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究極のシナプス・マッスル

あらすじ

美人脳科学者チェ・ウニョンは、潜在意識から「最高のヒーリング環境」をリアルタイム生成する画期的なVR装置の開発に成功します。実験の結果、彼女のストレス値はゼロになり、脳波データも過去最高値を更新してプロトタイプは大成功を収めました。しかし、知的な世界を予想していた開発スタッフたちが目にしたのは、ウニョンの深層心理が映し出した「オイルで光る褐色マッチョ男たちが完璧にシンクロして踊り狂うログ映像」でした。「完璧な筋肉こそが絶対的な確定要素であり、究極の癒やし」と豪語するウニョンは、スタッフたちの困惑や悲鳴をよそに、さらなる筋肉を追求した次回実験の構築を命じるのでした。


チェ・ウニョンはまぶたを開けた。

「やっぱり、生の筋肉に勝るセラピーはないわね」

室内に漂う異様な沈黙は一向に破られる気配がない。

実験室中央に置かれた簡易ベッドで、

チェ・ウニョンは『ヴァーチャル・ダイブ』専用VRヘッドギア、

『フルダイブ・バルブ』を優雅にとり外した。

乱れた髪を指で軽く整えると、満足気な笑みを浮かべた。

彼女は再び現実の脳科学者としての顔を取り戻したのであった。


その周囲を囲む8人の運営エンジニアと、キム・ソヒョンは、

全員が視線を泳がせ、互いに肘をつつき合っている。


「……ソヒョン?」


ウニョンが首をかしげると、喉をゴホンと鳴らして一歩前に出たのが、

会長室室長であるキム・ソヒョンだった。

彼女は手元に抱えたタブレット端末を、

まるで防弾チョッキのように胸元へ押し当て、

ひどく複雑な、お世辞と困惑が半々に混ざり合った表情を浮かべている。


「あ、あの……ウニョン先生。無事のご帰還、おめでとうございます。……ええと、その、脳波データの数値は本当に素晴らしいです。過去最高値を更新しました。ただ……その……」


「ただ、何かしら? 率直に言いなさい」


ウニョンは電極パッドをこめかみから剥がしながら、

余裕たっぷりの微笑みを絶やさない。


「ええと……率直に申し上げますと……メインモニターに投射された先生の『内的ダイブ映像』が、その……あまりにも、パワフルと申しますか。……非常に、個性的でいらっしゃいました」


「個性的?」


「はい。その、私ども運営チームとしては、今回『深層心理における至福体験によるストレス軽減効果』の検証として、静謐な森林浴や、静かな海岸線での瞑想、あるいは美しいクラシック音楽のコンサートなどを予測していたのですが……」


ソヒョンはチラリと背後の超大型4Kメインモニターを見上げた。

そこには、数秒前までウニョンが体感していた、

仮想空間のログデータが再生されている。


画面一杯に映し出されているのは、オイルでテカテカに光り輝く、

褐色肌の巨漢マッチョ男たちの群れだった。

それもただのマッチョではない。

首の太さが大腿部ほどもあり、三角筋は巨大なメロンのように隆起し、

腹筋は幾重にも刻まれたチョコレートブロックそのもの。

彼らがパンツ一丁の姿で、

完璧にシンクロしたキレッキレのハイテンション・ダンスを踊り狂い、

時にウニョンを中央に担ぎ上げて「ナイスポーズ!」と、

言わんばかりに大胸筋をバクバクと高速ピクつかせる映像が、

無音でリピート再生されていた。


「……誠に申しあげにくいの不躾ですが」と、

ソヒョンは言葉を選びに選び抜きながら続けた。


「非常に……ダイナミックで、生命力に満ち溢れた映像でした。はい。なんと言いますか……筋肉の躍動感が、画面越しにもこちらへ痛いほど伝わってまいりまして。先生の情熱的かつ……力強い美意識には、一同、ただただ圧倒されるばかりでございます」


「そう。ソヒョンにもあの造形美の素晴らしさが伝わったのね」


満足そうにうなずくウニョンを見て、ソヒョンは密かに冷や汗を流した。

伝わったのは造形美ではなく、純然たる狂気と圧倒的な圧力である。


ここで、計測器の並ぶデスクの端から、

女性システムエンジニアが耐えかねたように小さな声を上げた。


「……あの、チェ先生。確認なのですが、あれは本当に『精神的ヒーリングのためのアルゴリズム』によって生成された景観なのですか? 途中で男たちの背後から大爆発が起きたり、サバイダーみたいな掛け声とともに全員でサイドチェストを決めるシークエンスがありましたが……あそこまでの高負荷ビジュアルを脳が処理して、なぜストレス値がゼロになるんですか?」


彼女の問いに、周囲のエンジニアたちが、

一斉に同調するようにコクコクと頷いた。


「あなたは脳科学の根本を分かっていないわ」


ウニョンは施術台から足を下ろし、

脚線美の際立つスラックスの皺をさっと伸ばすと、朗々と語り始めた。


「人間の脳がストレスを感じる時、それは往々にして『不確定な未来への不安』や『不完全な人間関係』に起因するの。けれど、鍛え上げられた大胸筋や上腕三頭筋を見てごらんなさい。そこには何一つとして曖昧なものはないわ。努力と科学的な栄養管理、そして過酷な負荷によって構築された『絶対的な確定要素』だけが存在する。あのカットされた大胸筋は、存在そのものが数学的証明と同じくらい完璧なのよ」


「……ま、数学的、ですか」


「そうよ。完璧にカットされた腹筋の溝に、人間は揺るぎない秩序を見るの。そして、その筋肉たちが楽しげに跳躍し、ダンスを踊ることで、脳は『絶対的な力による完全な安全』を提示されたと錯覚する。結果として副交感神経が爆発的に優位になり、脳内麻薬がドバドバと分泌されるのよ。……まあ、要するに『細かいことはどうでもよくなる』ということね」


「最後の一言で台無しだよ……」と彼女がボソッと呟いたのを、

ソヒョンは素早く肘で突いて制した。


「ですが、先生!」と声を上げたのは、

グラフィックおよび触覚レンダリング担当の若手エンジニアだった。彼女はノートPCを叩きながら、興奮と困惑が交錯した声で訴える。


「触覚フィードバックのログを見て驚愕しました! 先生、ダイブ後半、あのマッチョな男性たちの『上腕二頭筋』や『広背筋』を片っ端から両手で揉みしだいていましたよね? 触覚センサーの密度設定、上限の200%まで手動でオーバーライドしていませんでしたか!?」


「ええ、したわ」とウニョンは平然と言い放った。「あのレベルの肉体美に触れるのに、標準の触覚解像度じゃ失礼でしょう? 人体の皮膚の弾力、皮下脂肪の薄さ、その下で脈打つ筋繊維の一本一本までを完璧に脳へフィードバックさせるためには、200%の感度が必要不可欠だったのよ。素晴らしい感触だったわ……まるで焼き立ての極上ナンと、鍛え抜かれた鋼鉄を同時に触っているような……」


「例えが独特すぎる……!」


彼女は頭を抱えた。「おかげで触覚生成用サーバーのGPUが一時的に熱暴走を起こしかけましたよ! 筋肉の硬度と弾力をリアルタイム計算する処理だけで、メインフレームの計算資源の70%が持ってかれたんですから!」


「でも耐えたでしょう? 我々のシステムの耐久テストにもなったわけだわ。感謝しなさい」


「理屈が無茶苦茶だ……」


運営スタッフたちの間から、疲労感の漂う溜息が漏れ出した。


彼らはこの数ヶ月間、新進気鋭の脳科学者であるチェ・ウニョンの主導のもと、フル体験型VRゲーム『ヴァーチャル・ダイブ』の開発に心血を注いできた。この装置は、ユーザーの脳波と直接同期し、潜在意識下にある「最高のヒーリング環境」をリアルタイム生成する事が出来る、革新的な医療機器にもなりえるはずであった。


開発チームの誰もが、被験者となった天下の脳科学者チェ・ウニョンが見る世界は、

格調高い文学作品のような美しい世界か、

あるいは緻密な学術的空間だろうと信じて疑わなかったのだ。


それが蓋を開けてみれば、マッチョのダンスパーティである。


「ねえ、キム・ソヒョンさん」


今度はサブ・モニタリングを担当していたベテランエンジニアの男が、ウニョンに聞こえないような小声でソヒョンに耳打ちした。


「これ、次の投資家向けプレゼンでそのままデモ映像として流すのか? 『我が社のヴァーチャル・ダイブは、脳を究極のリラックス状態へと導きます』ってナレーションの後ろで、あのテカテカしたマッチョたちがポージングしてたら、出資引き揚げられるぞ……」


「だ、大丈夫ですよ」とソヒョンは引きつった笑みを浮かべた。「映像出力フィルタリング機能を使えば、投資家たちが見る画面だけ『美しい花畑』や『幻想的なオーロラ』に差し替えることができますから。中身がマッチョのダンスでも、脳波データ自体は紛れもなく『究極のヒーリング』を示しているわけですし……」


「でも、被験者の脳内ではマッチョがダンスしてるんだろ? 騙してるみたいで胸が痛むよ……」


「背に腹は代えられません! 私たちのボーナスがかかっているんですから!」


スタッフたちがソヒョンと密談を交わしている間も、ウニョンは一人、実に清々しい顔でストレッチを始めていた。腕を頭の後ろで伸ばし、背筋をピシッと正す。ダイブ前に溜まっていた論文執筆の疲労や、臨床試験のストレスは綺麗さっぱり消え去っていた。


「ああ、素晴らしいわ」


ウニョンは一人ごちた。「脳科学者として確信したわ。現代社会に必要なのは、複雑な心理カウンセリングでも、高価な精神安定剤でもない。圧倒的な筋量による視覚的・触覚的セラピーよ。ソヒョン、すぐにこのデータを論文にまとめるわよ。タイトルは……そうね。『高密度骨格筋の視覚・触覚刺激がもたらす大脳皮質への急速なドーパミン充填とストレス低減効果について』でどうかしら」


ソヒョンは手元のタブレットにそのタイトルを打ち込みながら、思わず遠い目をした。


「……先生。論文のタイトルとしては非常に学術的で素晴らしいと思いますが、当社に報告する参考資料(動画)で、役員たちが泡を吹いて倒れないか心配です」


「何を言っているの。科学とは常に、既成概念への挑戦なのよ。佐藤志乃会長だって、あの見事な大胸筋のストリエーション(筋線維の溝)を見れば、一目で理解するわよ」


「理解しませんよ! 『ウニョン博士はついに頭が割れたか』って噂になりますよ!」


ソヒョンの叫びに、実験室内にようやくドッと小さな笑いが起きた。

張り詰めていた気まずい空気が、少しずつ解けていく。


エンジニアの男が苦笑しながらキーボードを叩き始めた。


「まあ……でも、実際問題として数値は嘘をつかないですからね。α波の発生率、セロトニン分泌量、ストレスホルモンであるコルチゾールの急激な低下……どれをとっても完璧なデータです。このプロトタイプ、大成功ですよ」


「そうでしょう?」ウニョンは誇らしげに胸を張った。「私の脳が証明しているわ。筋肉は裏切らない。そして、ヴァーチャル空間の筋肉もまた、裏切らないのよ」


「ただ、次回からは少し負荷を下げてくださいね」と女性スタッフが釘を刺す。


「マッチョの人数が50人を超えたあたりから、レンダリング速度が低下してフレームレートが落ちてましたから。次回は上限10人に制限させてもらいます」


「えっ? 10人? それじゃあフォーメーション・ダンスの迫力が半減してしまうじゃない!」


「ダンスさせることが前提になってるじゃないですか!」と女性スタッフが即座に突っ込む。


実験室内は、先ほどまでの気まずさが嘘のように、

いつもの賑やかで活気ある開発現場の風景を取り戻していた。

スタッフたちはそれぞれ自分のデスクに戻り、

ログデータの解析やシステムの最適化作業を始めている。


キム・ソヒョンは、タブレットに表示されたウニョンの最新の脳波グラフを見つめた。


怒涛のような波形を描いていたダイブ中のデータは、

今や穏やかで、しかし確かな力強さを秘めた波を描いている。

ウニョンの瞳には、かつて大学で数々の賞賛を得ていた頃の、

知性と自信に満ちた輝きが完全に戻っていた。


「……ふふ」


ソヒョンは思わず小さく笑ってしまった。


「何がおかしいの、ソヒョン?」


ウニョンが怪訝そうに尋ねると、

ソヒョンはすぐにお世辞と敬意を混ぜ合わせた丁寧な微笑みを作り直した。


「いえ……ウニョン先生が、我が社に協力してくれることになって本当に良かったと思いまして。アプローチ方法は少々……いえ、かなり独特でしたけれど、先生の天才的な脳科学的アプローチの正しさが、証明されたわけですから」


「当然よ。私を誰だと思っているの?」


ウニョンは白衣の袖を軽くまくり上げると、自らの力こぶを固く握りしめた。


「さあ、現実の仕事に戻りましょうか。次のヴァーチャル・ダイブ実験の準備を進めて。今度は……そうね、プロポーションをさらに追求した『ビキニマニア・ボディビル編』のシミュレーション環境を構築するわ」


「先生、それは職権乱用です!」


ソヒョンの絶叫と、スタッフたちの「それかー!」という悲鳴が、

殺風景な実験室の中に賑やかに響き渡ったのだった。



記載する表現に関して、常識に基づいて気をつけて参りますが、


もしもを考慮して15歳未満閲覧非推奨を設定させて頂きます。


こちらに何か落ち度がございましたら、お知らせ願います。


※短編『S4(エス・フォー)』Scientific Fantasy

※短編ユリン S4 Scientific Fantasy2

先行した2つの作品を読んでいただけますと、

わかりやすい内容になっています。

参考までに気が向いたらご覧ください。


登場人物


〇チェ・ウニョン

天才脳科学者、元高校教師

韓国脳科学会に「性善説でもなく性悪説でもない

『無による無』の論文を出して提唱したが、

女性である事とまだ若い事が遠因となって、

『無による無』は

『成り行き任せの論ずるに値しない学説』として

笑われ、学会を追放されてしまった。

世の中にあがらう事を諦め、

生活の為にソウルの高校にて教師をしていた。

大変な美人だが、脳科学者だけに脳に正直で、

普通の女性よりもほんの少し下品で、

ほんの少しビッチな発言もある。

大韓民国の『国民総教化計画』を阻止すべく、

『水霊』の破壊と『儒林』の消滅をやってのけた。



キム・ソヒョン

アトリエ・ノア会長室室長。

会長佐藤氏志乃の最側近(雑用係とも)

FGS(藤咲化粧品)korea第二営業企画部部長。

総合映像制作会社S.S.I社長ユン・ヒョヌの元恋人。

作家ユン・シウの元恋人。

他者肯定も少なく、

自己肯定も少ないので何かと苦労しがちな女性。

それはチェ・ウニョンの理論『無による無』と通じる素養をもっている。

元恋人のユン・シウは作家なだけに空即是色

(0から創作する )または(何気ない日常がドラマだ)と考える人間なので、

分かり合えるはずがなかったのかも知れない。



参考


※S4(エスフォー)

韓国で開発された超睡眠時学習システム

『Super・Sleep・Studying・Systems』

大韓構想にて国民総教化計画の一環で

表向きは若年世代の教育強化を目指した。


水霊スリョン

韓国で大韓構想を元に開発されたスーパーコンピュータ。

『Super・Sleep・Studying・Systems』の頭脳。


※大韓構想

朝鮮半島の統一を果たした大韓民国が掲げた構想。

「世界で最も優秀で、最も繁栄した国家の構築」


儒林ユリン

水霊スリョンの真の最終目標『全脳化計画』。

世界中のPC・タブレット・スマホを『CPUニューロン』として、

水霊を実体無くして最強であるものとする計画。

シナプスとして

流星群受信メテオラシャワーが用いられた。


樹林ジュリン

北海道ニセコにて佐藤志乃率いる

Juringエンタが開発したスーパーコンピュータ。

日本メーカーのゲーム機(一応、最高グレード)1万5千台を接続して、

30億円投資して完成させた。

ちなみに名前の由来は、数十年前に佐藤志乃が在籍した、

東京シルフィード歌劇団在籍時の舞台名

天翔樹林あまかけじゅりん』が元になっている。

(社名のJuringエンターテイメントも同様)

儒林ユリンと似ているがまったく関係ないネーミングであった。

表向きは『つぎはぎのポンコツ』とされているが、

実際は日本のフラッグシップ富岳と同等以上の性能を発揮し、

消費電力も3分の1となっており、

投下した資本からするとかなりコスパの良い設備である。

国内で騒がれない為に『山奥のポンコツ』と広めている。

冷却に降雪した雪を使用しており、融けてろ過した水は海外に売却してコストダウンしている。


流星群受信メテオラシャワー

Meteor shower signal reception。

米国の富豪が打ち上げた精密な衛星通信網は、

自動帰還するロケットを用い、小型通信衛星を打ち上げるビジネスであったが、

日本のベンチャーがもっと安価に完全使い捨ての格安ロケットにて、

野球の球ほどの通信端末をドラム缶いっぱいに持っていき、

衛星軌道上でぶちまける事によって追い抜いた。

死角無しの衛星通信網である。

無計画に端末をぶちまく為、高頻度で大気圏に落下し、

流れ星が大量にみられる理由から、流星群受信と言われるようになった。

極めて大雑把で安価なベンチャービジネスで構築した、

地球全土を覆う死角なき通信ネットワークのその通信端末は、

現代のスマホが充電スタンドで置くだけで充電できるのと同じ仕組みで、

宇宙に漂う電磁波を表面で吸収し、半永久的に駆動する。



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