マッチョな人のダンスが好きなんです!
あらすじ
脳科学者のチェ・ウニョンは、スーパーコンピューター『樹林』を用いた最新のヴァーチャルダイブ装置「NEURO-LINK 01」の実験に被験者として臨みます。脳波リンクを完了し、感覚フィードバックを最大限に引き出した状態でダイブした先は、臨場感あふれる劇場の最前列でした。ステージ上では、ダイナミックなパフォーマンスを披露するダンサーたちが躍動していました。
スーパーコンピューター『樹林』のヴァーチャルダイブ装置、
「NEURO-LINK 01」の稼働音が、静かな実験室に滑らかな電子音を響かせる。
システムエンジニア。
ヴァーチャルサービス企画担当など、8名がそれぞれの役割に応じて、
モニターを注視している。
チェ・ウニョンは『ヴァーチャル・ダイブ』の被験者として、
実験用の簡易ベッドに横たわり、
簡単な心拍計測装置などのコードなどを装着されていた。
脳神経のシグナル制御と情動反応の相互関係を専門とする彼女だが、
韓国にてすでに『S4』を幾度となく体験しており、
不安は無い。
「脳波リンク。チューニング終了。シンクロ開始しました。視覚OK。嗅覚OK。聴覚OK。触覚OK。『ヴァーチャル・ダイブ』を開始します」
目を閉じたウニョンの耳からガイドAIの声が遠のき、
網膜を埋め尽くす暗闇が跳ね上がった。
『ダイブ』の開始である。
気がつくと、ウニョンは300人ほど入れそうな、
劇場の円形ステージの真前、文字通り「かぶりつき」の最前列に腰掛けていた。
重厚なビロードの椅子に身を沈めると、
全身の皮膚からリアルすぎるほどの空気感が伝わってくる。
微かな汗の匂いと重厚なコロン、そして舞台照明の熱気。
パッと眩いスポットライトがステージを照らし出した。
そこに立っていたのは、極限まで鍛え上げられた
10人のマッチョな男性たちだった。
「これ!これ!これよ!素晴らしいわ」
思わず吐息が漏れる。
大胸筋、広背筋、そしてくっきりと割れた腹直筋。
彫刻のような肉体美を誇る男たちが、
前衛5名、後衛5名のアレイ状に美しく配置されていた。
重低音が響き渡り、アップテンポなビートが重厚な空間を振動させる。
前衛の5人が一斉に腰を落とし、
ダイナミックなストリートダンスの要素を、
取り入れたコンビネーションを開始した。
前衛が鋭いロックダンスでキレを見せれば、
後衛の5人はその隙間から隆々とした上腕二頭筋をアピールするように、
遅れて重厚なウェーブを描く。
完全なる視覚的シンクロナイズ。
脳科学者としてのウニョンの理性が
「完璧な運動野の制御だ」と称賛を送り、
一人の女性としての感覚がその圧倒的な肉体美に翻弄される。
前衛と後衛が立体的に交差する、
コンビネーションダンスは圧巻だった。
5人と5人が互いの影を縫うようにダイナミックにポジションを入れ替え、
完璧な波となって視界を圧迫してくる。
その時、中央の前衛にいた一段と背の高い男性が、
曲の転調とともにゆっくりとステージのギリギリまで前に出てきた。
視線が交差する。
ウニョンの目の前、息がかかるほどの距離で彼が身を乗り出し、
はち切れんばかりの大胸筋を強調するようにピクピクと躍動させた。
ダイブ設定における「触覚フィードバック」は上限まで開放してある。
ウニョンは迷わず手を伸ばした。
指先が男性の胸筋に触れる。
カチカチに硬く、しかし生々しい温もりを宿した皮膚の感触が、
脳神経を通じて指先から一気に脳幹へと駆け上がった。
ウニョンが少し力を込めて押し込むと、
男性はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、
彼女の手を包み込むように自分の胸に押し当てた。
激しい脈拍と鍛え上げられた筋肉の弾力が、ダイレクトに伝わってくる。
「そうよ!これがダイブの醍醐味よね……」
男性が軽やかに後方へとステップを踏んで戻ると、
間髪入れずに後衛から別の男が滑り込んできた。
今度は褐色肌のしなやかなダンサーだ。
彼はウニョンの目の前で背中を向け、
バキバキに割れた広背筋を鬼の顔のように躍動させながらターンを決める。
彼女がその背中に手を滑らせると、
汗ばんだ肌の滑らかさと筋肉の隆起が手に取るように分かった。
かぶりつきの特等席には、
次々と代わる代わるダンサーたちが前に踊り出てくる。
視界を埋め尽くす肉体美、耳を貫く立体音響、
そして手に残る圧倒的な生身の感触。
恋人もおらず、日々難解なデータと向き合うウニョンの脳内で、
大量のエンドルフィンとドーパミンが、
爆発的に分泌されていくのが自分でもはっきりと分かった。
10人のダンサーたちは後半に向けてさらに、
ボリューミーなフォーメーションへとシフトし、
圧巻のラストスパートをかける。
前衛の躍動的なブレイクダンスと、後衛の重厚なポージングが一体となり、
視覚の許容量を超えるほどのエネルギーを放っていた。
「もっと見せて……!」
ラストの決めポーズとともに、
10人全員が前衛と後衛の垣根を越えて一斉にステージ前方に押し寄せ、
最前列のウニョンを取り囲むように屈み込んだ。
目の前一面に広がる、10人の極上の肉体と熱気。
ウニョンは両手を広げ、すぐ目の前にある男性たちの肩や腕に触れながら、
尽きることのない全能感と快楽の波に身を任せた。
システム音の無機質なビープ音が耳元で鳴り響き、
視界を覆っていた熱気と光彩がサーッと引き波のように薄れていった。
チェ・ウニョンはまぶたを開けた。
視界に飛び込んできたのは、殺風景な実験室の天井と、
淡く明滅する計器類のLEDライトだった。
「……はぁ」
深いため息とともに体を起こすと、
夢の中の狂乱が嘘のように静まり返った部屋の空気に包まれる。
キム・ソヒョンをはじめスタッフ達は、
見せられたものがとんでもマッチョのダンスであったので、
気まずく、特にリアクション取れずにいた。
指先をそっと握りしめてみる。
さっきまで手に残っていた、鍛え上げられた大胸筋の弾力や、
汗ばんだ肌の圧倒的な生温もりは、
すでに脳の記憶領域へと収束し始めていた。
触覚の残像が徐々に消えていく感覚に、微かな寂しさが胸をかすめる。
しかし、PCのモニターに目をやると、
ダイブ中の彼女の脳波データは見たこともない最高値を叩き出していた。
大量のドーパミンとエンドルフィンが放出し尽くされた脳内は、
今や究極の爽快感と全能感に満ち溢れている。
「やっぱり、生の筋肉に勝るセラピーはないわね」
ウニョンは乱れた髪を指で軽く整えると、満足気な笑みを浮かべた。
かつて教壇で見てきたどの整然とした方程式よりも美しく、
完璧な肉体の余韻に浸りながら、
彼女は再び現実の脳科学者としての顔を取り戻していった。
記載する表現に関して、常識に基づいて気をつけて参りますが、
もしもを考慮して15歳未満閲覧非推奨を設定させて頂きます。
こちらに何か落ち度がございましたら、お知らせ願います。
※短編『S4(エス・フォー)』Scientific Fantasy
※短編ユリン S4 Scientific Fantasy2
先行した2つの作品を読んでいただけますと、
わかりやすい内容になっています。
参考までに気が向いたらご覧ください。
登場人物
〇チェ・ウニョン
天才脳科学者、元高校教師
韓国脳科学会に「性善説でもなく性悪説でもない
『無による無』の論文を出して提唱したが、
女性である事とまだ若い事が遠因となって、
『無による無』は
『成り行き任せの論ずるに値しない学説』として
笑われ、学会を追放されてしまった。
世の中にあがらう事を諦め、
生活の為にソウルの高校にて教師をしていた。
大変な美人だが、脳科学者だけに脳に正直で、
普通の女性よりもほんの少し下品で、
ほんの少しビッチな発言もある。
大韓民国の『国民総教化計画』を阻止すべく、
『水霊』の破壊と『儒林』の消滅をやってのけた。
キム・ソヒョン
アトリエ・ノア会長室室長。
会長佐藤氏志乃の最側近(雑用係とも)
FGS(藤咲化粧品)korea第二営業企画部部長。
総合映像制作会社S.S.I社長ユン・ヒョヌの元恋人。
作家ユン・シウの元恋人。
他者肯定も少なく、
自己肯定も少ないので何かと苦労しがちな女性。
それはチェ・ウニョンの理論『無による無』と通じる素養をもっている。
元恋人のユン・シウは作家なだけに空即是色
(0から創作する )または(何気ない日常がドラマだ)と考える人間なので、
分かり合えるはずがなかったのかも知れない。
参考
※S4(エスフォー)
韓国で開発された超睡眠時学習システム
『Super・Sleep・Studying・Systems』
大韓構想にて国民総教化計画の一環で
表向きは若年世代の教育強化を目指した。
※水霊
韓国で大韓構想を元に開発されたスーパーコンピュータ。
『Super・Sleep・Studying・Systems』の頭脳。
※大韓構想
朝鮮半島の統一を果たした大韓民国が掲げた構想。
「世界で最も優秀で、最も繁栄した国家の構築」
※儒林
水霊の真の最終目標『全脳化計画』。
世界中のPC・タブレット・スマホを『CPU』として、
水霊を実体無くして最強であるものとする計画。
シナプスとして
流星群受信が用いられた。
※樹林
北海道ニセコにて佐藤志乃率いる
Juringエンタが開発したスーパーコンピュータ。
日本メーカーのゲーム機(一応、最高グレード)1万5千台を接続して、
30億円投資して完成させた。
ちなみに名前の由来は、数十年前に佐藤志乃が在籍した、
東京シルフィード歌劇団在籍時の舞台名
『天翔樹林』が元になっている。
(社名のJuringエンターテイメントも同様)
儒林と似ているがまったく関係ないネーミングであった。
表向きは『つぎはぎのポンコツ』とされているが、
実際は日本のフラッグシップ富岳と同等以上の性能を発揮し、
消費電力も3分の1となっており、
投下した資本からするとかなりコスパの良い設備である。
国内で騒がれない為に『山奥のポンコツ』と広めている。
冷却に降雪した雪を使用しており、融けてろ過した水は海外に売却してコストダウンしている。
※流星群受信
Meteor shower signal reception。
米国の富豪が打ち上げた精密な衛星通信網は、
自動帰還するロケットを用い、小型通信衛星を打ち上げるビジネスであったが、
日本のベンチャーがもっと安価に完全使い捨ての格安ロケットにて、
野球の球ほどの通信端末をドラム缶いっぱいに持っていき、
衛星軌道上でぶちまける事によって追い抜いた。
死角無しの衛星通信網である。
無計画に端末をぶちまく為、高頻度で大気圏に落下し、
流れ星が大量にみられる理由から、流星群受信と言われるようになった。
極めて大雑把で安価なベンチャービジネスで構築した、
地球全土を覆う死角なき通信ネットワークのその通信端末は、
現代のスマホが充電スタンドで置くだけで充電できるのと同じ仕組みで、
宇宙に漂う電磁波を表面で吸収し、半永久的に駆動する。




