる。
一息置く。
その後、上善は部屋の奥から細長い木箱を取り出した。
蓋を開ける。
布を外す。
日本刀。
光は強くない。
刃は鈍らない。
上善は座る。
刀を膝に置く。
角度を決める。
油を少量、布に含ませる。
刃に沿わせる。
押さない。
なぞる。
同じ動きを繰り返す。
無駄がない。
指で触れない。
息もかけない。
終える。
布を戻す。
箱を閉じる。
位置も変えない。
上善は立ち上がる。
柱の脇に置かれた一冊の本を手に取る。
古びている。
角が丸くなっている。
開く。
――『五輪書』。
一節だけ読む。長くは読まない。
一度でいい。
閉じる。
戻す。
上善は何も考えない。
ただ、そこにある通りに動く。
外では、ようやく鳥の声が増えはじめていた。
上善は黒電話を取る。
番号を回す。
数コールで繋がる。
「上善だ」
「まだ八時よ」
「じゃないと売れっ子のお前は捕まらないだろう、ユキ」
「で?」
「既婚で、同じ会社の女を孕ませた男を締める。手を貸せ」
ユキは黙る。
「女の名前は西崎千尋。椿インターナショナル。もう辞めてる」
「大企業じゃない」
「西崎に一番近かった女、出せ」
一拍。
「シノギは?」
「二十五万」
「期限は?」
「いつまでに出来る」
「三日後。朝十時。いつもの喫茶店」
「分かった。金はその時だ」
「バイバ~イ」
電話が切れる。
上善は縁側に出る。
朝の木洩れ陽が上善の顔を照らす。
上善は木製の縁側に腰を下ろす。
坐骨を床に均等につけ、骨盤を立てる。
背骨が自然にまっすぐ立ち、頭のてっぺんが天井から吊られているイメージを持つ。
そして―
目を閉じた。




