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境界の森のレストラン  作者: 海和 喜助


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はじめて買った塩

第8話 はじめて買った塩


「小袋で、銅貨三枚だ」


 商人は秤の皿へ白い塩を落とした。


 ユータは、掌の銅貨を一枚ずつ卓へ置いた。魚を焼いていたときより、指先がぎこちなかった。


 商人の右手には二本、指がなかった。残った指で器用に分銅を動かし、釣り合ったところで塩を紙へ移す。


「湿気を吸わせるなよ」


「ありがとうございます」


 受け取った包みは、驚くほど軽かった。


 半日働いて、これだけ。


 けれど、胸の奥には落胆と違うものが残った。誰かにもらった食料とは、少し違う重さがある。


『たべもの?』


「そのまま食べるものじゃないよ」


 りんは包みを嗅ぎ、すぐ川のほうへ顔を向けた。魚の匂いのほうが魅力的らしい。


 帰り支度をしていると、マルタに呼び止められた。


「骨と頭、要るかい。あんた、ずいぶん綺麗に分けてたから」


 桶には、仕事中にユータが取り分けた銀瀬のあらが入っていた。


「もらえるんですか」


「今日中に使いな。傷んだものまで食べるんじゃないよ」


 布へ包んでもらい、借りた小刀を返す。


 その柄から手を離すのが、少し惜しかった。


     *


 帰り道は、来るときより長く感じた。


 肩の荷が食い込み、泉の水を入れた瓶も残り少ない。木漏れ日は傾き始め、覚えておいた石柱を見つけたとき、ユータは思わず息を吐いた。


 りんが先へ走りかけ、立ち止まった。


『いっしょ?』


「ああ。一緒に帰ろう」


 待っていた尻尾が揺れる。


 小屋が見えたとき、ユータは初めて、ここへ「帰ってきた」と思った。


 戸口にはリゼが座っていた。


 色の褪せた灰色の外套を膝に掛け、革紐で束ねた銀髪を肩へ流している。昨日は気づかなかったが、左の靴は違う色の糸で繕われていた。


「いなかったから……もう、どこかへ行ったのかと」


 彼女は立ち上がった。視線がユータの荷へ落ち、ようやく肩が下がる。


「買い物。遅くなった」


 誰かが待っているとは思わなかった。


 うれしさのあとに、黙って出かけたことへの小さな後ろめたさが来た。


「ノアは?」


「眠ってる。熱も少し下がった」


 リゼはそう言い、戸口の脇の籠を指した。


「母さんから、鍋のお礼。畑の葉大根。葉っぱも食べられるよ」


     *


 ユータは魚のえらと、骨に残った血を丁寧に除いた。


 湯へ短くくぐらせ、白く浮いた汚れを洗い落とす。


「そこまで洗ったら、味もなくならない?」


 水桶を押さえるリゼが、不思議そうに尋ねた。


「欲しい味は、まだ中にある」


 新しい水にあらを沈め、火へ掛ける。煮立つ前から小さな泡が集まり、魚の香りが静かに立ち上がった。


 浮いた灰色の泡をすくい、火を弱める。


 その間に葉大根を切った。根は白く、皮のすぐ下に薄紫の輪がある。葉の茎を折ると、青い匂いが指に移った。


 だしを布で濾し、根を入れる。


 待つ間、残った灰麦粉へ水を加え、匙で落とせる固さに練った。


「今日は、銀瀬だしのすいとん」


「すいとん?」


「小さな団子を入れた汁物」


 鍋の縁から生地を落とすと、丸くもない団子が沈んだ。やがてふわりと浮かび、表面に艶が出る。


 りんの分を別の器へ取り分けてから、ユータは買ったばかりの包みを開いた。


 指先で塩をつまむ。


 少し入れて、味をみる。


 もう少し。


 ぼんやりしていた汁の輪郭が定まり、魚の甘みと葉大根のほろ苦さが、はっきり舌に残った。


「……よし」


 リゼは器へ顔を近づけ、ひと匙すすった。


 赤い瞳が、ゆっくり細くなる。


「魚なのに、口の中がすっとする」


 続いて団子を噛む。外側はなめらかで、中にはむちっとした歯応えがあった。噛むほど灰麦の香りが広がり、飲み込む前に、もう一度汁を含みたくなる。


「これ、ずっと噛んでいたい」


「それだと次が食べられないぞ」


 リゼは困ったように笑い、二個目を匙へ載せた。


 りんは柔らかく煮えた大根を舐め、団子を慎重に噛んでいた。


『おさかな、かくれてる』


「骨は取ってある。味だけな」


 ユータも汁を口へ運んだ。


 塩が効いている。自分で働き、買ってきた塩だった。


 掌に残っていた銅貨の感触を思い出し、少しだけ背筋が伸びた。


 食べ終えると、リゼが洗い物を引き受けた。


 ユータは木の切れ端へ炭で書く。


 ――塩、三枚。銀瀬のあら、マルタさん。葉大根、リゼの家。


 書き終えたところで、戸口の二人を見た。


「なあ。この小屋、誰に頼めば使っていいって言ってもらえるんだろう」


 リゼの手が止まった。


「……それ、まだ聞いてなかったの?」


 りんまで、揃って首をかしげた。

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