小屋の持ち主と、鍋の中の秋
「村のサナ婆さまなら、何か知ってると思う」
リゼは洗った器を伏せながら言った。
「昔、ここへ荷物を運んでいたんだって。明日、聞いてみる」
ユータは礼を言い、戸口まで送った。
外はもう薄暗い。沢沿いの道が黒い木々の間へ消えている。
「一人で大丈夫か?」
「いつもの道だから」
それでも彼女は腰の短剣を確かめた。
りんが鼻先でユータの手を押す。
『むらまで、いっしょにいく?』
迷った末、ユータはうなずいた。帰り道が心配なのは、自分も同じだった。
*
翌朝、リゼは小柄な老女を伴ってやって来た。
藍染めの厚い上着に、革の膝当て。白髪の間から生えた二本の角は、片方だけ先が欠けていた。曲がった指で杖を握っていたが、歩みに迷いはない。
「勝手に屋根を借りたのは、あんたか」
ユータは思わず背筋を伸ばした。
「はい。すみません。行く場所がなくて」
老女は返事をせず、扉の蝶番を押した。次に壁へ手を当て、かまどの煙道をのぞく。
ユータには、その沈黙が長かった。
追い出されたら、どうしよう。
寝床も食料も不十分なのに、もうここを失いたくなくなっていた。
「煙は、ちゃんと抜けてるね」
サナはようやく振り返った。
「凍えそうな者が雨をしのぐくらいで、文句は言わんよ。ただし、店にするなら話が別だ」
胸が少し緩み、すぐにまた縮んだ。
「誰の小屋なんですか」
「昔は、川向こうの商人と、うちの村とで直して使っていた。今の境界が決まってから、互いに手を出さなくなった」
老女は敷居の傷を杖で示した。薄く、二つの印が並んでいる。
「村の古い記録を探す。人族の側にも、覚えてる者がいるはずだよ」
「両方に、聞かないといけないんですね」
「片方の許しだけで始めたら、もう片方が何を思う?」
ユータは答えられなかった。
サナは扉から手を離した。掌に苔の粉がついていた。
*
話の途中、りんが老女の腰袋を嗅いだ。
「おや。これは食べられないよ、まだね」
袋から出てきたのは、艶のある茶色の実だった。尖った先と、ざらついた底。見覚えのある形に、ユータは身を乗り出した。
「栗……ですか?」
「山栗。道の上に落ちていた。茹でようと思ってね」
リゼが両手で受け取る。
「婆さま、これ、皮をむくの大変だよ」
「大変だからと放っておけば、虫が食う」
ユータは一粒をつまんだ。掌に載ると、急に元の世界の秋を思い出した。
大量の栗を前に、菓子場の仲間と黙々と皮をむいた午後。蒸気の熱さ。指に残る渋皮の色。
「少し、焼いてみませんか」
サナはユータの顔を見た。
「殻ごとかい?」
「切れ目を入れて、蒸してから。ここの栗も同じようにできるか、まず少しだけ」
棚の小刀を手に取る。刃は欠け、柄も緩んでいた。滑らせないよう布を敷き、慎重に殻へ傷をつける。
水を張った鍋で火を通し、一粒を割って確かめた。
中は淡い黄色だった。
湯を捨て、弱い火で鍋を揺する。殻の水分が飛ぶにつれ、甘く香ばしい匂いが小屋を満たした。
ぱち、と小さな音。
りんが一歩下がった。
『おこってる?』
「いや。おいしくなってる音」
熱い殻を布で押さえ、割れ目を広げる。渋皮がまだ少し残ったが、中からほろりと実がこぼれた。
ユータは味を確かめ、サナへ渡した。
老女は前歯で端を噛み、ゆっくり口を閉じた。
外側はほくっと乾き、中はしっとりしている。噛むたびに細かな粒がほどけ、温かい甘みが舌の上へ広がった。
「……茹でたのより、匂いが濃いね」
サナは残りを口へ入れ、殻の内側に残った実を爪で丁寧に拾った。
リゼも頬張る。熱かったらしく、目を丸くして息を吐いた。
「甘い。何も入れてないのに」
「水っぽさが減ったんだと思う。これなら、料理にも使えそうだ」
栗の入った炊き込みご飯。濃いスープ。裏ごして作る菓子。
思いつく名前は次々に浮かんだが、米も乳も砂糖も、今は手元にない。
それでも、ユータは久しぶりに、作りたいものを考えていた。
りんには小さく崩して冷ました実を渡した。
慎重に舐め、噛み、それから空の手をもう一度舐める。
『なくなるの、はやい』
「ひと口を小さくしたからな」
サナが喉の奥で笑った。
けれど、食べ終えると、老女は静かに腰を上げた。
「栗はうまかった。小屋の話は、調べてからだよ」
「はい」
その言葉は厳しかったが、ユータには少しありがたかった。
次に何をすればいいのか、見えていた。
「人族の国境隊に、ガレスという人がいます。話を聞いてみます」
サナは敷居の二つの印を見下ろした。
「なら、私も同席しよう」
ユータは鍋を置いた。
同じ卓に椅子を二つ並べるには、まず、ぐらついた脚を直さなければならなかった。




