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Article 9 永遠の愛 — それは福音なのか、呪文なのか PART Ⅱ  作者: あみれん


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10/13

第十話 火種

Day −3 / 14


土間では、薄い湯気が立っていた。

築百年の古民家の夜は早い。


土間と居間の境には、段差がある。

靴のまま入れる場所と、入れない場所がはっきり分かれている。

天井は高い。

見上げると、太い梁がそのまま走っている。

黒い。

煤だ。

長年の火が染み込んでいる。

土間の奥、かつては囲炉裏があった場所だ。

今は塞がれているが、匂いだけが残っている。

壁は土だ。

手を当てると、冷たい。

湿り気を含んでいる。

屋根は藁だ。

外からは見えないが、雨の音で分かる。

柔らかく、鈍い。

音を吸う。

足音が響かない。

外の音だけが入ってくる。

家の中にいるのか、外にいるのか、曖昧になる。


午後五時。

外はもう、山の闇に沈んでいる。

障子の向こうで、風が一度だけ木立を鳴らした。


上善は裸電球に照らされた土間の流しの前に立ち、鍋の蓋を少しだけずらした。

湯の匂いに、味噌と干し椎茸の匂いが混ざる。

火は弱い。

吹きこぼれない程度に保ち、煮え方だけを見ている。

包丁はもう使わない。

刻んだ長ねぎは小皿に分けてある。

焼き網の上では、油揚げの端が少しだけ焦げはじめていた。

その時、黒電話が鳴った。

上善は火加減を一段落とした。

布巾で手を拭き、受話器を取る。


「上善だ」


「あら、珍しく一回目のコールでつながったわね」


相手はリリーだった。


「で?」


「入ってないわ」


声に感情はない。

商売の報告だった。


「田邊隆二、まだ一円も動いてない」


上善は黙ったまま、土間のたたきに目を落とした。

煤けた土の色。

長年、同じ場所を同じ歩幅で人が通った跡が、わずかに残っている。


「……そうか」


鍋の湯が、小さく鳴った。


「どうする?」


「奴に言った事をやるだけだ」


「なるほどね。関係をバラすのね。じゃあ、二千万はナシね。あんたの報酬の半分もナシよ」


「当たり前だ」


「まあ、いいわ、あなたの好きにしてちょうだい。田邊って男、虫酸が走るわ」


リリーが、電話の向こうで笑った気配がした。

上善は無言だ。

受話器を持ったまま、流しの横に置かれた古い木箱へ目をやった。

木箱の上には、昼間駅前でもらった地元のフリーペーパーが無造作に置いてある。

その片隅に、千尋の勤務先の名前が小さく載っていた。


「火種を入れるだけだ」


短くそう言って、上善は電話を切った。

受話器を置く音は、ほとんどしなかった。


土間に戻る。

鍋の蓋を取る。

味噌を溶く。

箸で一度だけ底をさらい、火を止める。

長ねぎを散らす。

油揚げを網から下ろす。

皿に置く。

醤油を垂らす。

それらが夕食の全てだ。


土間に置かれた古い木製の食卓に皿を運ぶ。

十人分の広さはあろうかというその大きな食卓で、上善は一人で食べる。

汁をすすり、飯を口に運ぶ。

食べる速度は一定で、早くも遅くもない。

途中で茶を飲む。

箸を置く位置も変わらない。


食べ終えると、茶碗を石で出来た流しに置き、貯めてあった桶の水で軽くゆすいだ。

すぐには洗わない。

「型」がある。

洗うのは明日の朝だ。


手を拭く。

台所脇の柱に掛けてあった作務衣に着替える。

障子を開ける。

畳の間に夜気が入る。

湿っている。

山の匂いだ。


押し入れから布団を下ろして畳の上に敷く。

上善はゆっくりと布団に入る。

夜の音に集中する。


風が古民家の外壁を擦っていく音。

木の葉が揺れる音。

微かな虫の鳴き声。


上善の寝息の音が、夜の音に混じっていった。


全ては明日でいい―

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