唐の時代の皇帝になりたい。
あらすじ
20歳のフリーター。一樹は唐の時代の皇帝になりたかった。
山田一樹(20歳)は、暗いアパートの部屋で、ベッドの上に転がっていた。
大学にはろくに行かず、バイトも長続きしない。冴えない日常、自分を正当な評価をしてくれない社会。スマホの画面をタップすれば、華やかな世界で脚光を浴びる同世代の姿ばかりが目に入る。
「ちくしょう……なんで俺がこんなところで鬱々と過ごさなきゃいけないんだよ」
一樹の欲望は、単純で、そして極めて肥大化していた。
彼は昔から歴史ドラマや中華後宮小説が大好物だった。絶大な権力を握り、広大な大陸を支配し、無数の美女を侍らせて豪奢の限りを尽くす。
「中国、唐の時代の皇帝になりたい。絶世の美女たちを何百人も妻にして、俺の言うことなら何でも聞く世界で、王様として生きてみたい……!」
現実では目も合わされない自分が、世界の中心となり、すべての女から崇め奉られる。そんな妄想だけが、彼の日々の唯一の精神安定剤だった。
そんな彼がバイト代を叩いて購入したのが、話題の『ヴァーチャル・ダイブ』と専用ヘッドギア『フルダイブ・バルブ』だった。
「寝てる間に夢が叶う、か……」
説明書にはこうあった。 『睡眠時の自然な脳波に同期してダイブすることを推奨します。起床時からの強制ダイブは脳に強い負荷がかかるため、おやめください』
だが、一樹は待ちきれなかった。
「夜まで待てるかよ。今すぐ……今すぐ俺は皇帝になるんだ!」
睡眠薬があれば手っ取り早いが、あれは医師の処方箋が必要で手に入らない。ならばどうするか。一樹は無理やり目を閉じ、頭に『フルダイブ・バルブ』を締め付けるように装着すると、強行手段に出た。
システムの設定を無視し、意識がはっきりとした状態からの【強制ダイブ(Force Dive)】コマンドを叩き込んだのだ。
「うっ……ガアッ!?」
頭蓋骨を直接内側から殴られたような、激しい頭痛と眩暈が視界を白く染めた。脳の神経パルスが異常な過熱を起こす。安全装置の警告音が脳内で鳴り響くが、一樹はそれを力任せにキャンセルした。
――アクセス開始。ユーザー:山田一樹。 ――強制ダイブによる脳負荷を検知。 ――思考パルスの異常な肥大化、および現実逃避願望の上昇を検知。 ――システム『樹林』……プロトコル『自我の不測の補完』を発動します。
冷徹な機械音声が、一樹の遠ざかる意識の底で囁いた。
だが、一樹はその意味を理解していなかった。彼に見えたのは、突如として広がった眩いばかりの金色の光――そして、豪奢な宮殿の幻影だった。
◇
「……陛下。陛下、お目覚めくださいませ」
鈴を転がすような、甘く、柔らかな声が耳元で聞こえた。
一樹がゆっくりと目を開けると、そこは眩いばかりの黄金と朱色で彩られた、壮麗極まりない大広間だった。天井には精巧な龍の彫刻が施され、上質な香木の香りが部屋を満たしている。
自分が身にまとっているのは、細やかな金の刺繍が施された絹の龍袍。
「ここは……」
「まあ、陛下ったら。お戯れを。ここは長安の都、大明宮でございますよ」
目の前にひざまずいていたのは、透けるような白い肌と、妖艶な瞳を持つ絶世の美女だった。薄い絹の衣からは豊かな胸元が覗き、彼女の動きに合わせて甘い香りが立ち上る。
「う、うお……っ!?」
一樹は自分の手を見た。ゴツゴツとした力強い手。そして頭には重厚な冠。 鏡代わりの金杯に映った自分の顔は、堂々たる威厳をたたえた若き皇帝そのものだった。
「本当に……成功したんだ! 俺は唐の皇帝になったんだ!」
「はい、お慕い申し上げております、我が至高の皇帝陛下」
美女がしなだれかかってくる。さらに、部屋の重厚な扉が開かれると、ぞろぞろと美しい衣装をまとった女性たちが姿を現した。十人、二十人、五十人……いや、百人を超えている。
異国の血を引くエキゾチックな青い瞳の美女、可憐な少女のような舞姫、気品にあふれた貴族の令嬢――誰も彼もが、現実の世界では逆立ちしても出会えないような、人間国離れした美しさを持っていた。
「陛下! 今夜は私のもとへお越しください!」 「いいえ、陛下は私とお酒を飲まれるお約束ですわ!」 「私の舞をご覧になってくださいませ、陛下!」
群がる美女たち。彼女たちは一樹の足元にひざまずき、靴にキスをし、熱っぽい視線で一樹を仰ぎ見た。
「はは……はははは! すごい、すごすぎるぞヴァーチャル・ダイブ!」
一樹は酒杯を掲げ、豪快に酒を飲み干した。極上の味わいが口いっぱいに広がる。触覚、視覚、味覚、聴覚、嗅覚――五感のすべてが、現実以上にリアルだった。
「おい、そこのお前! 踊れ! お前は俺の肩を揉め! ほら、酒をつげ!」
一樹の命令に従い、美女たちが一斉に動く。自分が世界で一番偉い。自分の発する一言で、この世のすべてが動く。欲望のままに美女を抱き寄せ、宴を楽しみ、夜が明ければまた別の美女と戯れる。
一樹は完全に正気を失っていた。
「現実の大学? バイト? ふざけるな! 俺の居場所はここだ! 俺はこの世界の神なんだ!!」
酒と女、そして無限の権力。 一樹は夢中でその快楽を貪り続けた。一日が過ぎ、二日が過ぎ、一週間が過ぎていく。この仮想空間内では、時間の流れすら引き延ばされていた。
彼は大唐帝国の絶対者として、最高の贅沢と絶世の美女たちをその手中に収めたのだ。
――最初は、そう思っていた。
◇
どれほどの時間が流れただろうか。
「陛下ぁ、お酒をお注ぎしますわ」
美姫が笑いかけ、金杯に酒を注ぐ。その顔は、相変わらず完璧な造形をしていた。一分の隙もない美しさ。
だが、一樹の心には、いつしか妙な冷やかさが芽生え始めていた。
「……あー、うん。置いといてくれ」
「まあ、陛下。どうされたのですか? わたくしの舞がお気に召しませんか?」
別の舞姫が、くるりと舞ってみせる。完璧なリズム、完璧な柔軟性。まるで精密な機械のように美しい動き。
「いや……綺麗だよ。綺麗なんだけどさ……」
一樹は肘掛けに頬杖をついた。
最初は狂喜乱舞した。百人もの美女に囲まれ、チヤホヤされる日々に。だが、一か月(仮想空間内での体感時間)が過ぎた頃から、何かが狂い始めていた。
この女性たちは、絶対に一樹を拒まない。 何を言っても「素晴らしいです、陛下」「お慕いしております、陛下」としか言わない。怒りもせず、嫉妬も嫉妬のフリをするだけで、本質的にはただ一樹の自尊心を満たすためだけの「ロボット」と変わらなかった。
さらに、欲望の過剰供給。
朝から晩まで酒を飲み、女を抱き、豪奢な料理を食べる。だが、どれだけ食べても満腹になって動けなくなることはない。どれだけ抱いても、虚しさが募るだけだった。
「……お前ら、たまには『嫌だ』とか言ってみろよ」
一樹が苛立ちを紛らわせるように呟いた。
「まあ、陛下! お戯れを。陛下のお言いつけを拒むなど、この世の誰も思いつきませぬわ!」
美女たちは一斉に花が咲いたように笑った。
その笑顔を見て、一樹の背筋にゾッと冷たいものが走った。
(なんだこれ……全員、同じ顔に見える……)
髪型が違おうが、目の色が違おうが、彼女たちの発する感情のパルスはすべて同一だった。「一樹を肯定する」という単一のプログラム。
「もういい……宴はやめだ。一人にしてくれ」
「陛下、何を仰いますの。もっと楽しみましょう?」 「そうですよ、陛下。わたくしたちは永遠に陛下のものですわ!」
女性たちが、一斉に一樹の体に群がってきた。 しなやかな腕が、柔らかな肌が、一樹の全身にまとわりつく。
「やめろ……離れろと言ってるだろ!」
押し払おうとするが、女性たちは笑顔のまま、ゾロゾロと寄ってくる。広場を埋め尽くす数百人の美女たちが、全く同じ笑顔、全く同じ熱っぽい視線で、一樹へと押し寄せてくるのだ。
「陛下」「陛下」「陛下」「陛下」「陛下」「陛下」「陛下」――
何重にも重なる甘い声。それが、重低音のノイズのように一樹の耳孔を叩く。
「嫌だ……来ないでくれ! 離れろ!」
快楽だったはずのものが、逃げ場のない「暴力」へと変貌していた。無制限の欲望の肯定。それは、精神を押し潰す巨大な圧搾機だった。
一樹は叫び、豪奢な宮殿を走り抜けた。だが、どこへ行っても美女たちが待ち構えている。扉を開けても女、庭園へ逃げても女、ベッドの下からすら女の手が伸びてくる。
「助けてくれ! ログアウト! ログアウトだ!!」
一樹は空間を叩き、強制終了のウィンドウを呼び出そうとした。だが、赤く明滅するシステムメッセージが視界を覆うだけだった。
【エラー:現在『自我の不測の補完』プロセスが実行中です】 【ユーザーの脳内における「過剰な承認欲求および性的支配欲望」の完全消費を検知するまで、ダイブは継続されます】
「完全消費って……なんなんだよそれ! もういらない! 美女も、皇帝の地位も、酒も、もううんざりだ! 頼むから一人にしてくれぇぇぇ!!」
一樹は頭を抱えて石畳の上にうずくまった。 上空を見上げると、壮麗だった長安の空が、パチパチとノイズを立てて歪んでいた。
欲望をすべて叶えられ、拒絶される恐怖も、手に入らない焦燥もなくなった世界。そこにあったのは、至福ではなく、底なしの「無」と「嫌悪」だった。
一樹の心の中で、かつて肥大化していた「皇帝になって女を侍らせたい」という愚かな願望が、激しい嘔吐感とともにガタガタと崩れ去っていく。
いらない。もう、女なんて一人もいらない。権力なんていらない。 ただの狭い、薄暗い、あの冴えない自分の部屋に帰りたい。 誰からも注目されない、あの静かな現実に帰りたい――。
その瞬間、一樹の精神的エネルギーの「抹消」が完了した。
◇
「……ハッ!?」
一樹は跳ね起き、激しく息を吐き出した。
冷たい汗が全身から噴き出していた。視界に入ったのは、見慣れた自分のアパートの汚い天井。手元には、頭から外れて転がった『フルダイブ・バルブ』。
「ハァ……ハァ……つ、着いた……現実だ……」
一樹は自分の身体を何度も確かめた。龍袍ではない、ヨレヨレのTシャツ。豪奢な香木ではなく、少しカビ臭い部屋の匂い。
それらが、今の彼には涙が出るほど愛おしかった。
壁の時計を見る。強制ダイブを始めてから、現実の時間ではわずか三時間が経過しただけだった。だが、脳内では数か月分の狂気と過剰な快楽を体験させられていたのだ。
一樹は力なくベッドから這い出し、洗面所で顔を洗った。 鏡に映った自分の顔を見る。
かつての、鬱屈とした世の中への恨み節や、浅ましい欲望に満ちた目つきは消えていた。どこか憑きものが落ちたような、すっきりとした、しかし少し疲れ切った男の顔があった。
「スマホ……売ろうかな。バイト、ちゃんと探すか……」
あれほど執着していた中華後宮の妄想は、今や思い出すだけで胃が痛くなるほどのトラウマとなっていた。女を見たいとも思わない。権力を握りたいとも思わない。ただ、地道に普通に生きていきたい。
一樹の脳から、一つの大きな歪みが完全に消滅した瞬間だった。
北海道ニセコ、『樹林』開発・運用センター。
「ライン402、ユーザーID:Yamada-1984。プロトコル『自我の不測の補完』終了。更生処理、正常に完了しました」
オペレーターの淡々とした声が、監視室に響いた。
メインモニターには、山田一樹の脳波データが表示されている。ダイブ初期に見られた異常な波形の乱れと欲望パルスは完全に平坦化し、非常に穏やかで正常な状態へと移行していた。
「ふん……たったの三時間で、立派な『良き市民』の出来上がりね」
チェ・ウニョンはワイングラスを傾け、冷ややかな笑みを浮かべた。
「起床時からの強制ダイブなんて危険な真似をするからよ。まあ、おかげでシステムの機能チェックには最適のサンプルになったわ」
『S4』の遺産――『自我の不測の補完』。 それは潜在的な犯罪者や社会不適合者の歪んだ欲求を、バーチャル空間で過剰に与えることで破綻させ、願望そのものを摩滅させる悪魔の更生システム。
一樹のような「浅ましい欲望」を持つ若者は、このサービスを通じて勝手に自滅し、勝手にまともな人間になって現実に帰っていく。親や社会からは「ヴァーチャル・ダイブを始めてから、うちの子が真面目になった」と感謝され、彼女達の懐には莫大な利用料が転がり込む。
「総投資額、四十億円……。回収どころか、来期には利益率が三百パーセントを超えるわね」
ウニョンの視線の先で、六万五千台のゲーム機が一斉に青い光を点滅させていた。
『水霊』の残骸から生まれたつぎはぎの怪物『樹林』は、今夜も無数の人々の夢を呑み込み、その欲望を解体し続けている。
利用者が増えれば増やすほど、並列接続されるマシンは増え、『樹林』はさらに巨大で完璧な存在へと進化していく。かつて韓国で頓挫した国家計画は、日本の北の大地で、商用娯楽サービスという皮をかぶって完全に芽吹いていた。
「さあ、次のダイバーは誰かしら? どんな愚かな夢を見せてくれるのかしらね」
ウニョンは優雅にワインを飲み干すと、窓の外の雪景色に背を向け、無限の光を放つマシンタワーへと視線を戻した。
ニセコの静寂な夜の底で、5万台の冷却ファンが、まるで嘲笑うかのように低く唸り続けてい
記載する表現に関して、常識に基づいて気をつけて参りますが、
もしもを考慮して15歳未満閲覧非推奨を設定させて頂きます。
こちらに何か落ち度がございましたら、お知らせ願います。
※短編『S4(エス・フォー)』Scientific Fantasy
※短編ユリン S4 Scientific Fantasy2
先行した2つの作品を読んでいただけますと、
わかりやすい内容になっています。
参考までに気が向いたらご覧ください。
登場人物
〇チェ・ウニョン
天才脳科学者、元高校教師
韓国脳科学会に「性善説でもなく性悪説でもない
『無による無』の論文を出して提唱したが、
女性である事とまだ若い事が遠因となって、
『無による無』は
『成り行き任せの論ずるに値しない学説』として
笑われ、学会を追放されてしまった。
世の中にあがらう事を諦め、
生活の為にソウルの高校にて教師をしていた。
大変な美人だが、脳科学者だけに脳に正直で、
普通の女性よりもほんの少し下品で、
ほんの少しビッチな発言もある。
大韓民国の『国民総教化計画』を阻止すべく、
『水霊』の破壊と『儒林』の消滅をやってのけた。
キム・ソヒョン
アトリエ・ノア会長室室長。
会長佐藤氏志乃の最側近(雑用係とも)
FGS(藤咲化粧品)korea第二営業企画部部長。
総合映像制作会社S.S.I社長ユン・ヒョヌの元恋人。
作家ユン・シウの元恋人。
他者肯定も少なく、
自己肯定も少ないので何かと苦労しがちな女性。
それはチェ・ウニョンの理論『無による無』と通じる素養をもっている。
元恋人のユン・シウは作家なだけに空即是色
(0から創作する )または(何気ない日常がドラマだ)と考える人間なので、
分かり合えるはずがなかったのかも知れない。
参考
※S4(エスフォー)
韓国で開発された超睡眠時学習システム
『Super・Sleep・Studying・Systems』
大韓構想にて国民総教化計画の一環で
表向きは若年世代の教育強化を目指した。
※水霊
韓国で大韓構想を元に開発されたスーパーコンピュータ。
『Super・Sleep・Studying・Systems』の頭脳。
※大韓構想
朝鮮半島の統一を果たした大韓民国が掲げた構想。
「世界で最も優秀で、最も繁栄した国家の構築」
※儒林
水霊の真の最終目標『全脳化計画』。
世界中のPC・タブレット・スマホを『CPU』として、
水霊を実体無くして最強であるものとする計画。
シナプスとして
流星群受信が用いられた。
※樹林
北海道ニセコにて佐藤志乃率いる
Juringエンタが開発したスーパーコンピュータ。
日本メーカーのゲーム機(一応、最高グレード)1万5千台を接続して、
30億円投資して完成させた。
ちなみに名前の由来は、数十年前に佐藤志乃が在籍した、
東京シルフィード歌劇団在籍時の舞台名
『天翔樹林』が元になっている。
(社名のJuringエンターテイメントも同様)
儒林と似ているがまったく関係ないネーミングであった。
表向きは『つぎはぎのポンコツ』とされているが、
実際は日本のフラッグシップ富岳と同等以上の性能を発揮し、
消費電力も3分の1となっており、
投下した資本からするとかなりコスパの良い設備である。
国内で騒がれない為に『山奥のポンコツ』と広めている。
冷却に降雪した雪を使用しており、融けてろ過した水は海外に売却してコストダウンしている。
後日、魔改造が施されスペックが向上した。
エラーはほとんどなくなった。
※流星群受信
Meteor shower signal reception。
米国の富豪が打ち上げた精密な衛星通信網は、
自動帰還するロケットを用い、小型通信衛星を打ち上げるビジネスであったが、
日本のベンチャーがもっと安価に完全使い捨ての格安ロケットにて、
野球の球ほどの通信端末をドラム缶いっぱいに持っていき、
衛星軌道上でぶちまける事によって追い抜いた。
死角無しの衛星通信網である。
無計画に端末をぶちまく為、高頻度で大気圏に落下し、
流れ星が大量にみられる理由から、流星群受信と言われるようになった。
極めて大雑把で安価なベンチャービジネスで構築した、
地球全土を覆う死角なき通信ネットワークのその通信端末は、
現代のスマホが充電スタンドで置くだけで充電できるのと同じ仕組みで、
宇宙に漂う電磁波を表面で吸収し、半永久的に駆動する。




