朝の戸口と、灰麦の焼き餅
台風が31号までできたんですって
扉を叩く音で、ユータは目を覚ました。
体を起こすと、背中が痛んだ。かまどの火は灰に埋もれ、窓の隙間から白い光が差している。
朝になった。
それだけのことが、胸にしみた。
りんはすでに扉の前にいた。閉じた戸の下を嗅ぎ、ユータを振り返る。
『きのうの、かたいひと』
「……鎧の人か」
椅子をどかし、扉を細く開けた。
ガレスが立っていた。朝露を吸った濃緑の外套。その下には、鉄の小板を革紐で綴った胴鎧が見える。肩の縁は擦れて白く、頬には剃り残した髭があった。
昨日の切っ先を思い出し、ユータの指が戸板を強くつかむ。
ガレスはその手を見た。何か言いかけて口を閉じ、腰の剣から手を離した。
「昨日の食事代だ」
差し出された布袋には、茶色がかった粉が入っていた。
「灰麦粉。詰所の支給品だ。俺たち三人の取り分から持ってきた」
「……もらっていいんですか」
「借りたままは落ち着かん」
ぶっきらぼうな口調だった。ユータは袋を受け取り、ようやく扉を広く開けた。
*
泉へ水を汲みに出ると、小屋の周囲が昨日よりよく見えた。
屋根を覆う黒い苔。足元に半ば埋もれた敷石。その先には、森へ続く道らしい窪みがある。道の両脇を若木が塞ぎ、昔の幅をかろうじて残していた。
「ここ、前は何だったんですか」
「荷継ぎ小屋だ。国境が今の位置になる前は、商人が通った」
ガレスは窪みの先を見た。
「今は道を使う者も少ない」
ユータは水桶を持ち直した。誰も来ない店の戸口に、看板だけ立てようとしていたのかもしれない。
「それでも、来てくれた人はいたわけだ」
「見回りのついでだ」
答えが早かったので、ユータは少し笑った。
小屋へ戻り、粉を指で擦ってみる。粒は粗く、殻も混じっている。パンにするには性質を確かめたい。
まず少量に水を加え、練った。
まとまりはするが、伸ばすと端が裂ける。
「なるほど。今日は薄くしすぎないほうがいいな」
『きょうは、なに?』
「焼き餅。うまくできたら」
昨日の赤根を煮て潰し、ひとつまみの塩を混ぜる。生地で包み、掌で平たく整えた。
かまどには細い薪から火を育てる。鉄鍋を温め、最初は小さな生地の切れ端を置いた。
焦げるのが早い。
薪を一本引き、鍋の位置をずらす。
見慣れないかまどでも、熱の強さは生地が教えてくれた。
焼き餅を並べると、しばらくして麦の香りが立った。裏返した面には、細かな茶色の斑点がついている。
仕上げに少量の湯を注ぎ、皿を伏せて蒸し焼きにした。
じゅう、と鳴る鍋を、三人で見つめた。
「……それだけ待つのか」
「中まで火を通したいので」
「待てないとは言っていない」
ガレスの横で、りんが律儀におすわりをしていた。
蓋代わりの皿を外す。
膨らんだ焼き餅を割ると、薄い湯気の奥に橙色がのぞいた。表は香ばしく、中はしっとりとしている。
ガレスは大きな手で受け取り、端を噛んだ。
かり、と焼けた皮が割れる。その下の生地はむちりと歯を受け止め、赤根のねっとりした甘さが広がった。
男は口を閉じたまま、しばらく動かなかった。
「……砂糖を入れたか?」
「赤根だけです」
もう一口。今度は中身を逃さないよう、反対の手を添えた。
「支給の粥と、同じ粉とは思えん」
ユータも食べてみる。殻のざらつきは残っていた。けれど、その素朴な麦の匂いが、甘い赤根によく合った。
「次は粉を少しふるってみたいな」
『つぎも、これ?』
「気に入った?」
りんは冷ました小さな一切れを食べ終え、皿を見てからユータを見た。
わかりやすい返事に、頬が緩んだ。
ガレスは最後の欠片を口へ入れると、外套の内側から小包を取り出した。
「これも、三人分の礼だ」
中には白い塩の塊があった。
ユータは思わず棚の壺を見る。底に残った塩は、あとわずかだった。
「これ、どこで買えますか」
「東の渡し場だ。ただし、魔族の村へ食料を渡したと知られれば、売り渋る商人もいる」
温まっていた胸に、冷たいものが触れた。
ガレスは返事を待たず、炭を拾った。卓の端に板を置き、泉と沢、それから東へ延びる道を描く。
「道は教える。買い物は、お前が決めろ」
ユータはまだ白い塩を掌に乗せていた。
たったひとつまみで味が変わる。それを手に入れるまでに、人の顔色を読む必要がある。
「……まず、値段から教えてもらえますか」
ガレスは初めて、少しだけ口元を緩めた。
うちの柴犬がかわいすぎ。
すいません。
いつもありがとうございます




