同じ鍋、違う約束
椅子の脚へ木片を差し込み、ユータはもう一度、座面を押した。
ぐらつかない。
『りんも、すわる?』
「今日は下で頼む」
りんは椅子を嗅ぎ、いかにも残念そうに床へ伏せた。
戸口の向こうで、鎧が鳴った。
ガレスは扉の前で外套の露を払い、室内のサナを見ると足を止めた。サナも立ち上がらなかった。卓へ置いた両手の間に、黄ばんだ帳面がある。
昨日、ユータは巡回路でガレスを待ち、小屋のことを相談した。来てもらえた安堵より、二人の間に立つ心細さが勝っていた。
「国境隊のガレスだ」
「サナ。昔、この小屋で荷の数をつけていた」
挨拶はそれだけだった。
ガレスが剣帯を外しかける。サナの目がそこへ動いた。
男は迷い、剣を腰に残したまま椅子へ座った。
ユータはそれを見て、料理だけでは埋められないものが、確かにあるのだと思った。
*
帳面には、麦袋や板材の数が並んでいた。
人族の商人と魔族の村が、それぞれ何を持ち寄ったか。屋根を直した年の記録には、同じ頁に二つの印がある。
「渡し場の組合にも、同じ控えがあるかもしれん」
ガレスが言った。
「だが俺には、ここを誰かへ貸す権限はない」
わかっていたはずなのに、ユータは膝の上で指を握った。
「じゃあ、今すぐ出たほうが――」
「そうは言っていない。勝手に譲れんという話だ」
サナが帳面を閉じた。
「村にも話を通す。返事が来るまでは、屋根と壁を壊すな。木も勝手に伐るんじゃないよ」
「はい」
店の許しは、まだ出なかった。
それでも、今夜寝る場所を奪われたわけではなかった。ユータはゆっくり息を吐いた。
ガレスは腰袋から布包みを取り出した。
「話が長くなると思ってな。昼の分だ」
硬い干し肉と、薄い平焼きパン。
サナも籠から丸い葉野菜を出した。
「私はこれを持ってきた。村では巻き菜と呼ぶ」
リゼが受け取り、ユータへ差し出す。重なった濃緑の葉は、冬キャベツによく似ていた。
「一緒に使ってもいいですか」
ユータが尋ねると、二人は互いを一度見て、それぞれうなずいた。
*
干し肉の端を薄く削り、味を確かめる。
強い塩気のあとに、煙の香りが残った。
小さく刻んで湯へ浸し、少し待つ。戻した肉を水気ごと鍋へ入れ、弱火に掛けた。
やがて脂が溶け、細かな泡が肉の縁に並ぶ。
ちり、ちり。
そこへ巻き菜の太い葉脈を先に加えた。葉は大きくちぎり、上へ重ねる。少量の水を注ぎ、蓋代わりの皿をかぶせた。
「水が少なくないか」
ガレスが鍋をのぞこうとして、手を止める。
「野菜からも出ます。焦がさないように見てますから」
その言葉を口にすると、ユータ自身も少し落ち着いた。
かまどの前なら、自分にわかることがある。
蓋を取ると、ふわっと甘い湯気が上がった。かさの減った葉は艶を帯び、底には淡い金色の煮汁がたまっている。
味をみて、塩は足さなかった。
パンをかまどの脇で温め、四人へ分ける。
「干し肉と巻き菜の蒸し煮です。汁も、パンにつけて」
サナが木匙で葉を折り畳み、口へ運んだ。
くったりした葉は噛むと柔らかく裂け、甘い汁があふれる。葉脈にはかすかな歯応え。干し肉の塩と脂が染み、飲み込んだあとに煙の香りが戻ってきた。
「……この菜が、こんなに甘くなるかね」
ガレスは肉を噛んだ。
いつもなら何度も噛み続ける支給品が、今日は歯の間でほぐれる。男はパンで皿の底を拭い、煮汁を残さず口へ入れた。
「同じ肉を毎日食っていたのに、知らんかったな」
リゼは葉の下から肉を探し当て、少しうれしそうに匙へ載せた。
ユータはその顔を見てから、自分の分を食べた。
向かい合う二人の姿勢は、まだ硬い。けれど、鍋を回すときには互いの手が空くのを待っていた。
りんには別に茹でた巻き菜の芯を少し冷まして渡した。
『みんなの、においがするほうは?』
「そっちは塩が強い」
りんは鼻を鳴らしたが、芯は残さなかった。
*
食後、ガレスは帳面の印を手持ちの紙へ写した。
「明日、渡し場で尋ねる」
「私は村の寄り合いへ持っていく」
二人の返事を聞き、ユータは頭を下げた。
ガレスが戸口へ向かったとき、りんが急に立ち上がった。
窓の隙間へ鼻を向け、耳を尖らせる。
『おなじにおい。つめの、おさる』
ユータの背が冷えた。
あの四本腕の影が、頭の中によみがえる。
「ガレスさん。森裂きって、この辺によく出るんですか」
剣帯を締めていた手が止まった。
「……なぜ聞く」
りんはもう、窓から目を離さなかった。




