黒猫エドワード。十和田湖でデートする。
あらすじ
黒猫エドワードは突如、青森県八戸に観光しに行くのだった。
視界一面に広がるのは、鮮やかな色彩の魚介類が所狭しと並ぶ圧倒的な熱気だった。
「ほら、お兄さん! 獲れたての活イカ、いま捌いたばっかりだよ! どうだい!」 「安くしとくよ、ホタテもウニも持ってって!」
威勢の良い威勢豊かな声が交差する。市場独特の潮の香りと、網焼きされた醤油の香ばしい匂いが充満している。
『ヴァーチャル・ダイブ』の世界へダイブした中澤聡太——いや、今の彼は黒猫の「エドワード」だった。
全身を包む艶やかな黒毛、しなやかな四肢、そして先端だけが少し揺れる長めの尾。現実の高校生としての無味乾燥な日常を捨て、彼が選んだアバターは「亡国の王太子」という壮大な裏設定(元ネタは彼が大好きな歴史上の英傑、エドワード黒太子からの拝借だ)を持つ一匹の黒猫である。
「フッ……魚介と言えば北海道? とんでもない。そんなことを言う奴は完全な素人だな。通は青森、それも八戸で寿司を喰うのさ」
エドワードは心の中でほくそ笑みながら、四本足で軽やかに市場の通路を練り歩いた。
頭上に配置された最新型VRヘッドギア『フルダイブ・バルブ』の性能は、睡眠学習システム『S4』の中核たるスーパーコンピュータ『樹林』の並列接続によって跳ね上がっている。1.7倍の性能向上を果たしたシステムがもたらす五感刺激は、もはや現実と区別がつかないレベルに達していた。肉の焦げる匂い、足裏に伝わる冷たい床の感触、そして鼻腔をくすぐる海の風味。
「まずは八食センターでグルメ三昧と決め込むか……」
エドワードは目ざとく、炭火焼きコーナーの脇にある小さな海鮮寿司処を見つけた。カウンターの端をすばやく跳び上がり、チョコンと座る。店主のオヤジは、黒猫が座っても怪しむどころか、「はいよ、黒猫の旦那! 何にしようかい?」と自然に声をかけてきた。NPCの反応も完璧だ。
「大将、大トロと八戸産のイカ、それに赤身を握ってくれ」
「あいよ!」
差し出された出来立ての握り寿司。口に運べば、とろけるような脂の甘みと、コリコリとした歯ごたえのあるイカの旨味が弾けた。脳内に直接送り込まれる究極の味覚シミュレートに、エドワードの喉からは思わず「ゴロゴロ……」と猫特有の歓喜の鳴き声が漏れ出してしまう。
「くぅ〜っ! これだよ、これ! 最高の人生——いや、最高の猫生だな!」
学校の勉強も、受験のプレッシャーも、ここには何ひとつ存在しない。ただひたすら美味しいものを食べ、緩やかに過ごすだけの至福の時間。
しかし、その平穏な贅沢は、唐突に現れた影によって破られることとなった。
◇
寿司を堪能し、満足げに腹をさすりながら八食センターの裏手にある日当たりの良い木箱の上でのんびり毛づくろいをしていた時のことだ。
「……おい、見慣れねぇツラだなぁ、相棒」
どすの利いた低い声が響いた。
エドワードが片目を薄開けると、そこには三匹の野良猫が立っていた。 先頭にいるのは、片耳がちぎれた巨大なサビ猫。右隣には目つきの悪いトラ猫、左隣にはメタボ体型のブチ猫。どの猫も一筋縄ではいかなそうな面構えをしている。
「お前、どっから流れてきた? ここは俺たち『南部ネコ組』のシマだぞ」
サビ猫がゆっくりと足取りで近づいてくる。その口調には強烈な訛りがあった。
「な、なんだお前たちは……? 僕はただの旅の者だ。別に怪しい奴じゃない」
エドワードが身を起こすと、トラ猫が「ニャーッ!」と威嚇するように背を丸めた。
「おめぇ、その黒い毛並み……やけにシュッとしてんなぁ。お江戸の都会風か? それとも北海道から海渡ってきたんか?」 「だはんで(だから)、黙ってここ通すわけにはいかねぇんだよ。この八食センターの美味しいお零れは、俺たちの権益だ。余計な猫が入ってくると困るんだ集」
南部訛りの強烈な言葉遣いに、エドワードは思わず困惑した。言葉の意味はなんとなく解るが、圧迫感が凄い。
「待ってくれ、僕はただ寿司を食べに来ただけで……」 「言い訳無用だべ! 都会の坊ちゃん猫、痛い目見ねぇうちにこの八戸から去りな!」
三匹の猫がじりじりと距離を詰めてくる。亡国の王太子という格好良い設定を背負っているものの、中の人は普通の高校生である中澤聡太だ。喧嘩の経験などあるはずもない。
(うわぁ、ヤバい! システムの安全装置があるとはいえ、引っかかれたら痛みのアラートが出ちゃうじゃん!)
エドワードが冷や汗を流しながらジリジリと後退りし、背中が木箱の壁にぶつかったその時。
「ちょっと、あんたら! 大人数で一匹の旅人を囲んで、恥ずかしくないの!?」
凛とした、鈴を転がすような透明感のある声が路地裏に響き渡った。
◇
声のした方を一斉に振り返ると、積み上げられた清涼飲料水のケースの上に、一匹の美しい三毛猫が佇んでいた。
白・黒・茶の毛並みはまるで上質なシルクのように艶やかで、大きなエメラルドグリーンの瞳が太陽の光を受けてキラキラと輝いている。その立ち姿は優雅でありながら、どこか芯の強さを感じさせた。
「あ……萌ちゃん!?」
サビ猫の顔が一瞬で焦りの色に染まる。
「萌ちゃん、これはだな……こいつが勝手に俺たちのシマに入り込んできたから……」 「八食センターはみんなの場所でしょ! あんたらが勝手にシマだなんだって決めていい場所じゃないわ。さっさとどきなさい!」
萌ちゃんと呼ばれる三毛猫は、トッと軽やかにケースから飛び降りると、エドワードの前にスッと立ちはだかった。その小柄な身体からは想像もつかないほどの強い気迫に、南部ネコ組の三匹はたじたじと後退していく。
「ちっ……今日は萌ちゃんに免じて見逃してやるべ。おい、行くぞ!」
サビ猫たちは捨て台詞を残すと、一目散に路地の奥へと逃げて行った。
静けさが戻った裏路地で、エドワードは呆然と立ち尽くしていた。萌ちゃんがくるりと振り返り、心配そうにエドワードを覗き込む。
「大丈夫だった? 怪我はない?」
「あ、うん……ありがとう。助かったよ。僕はエドワード。旅の……まあ、黒猫さ」
「エドワード? ふふ、カッコいい名前ね。私は萌。津軽の生まれなんだけど、ちょっと理由があってこっちに来てるの」
萌ちゃんは愛らしく首をかしげると、キュートに目を細めた。その一挙一動があまりにも可憐で、エドワード(中の人:中澤聡太)のハートは一瞬で撃ち抜かれてしまった。
「津軽美人……まさにその通りだな」
思わず口から漏れ出た言葉に、萌ちゃんは少し照れたように耳をピクピクと動かした。
「もう、急に何を言い出すのよ。それよりエドワード、あなた八戸には観光で来たの?」
「うん、美味しい魚を食べようと思ってね。でも、もう八食センターは満喫したから、次はどこに行こうか考えてたところなんだ」
それを聞いた萌ちゃんは、エメラルド色の目を輝かせた。
「それなら! 私と一緒に十和田湖に行かない? 私、ちょうどこれから景色のいいところに行きたいなって思ってたの。八戸からなら、ちょっとしたドライブ……じゃなくて、散歩気分で行けるわよ!」
「十和田湖でデート!?」
エドワードの叫び声が空に響いた。
◇
八戸の賑やかな街並みを抜け、青々と茂る奥入瀬の木々を通り抜けた先に、広大な十和田湖が広がっていた。
神秘的な青色をたたえた湖面は、雲ひとつない秋空を鏡のように映し出している。湖畔の風が、二匹の毛並みを心地よく撫でていく。
「わぁ……凄いな。こんなに綺麗な場所があったなんて」
エドワードは湖畔の桟橋の先端に座り、広がっていく波紋を眺めた。
「でしょ? 私はここが大好きなの」
萌ちゃんがエドワードの隣にチョコンと寄り添うように座った。二匹の距離がぐっと縮まる。微かに漂う、萌ちゃんの甘い香りがエドワードの鼻腔をくすぐった。
「ねえ、エドワード。あなたはどこから来たの? なんだか少し、普通の猫とは違う雰囲気がするけれど」
「僕? 僕は……まあ、遠い国さ。かつて栄えた王国の王太子だったんだけど、色々あって今はこうして自由に旅をしてるんだ」
エドワードは少しカッコをつけて、即興で考えた「王太子設定」を語ってみせた。現実では単なる高校生だとは、口が裂けても言えない。
「王太子様……? ふふ、ロマンチックね。でも、今の自由なあなたの方が、ずっと素敵だと思うわ」
萌ちゃんはそう言うと、エドワードの肩にそっと自分の頭を預けてきた。
(うおおおっ! なんという甘酸っぱい展開! これがVRゲームの力……『S4』の技術力に感謝しかない!)
エドワードの心拍数は急上昇し、アバターの心音シミュレートがバクバクと音を立てる。二匹は沈む夕日を眺めながら、たわいない思い出話や、美味しいものの話で花を咲かせた。時が経つのも忘れて、ただ静かで贅沢な時間が流れていく。
十和田湖の湖面が茜色に染まり、幻想的なグラデーションを描き出す。まさに至福のひとときだった。
……ただ、ひとつだけ。エドワードの頭の隅をよぎる不安の影があった。
(あ……ヤバい。マシロには『今日は家で静かに勉強する』って言ってログアウトしてきたんだっけ……)
マシロ。それはエドワードの現実での幼馴染であり、この『ヴァーチャル・ダイブ』内でも時々一緒に遊ぶ強烈な追跡癖を持つ少女のことだ。もし彼女に、八戸で津軽美人の三毛猫と十和田湖デートを楽しんでいたなんてバレたら……。
(いや、大丈夫だ。マシロはこのエリアのIDを知らないはずだし、秘密にしておけば絶対にバレない!)
エドワードは自分にそう言い聞かせると、恐怖を振り払うように萌ちゃんに向かって微笑みかけた。
「萌ちゃん、今日は本当にありがとう。君のおかげで、最高の思い出ができたよ」
「私もよ、エドワード。また……ここで会えるかしら?」
「もちろんだよ。僕たちはいつでも、この青い湖で繋がっているんだから」
キザな台詞を残し、二匹は茜色の光の中で互いの存在を確かめ合うように寄り添い続けた。
スーパーコンピュータ『樹林』が紡ぎ出す無限のバーチャル空間。その片隅で繰り広げられた小さな恋と冒険の物語は、現実の高校生の甘い秘密として、静かに夜の訪れとともに深く沈んでいくのだった。
記載する表現に関して、常識に基づいて気をつけて参りますが、
もしもを考慮して15歳未満閲覧非推奨を設定させて頂きます。
こちらに何か落ち度がございましたら、お知らせ願います。
※短編『S4(エス・フォー)』Scientific Fantasy
※短編ユリン S4 Scientific Fantasy2
先行した2つの作品を読んでいただけますと、
わかりやすい内容になっています。
参考までに気が向いたらご覧ください。
登場人物
〇チェ・ウニョン
天才脳科学者、元高校教師
韓国脳科学会に「性善説でもなく性悪説でもない
『無による無』の論文を出して提唱したが、
女性である事とまだ若い事が遠因となって、
『無による無』は
『成り行き任せの論ずるに値しない学説』として
笑われ、学会を追放されてしまった。
世の中にあがらう事を諦め、
生活の為にソウルの高校にて教師をしていた。
大変な美人だが、脳科学者だけに脳に正直で、
普通の女性よりもほんの少し下品で、
ほんの少しビッチな発言もある。
大韓民国の『国民総教化計画』を阻止すべく、
『水霊』の破壊と『儒林』の消滅をやってのけた。
キム・ソヒョン
アトリエ・ノア会長室室長。
会長佐藤氏志乃の最側近(雑用係とも)
FGS(藤咲化粧品)korea第二営業企画部部長。
総合映像制作会社S.S.I社長ユン・ヒョヌの元恋人。
作家ユン・シウの元恋人。
他者肯定も少なく、
自己肯定も少ないので何かと苦労しがちな女性。
それはチェ・ウニョンの理論『無による無』と通じる素養をもっている。
元恋人のユン・シウは作家なだけに空即是色
(0から創作する )または(何気ない日常がドラマだ)と考える人間なので、
分かり合えるはずがなかったのかも知れない。
参考
※S4(エスフォー)
韓国で開発された超睡眠時学習システム
『Super・Sleep・Studying・Systems』
大韓構想にて国民総教化計画の一環で
表向きは若年世代の教育強化を目指した。
※水霊
韓国で大韓構想を元に開発されたスーパーコンピュータ。
『Super・Sleep・Studying・Systems』の頭脳。
※大韓構想
朝鮮半島の統一を果たした大韓民国が掲げた構想。
「世界で最も優秀で、最も繁栄した国家の構築」
※儒林
水霊の真の最終目標『全脳化計画』。
世界中のPC・タブレット・スマホを『CPU』として、
水霊を実体無くして最強であるものとする計画。
シナプスとして
流星群受信が用いられた。
※樹林
北海道ニセコにて佐藤志乃率いる
Juringエンタが開発したスーパーコンピュータ。
日本メーカーのゲーム機(一応、最高グレード)1万5千台を接続して、
30億円投資して完成させた。
ちなみに名前の由来は、数十年前に佐藤志乃が在籍した、
東京シルフィード歌劇団在籍時の舞台名
『天翔樹林』が元になっている。
(社名のJuringエンターテイメントも同様)
儒林と似ているがまったく関係ないネーミングであった。
表向きは『つぎはぎのポンコツ』とされているが、
実際は日本のフラッグシップ富岳と同等以上の性能を発揮し、
消費電力も3分の1となっており、
投下した資本からするとかなりコスパの良い設備である。
国内で騒がれない為に『山奥のポンコツ』と広めている。
冷却に降雪した雪を使用しており、融けてろ過した水は海外に売却してコストダウンしている。
後日、魔改造が施されスペックが向上した。
エラーはほとんどなくなった。
※流星群受信
Meteor shower signal reception。
米国の富豪が打ち上げた精密な衛星通信網は、
自動帰還するロケットを用い、小型通信衛星を打ち上げるビジネスであったが、
日本のベンチャーがもっと安価に完全使い捨ての格安ロケットにて、
野球の球ほどの通信端末をドラム缶いっぱいに持っていき、
衛星軌道上でぶちまける事によって追い抜いた。
死角無しの衛星通信網である。
無計画に端末をぶちまく為、高頻度で大気圏に落下し、
流れ星が大量にみられる理由から、流星群受信と言われるようになった。
極めて大雑把で安価なベンチャービジネスで構築した、
地球全土を覆う死角なき通信ネットワークのその通信端末は、
現代のスマホが充電スタンドで置くだけで充電できるのと同じ仕組みで、
宇宙に漂う電磁波を表面で吸収し、半永久的に駆動する。




