銅貨三枚ぶんの仕事
第7話 銅貨三枚ぶんの仕事
「塩は、小袋で銅貨三枚ほどだ」
ガレスが卓へ並べた銅貨は、どれも形が少しずつ違っていた。縁が欠けたものもある。ユータは一枚を借り、指で裏返した。
麦の穂と、横顔の王冠。
見知らぬ国のお金だった。
「……俺、一枚も持ってないんです」
「物と交換する商人もいる。だが、相手が欲しがらなければ話にならん」
ユータは残りの灰麦粉を見た。これを手放せば、今日の夕食が減る。
ガレスは急かさず、銅貨を財布へ戻した。
*
出発したのは、日が木々の上まで昇ってからだった。
巡回へ戻るガレスと分かれ、教わった東の道を進む。目印は二股の巨木と、崩れた石柱。ユータは曲がるたびに振り返り、帰りに見える景色を覚えた。
りんは落ち葉へ鼻を埋め、突然、横へ跳んだ。
青い背中の蛙が、草むらへ消える。
『はっぱが、うごいた』
「俺もびっくりした」
笑ったあと、二人とも少し足を速めた。
一時間ほどで水音が太くなり、木々の向こうに川が開けた。対岸へ張られた綱に、平たい渡し舟がつながれている。岸辺には天幕が七つ。魚と獣脂、濡れた縄の匂いが混ざり、荷車の軋む音が絶えなかった。
人のいる場所だ。
ほっとしたのも束の間、腰に剣を下げた男と目が合い、ユータは視線を落とした。
りんの背へ指を触れさせてから、塩を積んだ露店に近づく。
「何か、仕事と交換してもらえませんか」
商人はユータの細い腕を見た。
「荷運びなら足りてる。買わないなら、そこを空けてくれ」
悪意のない声が、かえってこたえた。
元の世界なら、財布を出すだけだった。ここでは料理人だったという言葉さえ、信用の足しにならない。
引き返しかけたとき、焦げた魚の匂いがした。
隣の天幕で、太い腕の女性が焼き網を持ち上げている。革の前掛けには鱗が貼りつき、赤い髪を包んだ布が汗で濡れていた。
「また黒焦げだ。薪が悪いのかね」
網の下では炎が魚を舐めていた。
ユータは足を止めた。
「あの。火を少し落としたら、どうでしょう」
女性の眉が上がる。
「腹の中がまだ生なんだよ。落としたら余計に焼けないだろ」
「身を開いて、厚さをそろえれば。一本だけ、試させてもらえませんか」
言ってから、喉が乾いた。
断られたら、今度こそ帰ろう。
女性は少し考え、桶から銀色の魚を取り出した。
「失敗したら、皿洗いで払ってもらうよ」
*
魚は『銀瀬』という川魚だった。
貸してもらった小刀で腹を開く。内臓を傷つけないよう取り、血の残った背骨の際を丁寧に洗った。布で水気を拭い、厚い背の身へ浅く刃を入れる。
女性がその手元をのぞき込んだ。
「ずいぶん、慣れてるね」
「……これは、やってきたので」
薪を端へ寄せ、炎の下にあった赤い熾火を均す。
塩を振った魚を網へ置くと、しばらくして、ちりちりと皮が鳴り始めた。
ユータは待った。
焦って返すと、皮が網へ残る。縁が白くなり、身が自然に離れるところを見て裏返した。
落ちた脂が炭に触れ、香ばしい煙が細く上がる。
『いいにおい』
足元でりんが鼻を上げた。
「今、すごく大事なところだから」
「誰に言ってるんだい?」
「……自分にも」
女性が初めて笑った。
焼けた魚を木皿へ移す。皮は薄い飴色、切り目からは透明な汁がにじんでいた。
女性は端を割り、白い身を指でつまんだ。
皮が、ぱり、と小さく砕ける。
続いて、ふっくらした身が歯の間でほどけた。
「……甘いね」
もうひと口。今度は皮と身を一緒に取る。
「いつもの魚なのに。塩も同じなのに」
「焦げる前に、中まで火を通せたからだと思います」
女性は骨の間の身まで拾い、空になった皿を見つめた。
「マルタだ。昼の舟が着くまで、手を貸せるかい」
ユータは思わず顔を上げた。
「はい」
「賃金は銅貨三枚。食事つき。小刀は返すこと」
胸の奥が熱くなった。
何か答えようとして、声が詰まる。代わりに深くうなずくと、マルタは次の魚を差し出した。
仕事が終わるころ、りんは骨を除いて冷ました魚を食べ、満足そうに口の周りを舐めていた。
『ユータ。おしごと、できたね』
「……うん」
掌の銅貨三枚は、魚の脂で少し滑った。
ユータはそれを握り直し、隣の塩の露店へ向かった。今度は、値段を聞くために。




