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境界の森のレストラン  作者: 海和 喜助


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9/13

小屋の持ち主と、鍋の中の秋    


「村のサナ婆さまなら、何か知ってると思う」


 リゼは洗った器を伏せながら言った。


「昔、ここへ荷物を運んでいたんだって。明日、聞いてみる」


 ユータは礼を言い、戸口まで送った。


 外はもう薄暗い。沢沿いの道が黒い木々の間へ消えている。


「一人で大丈夫か?」


「いつもの道だから」


 それでも彼女は腰の短剣を確かめた。


 りんが鼻先でユータの手を押す。


『むらまで、いっしょにいく?』


 迷った末、ユータはうなずいた。帰り道が心配なのは、自分も同じだった。


     *


 翌朝、リゼは小柄な老女を伴ってやって来た。


 藍染めの厚い上着に、革の膝当て。白髪の間から生えた二本の角は、片方だけ先が欠けていた。曲がった指で杖を握っていたが、歩みに迷いはない。


「勝手に屋根を借りたのは、あんたか」


 ユータは思わず背筋を伸ばした。


「はい。すみません。行く場所がなくて」


 老女は返事をせず、扉の蝶番を押した。次に壁へ手を当て、かまどの煙道をのぞく。


 ユータには、その沈黙が長かった。


 追い出されたら、どうしよう。


 寝床も食料も不十分なのに、もうここを失いたくなくなっていた。


「煙は、ちゃんと抜けてるね」


 サナはようやく振り返った。


「凍えそうな者が雨をしのぐくらいで、文句は言わんよ。ただし、店にするなら話が別だ」


 胸が少し緩み、すぐにまた縮んだ。


「誰の小屋なんですか」


「昔は、川向こうの商人と、うちの村とで直して使っていた。今の境界が決まってから、互いに手を出さなくなった」


 老女は敷居の傷を杖で示した。薄く、二つの印が並んでいる。


「村の古い記録を探す。人族の側にも、覚えてる者がいるはずだよ」


「両方に、聞かないといけないんですね」


「片方の許しだけで始めたら、もう片方が何を思う?」


 ユータは答えられなかった。


 サナは扉から手を離した。掌に苔の粉がついていた。


     *


 話の途中、りんが老女の腰袋を嗅いだ。


「おや。これは食べられないよ、まだね」


 袋から出てきたのは、艶のある茶色の実だった。尖った先と、ざらついた底。見覚えのある形に、ユータは身を乗り出した。


「栗……ですか?」


「山栗。道の上に落ちていた。茹でようと思ってね」


 リゼが両手で受け取る。


「婆さま、これ、皮をむくの大変だよ」


「大変だからと放っておけば、虫が食う」


 ユータは一粒をつまんだ。掌に載ると、急に元の世界の秋を思い出した。


 大量の栗を前に、菓子場の仲間と黙々と皮をむいた午後。蒸気の熱さ。指に残る渋皮の色。


「少し、焼いてみませんか」


 サナはユータの顔を見た。


「殻ごとかい?」


「切れ目を入れて、蒸してから。ここの栗も同じようにできるか、まず少しだけ」


 棚の小刀を手に取る。刃は欠け、柄も緩んでいた。滑らせないよう布を敷き、慎重に殻へ傷をつける。


 水を張った鍋で火を通し、一粒を割って確かめた。


 中は淡い黄色だった。


 湯を捨て、弱い火で鍋を揺する。殻の水分が飛ぶにつれ、甘く香ばしい匂いが小屋を満たした。


 ぱち、と小さな音。


 りんが一歩下がった。


『おこってる?』


「いや。おいしくなってる音」


 熱い殻を布で押さえ、割れ目を広げる。渋皮がまだ少し残ったが、中からほろりと実がこぼれた。


 ユータは味を確かめ、サナへ渡した。


 老女は前歯で端を噛み、ゆっくり口を閉じた。


 外側はほくっと乾き、中はしっとりしている。噛むたびに細かな粒がほどけ、温かい甘みが舌の上へ広がった。


「……茹でたのより、匂いが濃いね」


 サナは残りを口へ入れ、殻の内側に残った実を爪で丁寧に拾った。


 リゼも頬張る。熱かったらしく、目を丸くして息を吐いた。


「甘い。何も入れてないのに」


「水っぽさが減ったんだと思う。これなら、料理にも使えそうだ」


 栗の入った炊き込みご飯。濃いスープ。裏ごして作る菓子。


 思いつく名前は次々に浮かんだが、米も乳も砂糖も、今は手元にない。


 それでも、ユータは久しぶりに、作りたいものを考えていた。


 りんには小さく崩して冷ました実を渡した。


 慎重に舐め、噛み、それから空の手をもう一度舐める。


『なくなるの、はやい』


「ひと口を小さくしたからな」


 サナが喉の奥で笑った。


 けれど、食べ終えると、老女は静かに腰を上げた。


「栗はうまかった。小屋の話は、調べてからだよ」


「はい」


 その言葉は厳しかったが、ユータには少しありがたかった。


 次に何をすればいいのか、見えていた。


「人族の国境隊に、ガレスという人がいます。話を聞いてみます」


 サナは敷居の二つの印を見下ろした。


「なら、私も同席しよう」


 ユータは鍋を置いた。


 同じ卓に椅子を二つ並べるには、まず、ぐらついた脚を直さなければならなかった。

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