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黒猫エドワード。大宮公園で合コンする。

「……ふぁあ。今日もいい天気だな」


埼玉県さいたま市の大宮公園。樹齢数百年を数える豊かな木々の葉が、やわらかな風にそよいでいる。 その太い木の大枝の上で、ひと匹の黒猫が長々と欠伸あくびをした。


ただただ、「黒猫になって、昼間から陽の当たる場所でゴロゴロと微睡み、猫のように緩い生活を送りたい」という、究極の脱力系願望を叶えるために猫なのだ。


無駄なプライドと少しの中二病が隠し味として効いている。 このアバターの公式設定は**「滅び去った幻の王国・シュヴァルツヴァルトの王太子」。 アバターネームは、歴史上で異彩を放った英傑「エドワード黒太子」からちゃっかり拝借した『エドワード』**である。


(ふふん……僕はただの野良猫じゃない。高貴なる血を引く、孤高の黒猫王太子エドワード様なんだ……)


伸びをして前脚を舐めながら、聡太ことエドワードは心の中で密かに悦に入っていた。 現実世界の受験勉強や複雑な人間関係から解放され、この『樹林』が描く完璧な仮想空間で過ごす時間は、彼にとって最高の癒やしだった。


だが、今日のこの大宮公園——正確には、敷地内に鎮座する武蔵一宮『大宮氷川神社』の境内の空気は、どこか違っていた。


「おい、エドワード! いつまでそんなところで気取ってんだよ! 遅れるぞ!」


木の下から声をかけてきたのは、茶トラのアバターに身を包んだ友人・カズキ(アバター名:レオ)だった。


「遅れるって……何にさ、レオ」 「何にって、お前忘れてたのかよ! 今日は氷川神社の参道裏でやるんだよ……『猫合コン』をな!」


エドワードは枝の上でピクッと耳を跳ね上げた。


大宮氷川神社。二の鳥居から三の鳥居へと続く約2キロメートルのケヤキ並木の参道は、仮想空間においても見事な厳かさを保っていた。だが、その本殿脇にある静寂な竹林の奥、人間たちの目が届かない(ようにシステム設定された)秘密の広場には、異様な熱気が立ち込めていた。


「いいか、エドワード。今回は男5匹、女5匹の本格的な『5×5(ゴー・バイ・ゴー)合コン』だ。相手は『樹林』の性能向上で新設された『お嬢様猫サーバー』からやってくる超高級血統書付きの美女(猫)たちなんだからな!」


レオが興奮気味に肉球をフニフニと握りしめる。 広場に集まっていた男性陣(オス猫アバター)は、バラエティに富んでいた。


エドワード(聡太):漆黒の王太子(設定)。気品漂う黒猫。

レオ(カズキ):元気一杯の茶トラ。ムードメーカーだが落ち着きがない。

シャルル:長毛種のペルシャ。キザなセリフが得意な自称プリンス。

バンチェン:巨大なメインクーン。無口で頼れるタフガイ。

ポチ:なぜか三毛猫のオス(超レア設定)を選択したマイペースなトリックスター。

「ふん、合コンか。王太子のこの僕が、おいそれと市井の女子に心を奪われると思うなよ」 エドワードはフッと鼻を鳴らし、毛づくろいを始めた。だが、心拍数データ(S4が検出)は正直に少し上昇していた。


「来たぞ……! 女子チームだ!」


竹林の葉を分けて現れた5匹のメス猫たち。その姿を見た瞬間、オス猫一同から「おお……」という息をのむ漏れ声が上がった。


毛並みはまるでシルクのように輝き、歩く姿は洗練されたモデルのよう。首にはそれぞれ、スワロフスキー風の仮想ジュエルが埋め込まれた首輪が輝いている。


女子チームの面々は以下の通りだった。


キャサリン:白く美しいロシアンブルー。クールな淑女。

フランソワーズ:優雅なスコティッシュフォールド。垂れ耳が可憐。

ベル:活発なアメリカンショートヘア。好奇心旺盛。

ココ:エキゾチックショートヘア。愛くるしいぶさかわ系アイドル。

そして、最後に竹林から少し遠慮がちに姿を現した、5匹目の猫。


「遅れてごめんなさい……ちょっと参道の池でおエフェクトを見ていたら夢中になっちゃって……」


その声を聞いた瞬間、エドワードの琥珀色の瞳が極限まで見開かれた。


彼女は、雪のように真っ白な長毛を持つ、ターキッシュアンゴラだった。 そして何より特徴的だったのは、その瞳だ。右目が澄み切ったサファイアブルー、左目が温かなアンバーゴールド——神秘的なオッドアイを持っていたのである。


彼女の首元には、小さな銀の鈴がひとつ、揺れていた。


(な……なんだ、あの子は……!?)


エドワードの胸の奧——いや、フルダイブ・バルブを通じて脳の感覚野に直接打ち込まれたのは、雷に打たれたような衝撃だった。 今まで「猫になってゴロゴロしたいだけ」だった高校生・中澤聡太の心に、激しい疾風が吹き荒れた。


「初めまして、皆様。私は**『ルナ』**と申します。今日はよろしくお願いしますね」


ルナが可憐に前脚を揃え、頭を下げる。その動作ひとつひとつに、まるで本物の貴婦人のような気品が漂っていた。


「よしっ! 挨拶も済んだことだし、大宮氷川神社巡りデート合コン、スタートだニャー!」 レオの合図とともに、5×5の猫合コンの幕が切って落とされた。


合コンは神社境内を散策しながらフリータイム形式で進められた。


キザなペルシャのシャルルはすぐさまロシアンブルーのキャサリンにアプローチを開始し、「君の瞳は僕の生まれたパリの夜空のようだ」などと妙なセリフを囁いている。メインクーンのバンチェンはその巨体を生かしてスコティッシュのフランソワーズをエスコートし、三毛猫のポチはぶさかわのココと朱塗りの舞殿の周りを追いかけっこしていた。


そんな中、エドワード(聡太)は完全に後手に回っていた。


(だ、ダメだ……! 現実世界でも女子とまともに話せないのに、あんな超絶美猫のルナさんにどうやって話しかければいいんだ……! 落ち着け、僕は黒猫王太子エドワードだ。クールにいけ、クールに……!)


自分に言い聞かせながら、エドワードは一定の距離を保ちつつルナの後ろをついて歩いていた。 ルナはアメリカンショートヘアのベルと楽しそうに神池かみいけの橋の上から鯉を眺めていたが、やがてベルが茶トラのレオに強引に誘われてどこかへ行ってしまい、ルナは一人きりになった。


絶好の機会チャンス


エドワードは意を決し、足音を消して(猫なので当然だが)ルナの隣へと歩み寄った。 橋の欄干に飛び乗り、夕陽が差し込む池の面を見つめるふりをする。


「……綺麗な池だな。だが、我がシュヴァルツヴァルト王国の宮殿にあった翡翠の池に比べれば、少しばかり彩りが足りないがね」


言ってしまった。 設定に引っ張られた恥ずかしすぎる中二病セリフ。聡太の現実の脳内では「うわあああ何言ってるんだ僕のバカ!!」と大絶叫が巻き起こっていた。


しかし、ルナはくすりと可憐に微笑むと、そのオッドアイをエドワードに向けた。


「シュヴァルツヴァルト王国……素敵な響きですね。エドワード様は、王子様なのですか?」


「あ、いや……王子というか、滅びた国の『王太子』、かな。まあ、過去の栄光さ」 「ふふ、お話し方が少し独特で、とても魅力的です。他のオス猫様たちは少し強引な方が多かったので……こうして静かに景色を眺めてくださる方が隣にいて、ホッとしました」


(勝った……!!) 聡太は心の中でガッツポーズを決めた。


「ルナさん、君こそ……その瞳、とても神秘的だね。まるで夜空の月と、昼の太陽を同時に宿しているようだ」 「まあ……そんな風に言っていただけたのは初めてです。このオッドアイ、リアルの私にはない特徴なので、VR空間だからこその少し冒険した設定だったのですけれど……気に入っていただけて嬉しいわ」


「えっ、リアルにはない設定……?」


「ええ。この『ヴァーチャル・ダイブ』って、自分のなりたい理想の姿になれるでしょう? 私は、普段はすごく窮屈な世界にいるから……ここでは自由で、少しだけ特別な自分になりたかったの」


ルナのオッドアイが、どこか切なげに陰った。 その表情を見た瞬間、エドワードの中で「単なるVRゲームのキャラクター」を超えた、彼女という人間プレイヤーに対する強い愛おしさが込み上げてきた。


ふたり(2匹)はそのまま、境内の奥にある小さな末社へと向かう静かな参道を並んで歩いた。 落ち葉を踏みしめるカサカサという音。首元の鈴が鳴るチリンという涼やかな音。 VRシステム『S4』が再現する完璧な触覚と嗅覚が、周囲の木の香りと風の冷たさをダイレクトに脳へと届ける。


「ねえ、エドワード様。あそこに見える大きな樹……あそこまで競争しませんか?」 ルナが振り向き、悪戯っぽく微笑んだ。


「ほう、王太子の私にかけっこを挑むとは、いい度胸だ。負けないよ!」


二匹の猫は、朱塗りの鳥居をくぐり、落ち葉の絨毯を蹴立てて走り出した。 風を切る感覚。四肢で地面を蹴る圧倒的な開放感。 聡太は、自分が高校生であることも、VR空間にいることも忘れ、ただ目の前を軽やかに跳ねていく白い背中を追いかけた。


その時だった。


空が、にわかに歪んだ。


「——警告。第3サーバー群において、一時的な演算オーバーフローを感知——」


頭上に、現実世界では聞こえるはずのない、無機質なシステムアナウンスが響き渡った。 途端に、大宮氷川神社の空間がバグを起こし始める。色鮮やかだった樹々はポリゴンのモザイク状に崩れ、美しい池の水面がノイズの濁流へと変わった。


「キャッ……!? なに、これ……!?」


前を走っていたルナが、バグによって生成された空間の亀裂——デクスチャの崩壊地帯に足をとられた。 グラウンドのテクスチャが消失し、その下には真っ暗な「無の空間(データ削除領域)」が広がりつつあった。


「ルナさんっ!!」


ルナの身体が、崩れ落ちるグラウンドとともに「無」へと落ちていく。 『ヴァーチャル・ダイブ』において、データ領域への落下は強制ログアウト、あるいは脳への深刻なフィードバックショックを引き起こす危険性があった。


「助けて、エドワード様……!」


ルナの悲鳴。オッドアイに恐怖の色が浮かぶ。


(逃げるな! 僕は……僕は黒猫王太子エドワードだろ!!)


聡太は迷わなかった。 黒猫のしなやかな跳躍力を全開にし、崩れ去る地面の最遠部を蹴った。 漆黒の体が空を舞う。


「ルナさん!! 手を——いや、前脚を!!」


空中での決死のダイブ。 エドワードは両の前脚を極限まで伸ばし、落下していくルナの体を強く抱き寄せた。 そして、鋭い爪を崩れ残った石垣の隙間に深々と突き立てた。


ガシッ!!!


「ぐっ……!!」


激しい衝撃がエドワードの肩を襲う。S4の安全装置セーフティが働いているとはいえ、強い圧迫感が脳を揺らした。だが、エドワードは絶対に爪を離さなかった。自分の腕の中で、震えている白い体を守るために。


「エドワード様……! 私を離して……このままじゃ二人とも……!」 「バカ言え! 王太子が、自分の大切な女性ひとを見捨てるわけないだろ!!」


聡太の本音と設定が混ざり合った叫び。 その時、北海道ニセコの『樹林』本部では、チェ・ウニョン自らが緊急介入を行っていた。


『演算処理、追加CPU1.7倍領域を一時開放! デメリット領域を修復……急いで!』


ウニョンの迅速なオペレーションにより、メテオシャワーからの受信信号が一時的に増幅され、崩壊しかけていた大宮氷川神社の空間が瞬時に再構築レンダリングされていく。


黒い穴は塞がり、柔らかな芝生と、朱塗りの鳥居が元通りに姿を現した。


「ハァ……ハァ……」


地面の上に、二匹の猫が重なるようにして倒れ込んだ。 エドワードは、腕の中にしっかりと白いターキッシュアンゴラ——ルナを抱きしめていた。


周辺のバグは完全に収まり、静寂が戻ってきた。 夕陽が、二人を優しく包み込んでいる。


「……ルナさん。怪我は……ない?」 エドワードが息を整えながら尋ねた。


ルナは、抱きしめられたまま、じっとエドワードの琥珀色の瞳を見つめていた。 その美しいオッドアイには、薄っすらと涙が浮かんでいた。


「……はい。大丈夫です。……エドワード様が、守ってくれたから」


ルナはそっと、自分の額をエドワードの胸の黒い毛並みに押し当てた。 小さな銀の鈴が、ちりん、と甘く鳴った。


「すごいです……本当に、物語の中の王子様みたいでした……」 「へへ……格好がついたなら、良かったよ」


聡太は、照れくささを隠すように、ルナの頭をそっと前脚で撫でた。 現実世界の自分は、冴えないただの高校生だ。運動も勉強もそこそこ。 だけど、この『ヴァーチャル・ダイブ』の世界で、このフルダイブ・バルブを通じて繋がった心は、間違いなく本物だった。


第五章:いつか現実リアルの空の下で

ハプニングから1時間後。 大宮公園の池のほとりで、合コンの解散式が行われていた。


「いや〜マジで焦ったな! 一時的なサーバーバグだったらしいけど、運営のチェ・ウニョン博士が秒で直してくれたらしいぞ!」 茶トラのレオが誇らしげに語る。


「僕たちの愛の力でバグを吹き飛ばしたのさ」とキザなシャルルが言い、女子たちから「それは違うと思う」と一斉にツッコミが入っていた。


宴もたけなわ、いよいよお互いの連絡先(VRアカウント)を交換する時間となった。


エドワードとルナは、みんなから少し離れた大きなケヤキの木の根元にいた。


「あのね、エドワード様」 ルナが少し恥ずかしそうに切り出した。


「私……普段は、都内の全寮制の女子高に通っていて……すごく校則が厳しくて、お友達ともあまり自由に遊べないんです。だから、この『ヴァーチャル・ダイブ』で猫になって遊ぶのが、唯一の息抜きだったの」


「全寮制の女子高……そうだったんだ」


「ええ。でも……今日、あなたに会えて本当に良かった。こんなにドキドキして、胸が温かくなったのは初めてです」


ルナは前脚を差し出し、エドワードの漆黒の前脚にそっと重ねた。


「もしよかったら……フレンド登録、していただけますか? そして……また、ここで会ってくれますか?」


エドワード——中澤聡太は、胸がはちきれんばかりの歓喜に包まれていた。 猫になってゴロゴロしたいだけだったはずのVR生活が、こんなにも色鮮やかな世界に変わるなんて、夢にも思っていなかった。


「もちろんだよ、ルナさん。……あ、いや、ルナ」


エドワードは力強く頷き、彼女の前脚をギュッと握り返した。


「僕だって……君に会えて良かった。これからは、僕が君の専属の騎士ナイト……ううん、王太子として、いつでも君を守るよ。このVR世界でも……そして」


聡太は少し息を呑み、意を決して言葉を続けた。


「そして……いつか、現実リアルの空の下でも。大宮氷川神社の本物の参道で……君に会いたいな」


ルナのオッドアイが、驚きに大きく開かれ、やがて歓喜の笑みに変わった。


「……はい! 約束です、エドワード様……ううん、私の黒猫王子様!」


ふたりは、沈みゆく夕陽に向かって、並んで座った。 漆黒の毛並みと、純白の毛並み。 琥珀色の瞳と、オッドアイ。


北海道ニセコで稼働するスーパーコンピュータ『樹林』が紡ぎ出す、無数のデータと電気信号の潮流。 メテオシャワーが宇宙から届ける、無数の星の囁き。 その最先端テクノロジーの渦の中で、ひとつの確かな「恋」が芽生えたのだった。


「ねえ、エドワード様」 「なぁに、ルナ」 「お腹が空いちゃいました。あそこの屋台の『仮想焼き魚』、半分こしませんか?」 「ふふ、いいね。王太子の奢りだ、好きなだけお食べ」


黒猫と白猫は、仲良く尾を絡ませながら、賑やかな境内へと歩き出した。


『ヴァーチャル・ダイブ』の世界は、今日も優しく、そして少しだけロマンチックな夢を見せ続けている。


(完)

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