『宮女朱華(しゅか)』出会いと夢路
中国歴史ドラマが大好きな高校生の高橋ひなは、夜な夜な最新型VRヘッドギアを装着し、完璧な仮想現実を提供するゲーム『ヴァーチャル・ダイブ』の世界へと没入していた。ゲーム内での彼女は、大華帝国の宮女「朱華」。そこで出会ったのは、皇太子・李蓮だった。
「お母さん。おやすみなさい!」
「ひな、もう寝るの?! まだ夜の十時よ!」
階下からの母の声を背に、高橋ひなは自分の部屋のベッドへと滑り込んだ。
机の上に置かれた『フルダイブ・バルブ』
——最新型のVRヘッドギアを取り上げ、静かに頭へと装着する。
ひなは大の中国歴史ドラマ好きだった。
煌びやかな宮廷、交錯する陰謀、そして何より、
孤独な皇太子との運命的な恋。
そんな夢のような世界を五感のすべてで体験できるのが、
今話題のフル体験型VRゲーム『ヴァーチャル・ダイブ』だ。
(今夜こそ、あの方に……)
横になり、ゆっくりと瞼を閉じる。
頭部を包むバルブが微かな振動とともに脳波を感知し、
ひなの意識を深い睡眠へと誘っていく。
スーパーコンピュータ『樹林』が弾き出す膨大なデータが、
彼女の脳内で完璧な仮想現実へと再構築されていった。
◆
「おい、起きぬか! 息災殿の身の回りのお世話をする刻限だぞ!」
耳元で響く厳しい声に目を覚ますと、
ひなは自分が匂い立つような、
白檀の香りに包まれていることに気づいた。
手元を見れば、肌触りの良い桃色の絹の衣装。
鏡に映る自分は、憧れ続けた大華帝国の宮女そのものだった。
視覚、聴覚、さらには質感や匂いまで、現実と何の遜色もない。
「はい、ただいま!」
ひな——この世界での名は「朱華」——は、
慌てて盆に載せたお茶を抱え、皇太子の居所である『東宮』へと向かった。
朱色の柱が立ち並ぶ絢爛豪華な回廊を抜ける。
庭園には牡丹の花が咲き誇り、池には錦鯉が跳ねていた。
あまりの再現度に息を呑みながら扉を開けると、そこには一人の青年が佇んでいた。
皇太子、李蓮。
漆黒の髪を金の冠で結い上げ、
深い蒼の龍袍を纏ったその姿は、
息を呑むほど美しかった。
しかし、その瞳にはどこか深い孤独と冷ややかな影が差している。
「……誰だ。下がれと言ったはずだが」
低く静かな声が響く。ひなは息を犯しながらも、
教えられた通りの宮廷の礼をとった。
「失礼いたします、殿下。お茶をお持ちいたしました」
膝をつき、丁寧に茶器を差し出す。
李蓮は鬱陶しそうにひなを見下ろしたが、
ふと茶香に鼻をくすぐられると、わずかに眉を寄せた。
「これは……『銀針』か。我が母が好んだ茶だな。お前、なぜこの淹れ方を知っている?」
「殿下が、お心を休められるよう……心を込めました」
ひなはまっすぐに李蓮の目を見つめた。
ドラマの知識と、このゲームの世界観に入り込んだ「朱華」としての情熱が、
自然と彼女にその言葉を言わせたのだ。
李蓮は一瞬目を見張り、やがてフッと口元に小さな笑みを浮かべた。
その氷が溶けるような微笑みに、ひなの胸は激しく高鳴った。
「朱華……と言ったか。面白い宮女だ。これからはお前が私の茶を淹れよ」
◆
それからの「日常」は、ひなにとって夢のような時間だった。
昼間は現実に学校へ通い、夜になると『ヴァーチャル・ダイブ』へ潜る。
寝ている間に行われるこの体験は、脳内で何倍もの時間として体感された。
朱華として過ごす中で、ひなは李蓮の様々な素顔を知っていった。
宮廷の権力闘争に疲れ切っていること。
誰も信じられない孤独の中で生きていること。
そして、自分の淹れる茶を飲む時だけは、無防備な少年の顔を見せること。
「朱華、お前だけだ。この籠の鳥のような私に、真の温もりをくれるのは」
ある満月の夜、後宮の庭園で李蓮はそっと朱華の手を握りしめた。
その手の温もりが、熱が、あまりにもリアルで、
ひなの心は完全に彼に奪われていた。
「殿下……私はずっと、あなたのお傍におります」
「約束だ。私は近いうちに、お前を側室として迎え入れる。誰になんと言われようとな」
李蓮の強い眼差しと、自分を抱きしめる腕の力強さに、
ひなは天にも昇る気持ちだった。
これはゲームだ。
けれど、この胸のときめきは間違いなく本物だった。
◆
しかし、宮廷は甘い場所ではなかった。
平民出身の宮女が皇太子の寵愛を一身に集めているという噂は、
すぐに貴族出身の側室たちの知るところとなり、
ひなへの嫉妬と陰謀が渦巻き始めた。
ある日、ひなは身に覚えのない「皇太子暗殺未遂」の嫌疑をかけられ、
冷たい牢獄へと繋がれてしまう。
「白状せよ! 誰に頼まれて毒を盛った!」
取り調べの役人に突き飛ばされ、畳の上に倒れ込む。
冷たい床の感触と、理不尽な恐怖。恐怖で体が震えた。
(だめ……こんなところで終われない……!)
その時、牢の重い扉が勢いよく開け放たれた。
「そこまでだ!」
現れたのは、剣を握りしめた李蓮だった。
彼は怒りを露わにしながら役人たちを退け、倒れていたひなを抱き起こした。
「朱華! 無事か!?」
「殿下……私、私……何も……」
「わかっている。お前が私を害するはずがないことなど、私が一番よく知っている!」
李蓮は力強くひなを抱きしめた。
その胸の鼓動が、ひなの耳に力強く響く。
「この者は私の命よりも大切な存在だ。朱華に指一本でも触れる者は、たとえ誰であろうと許さぬ!」
李蓮は回りの者たちを威圧するように言い放つと、
ひなを横抱きにして牢を後にした。
彼の腕の中で、ひなは溢れ出る涙を止められなかった。
守られている。愛されている。
その圧倒的な幸福感に、全身が満たされていく。
寝所に連れ戻されたひなを、李蓮はベッドにそっと横たえた。
「怖かったろう。もう大丈夫だ。私が必ず、お前を誰も脅かせぬ高い場所へと連れて行く。私の妻となってくれ、朱華」
李蓮の顔が近づき、息がかかるほどの距離になる。
ひなはそっと目を閉じた。
◆
ピピッ、ピピッ、ピピッ——。
現実世界の目覚まし時計の音が、静かに部屋に響いた。
ひながゆっくりと目を開けると、
視界に入ってきたのは見慣れた自分の部屋の天井だった。
頭から『フルダイブ・バルブ』を外すと、爽快な朝の光が差し込んでいた。
「……すごかった」
睡眠中の体験だったため、体はすっきりと休まっている。
しかし、胸の奥にはまだ、
あの皇太子・李蓮の腕の温もりと、情熱的な言葉が熱く残っていた。
「私の妻となってくれ——」
その言葉を思い出し、ひなは真っ赤になって布団に潜り込んだ。
『ヴァーチャル・ダイブ』。
それはスーパーコンピュータ『樹林』が生み出す幻影。
だが、高校生の高橋ひなにとって、それは間違いなく「もうひとつの本物の現実」だった。
(早く夜にならないかな……)
ひなはカレンダーの今日の日付に小さなハートマークを描くと、
弾むような足取りで学校へ行く準備を始めるのだった。
今後、記載する表現に関して、常識に基づいて気をつけて参りますが、
もしもを考慮して15歳未満閲覧非推奨を設定させて頂きます。
こちらに何か落ち度がございましたら、お知らせ願います。
※作中のメインキャラクターは日本語も韓国語も話せる設定となっておりますが、読む側を考慮して日本語表記にしております。キャラクター達は場面に応じて言語を使い分けているとご理解願います。
参考データ
※ユン・シウ…小説家25歳
※カン・サラン…女優志望のアルバイト20歳
※ソン・カナン...女優。カン・サランの芸名。ソン・インナに名付けられた。
※ソン・インナ…女優、シウの母親
※ユン・ジュンソ...シウの父。総合映像制作会社S.S.Iの会長
※ユン・ヒョヌ...シウの異母兄。ソヒョン・チョヨンの恋人。S.S.Iの後継者
※イ・ソジュン...シウの親友。Juringエンター専務。子犬の幼顔と低音ボイス
※イ・ウジン...映画監督。『残酷な美しさ』『私にキスできますか?』
※パク・ドユン...映画監督。シウの親友。Juringエンタ常務。映像制作部部長。
※イ・ダイン...『私にキスできますか?』ヒロイン
※キム・ソヒョン...シウの元恋人『Love Hunt』プロデューサー。
※キム・ソンミン...キャサリン。薔薇組第二夫人。数千万ウォンの身体を誇る
※ハン・チョヨン...女優『私にキスできますか?』イ・ダイン役
※ハン・ジヨン...女流写真家。奇跡の1枚を撮る「アメイジングメーカー」
※ナ・ジウ...薔薇組音響アシスタント。通称小枝。
※虹の薔薇組...ドユンのハーレム軍団。精鋭撮影チーム。
※佐藤直樹...ユン・シウの祖父。伝説の投資家。
※佐藤志乃...ソン・インナの本名。
※天翔樹林...ソン・インナのシルフィード歌劇団時代の芸名。
※涼風小鳥...中村綾。サランの母親。
※中村綾...サランの母親
※トリニティG...韓国最大の財閥グループ
※S.S.I...総合映像制作会社
※Juringエンタ...芸能事務所兼資産管理会社。会長インナ。社長シウ。
※アトリエ・ノア...中堅芸能事務所。サランことカナンが所属していた。
※『Love Hunt』…ネット配信の恋愛リアリティ番組
※『私にキス出来ますか?』…シウ作の小説
※『ずっと僕は君を』…シウ作の小説




