『光り纏う、風の妖精』と『桜と風の月姫』
あらすじ
カン・サランは15年前に死別した母、中村綾と東京シルフィード歌劇団、星組オリジナル演目。
『桜と風の月姫』をWヒロインで共演することを夢みていた。『ヴァーチャル・ダイブ』で念願の舞台にダイブする。
北海道、巨大な施設内に、無数の冷たい排気音が鳴り響いていた。
「……接続、オールグリーン。5万台の並列処理、同期率99.8パーセント。素晴らしいわ」
所長の脳科学者チェ・ウニョンは、青白いLEDが明滅するラックの群れを見上げ、満足げに唇を歪めた。
「オリジナルがなんぼのものであっても、商業的に回らなければ意味がないのよ」
彼女らが作り上げたのは、日本製の最新鋭ゲーム機1万5千台と型落ちゲーム機をなんと5万台も並列接続した、いびつで巨大なつぎはぎのモンスター。スーパーコンピュータ『富岳』の1.7倍の演算能力に匹敵するそのシステムは、消滅した『儒林』の名を継ぎ、『樹林』と名付けられた。総投資額は追加投資を含めて40億円。だが、初期の目論見通り、商用フル体験型VRゲーム『ヴァーチャル・ダイブ』は大爆発的なヒットを記録していた。
「夜になれば、子供たちは親に言われるまでもなく自らベッドに向かう。睡眠中の脳に負担をかけず、圧倒的な仮想現実を楽しめるんですから。親からの好感度も抜群です。……まあ、たまに脳の負担も顧みず、起床時から強制ダイブを試みる愚かな若者もいますが……」
側近のオペレーターが苦笑いを浮かべる。
「いいじゃない、そういう歪んだ若者は『自我の不測の補完』で精神の膿を絞り出して、おとなしい優等生にして返してあげれば。更生処理もできて一石二鳥だわ」
ウニョンは優雅にワイングラスを傾けた。
『ヴァーチャル・ダイブ』。それは、誰しもが抱く「届かぬはずの夢」を完璧なリアリティで叶える至高の箱庭。
そして今日、その箱庭に、一人の特別な客がダイブしようとしていた。
◇
ソウルにある閑静な邸宅の一室。
カン・サラン――女優「ソン・カナン」としてその名を馳せる25歳の女性は、静かにベッドの上に横たわっていた。夫である人気作家ユン・シウが、「世界で最も美しい」と心から愛してやまないその端整な顔立ちには、どこか遠くを見つめるような儚さが漂っている。
彼女の傍らには、最新型のVRヘッドギア『フルダイブ・バルブ』が置かれていた。
「サラン、本当にやるのかい?」
部屋のドアを細く開けて覗き込んだのは、夫のシウだった。彼の目には、妻に対する深い慈愛と、ほんの少しの不安が混ざり合っている。
「ええ、パパ。……ずっと、これだけが私の胸の奥に引っかかっていたの。女優としてどれだけ脚光を浴びても、どれだけ幸せな家庭を築いても……あの日の舞台の記憶だけが、私を過去に縛りつけているの」
サランは愛おしそうにバルブに手を触れた。
彼女の母親は、伝説の歌劇団「東京シルフィード歌劇団」の星組トップスター、中村綾。舞台名『涼風小鳥』。 「光り纏う、風の妖精」と称えられたその圧倒的な美貌と、舞い、回り、ステップを踏みながら共演者の横を風のように擦り抜ける優雅で圧倒的な演技は、当時の歌劇界に不滅の伝説として刻まれていた。
特に、星組オリジナル演目『桜と風の月姫』で見せた涼風小鳥の独壇場は、今なお語り継がれる至高の舞台であった。
しかし――中村綾は、サランがわずか10歳の時にこの世を去った。
母の背中を追いかけて女優となったサランにとって、一生叶うはずのない唯一無二の夢。 それは、母・涼風小鳥と並び立ち、あの『桜と風の月姫』をダブルヒロインとして歌い、舞うこと。
「ウニョンさんのシステムなら、私の脳内に眠る母の記憶と、残された映像データから完璧な『涼風小鳥』を再構成できるって」
「『樹林』の作るものだから性能は確かだろうけど……無理はしないでくれよ。ソアも君が目を覚ますのを待っているんだから」
「ありがとう、パパ。大丈夫……ただいまを言いに戻ってくるわ」
サランは微笑むと、ゆっくりと『フルダイブ・バルブ』を頭部に装着した。
視界が暗転する。心地よい浮遊感が全身を包み込み、耳元で静かな波音のような周波数が鳴り響く。『樹林』の膨大なデータ処理が、サランの脳波と完璧にシンクロしていく。
――システム起動。『ヴァーチャル・ダイブ』、ログイン。 ――パーソナルデータ参照:中村綾(涼風小鳥)。『桜と風の月姫』ステージデータを展開。
深い睡眠へと落ちていく感覚と共に、サランの意識は光の疾走の中へと投げ出された。
◇
「……サラン。起きなさい、サラン」
懐かしい、あまりにも優しく、胸が締め付けられるような声が聞こえた。
サランがゆっくりと目を開けると、そこは眩いばかりのスポットライトが降り注ぐ、巨大な大劇場のセンターエリアだった。観客席は見渡す限りの超満員。息を呑むような静寂と、熱気が渦巻いている。
そして、目の前に立っていたのは――。
「……お母さん……?」
そこにいたのは、記憶の中の姿そのままの、息をのむほど美しく妖艶な中村綾――伝説のトップスター『涼風小鳥』であった。衣装は『桜と風の月姫』の月姫の装束。桜色の絹が幾重にも重なり、光を纏って揺れている。
「何をしているの、サラン。もう前奏が始まっているわよ。私たちの『桜と風の月姫』が」
涼風小鳥が、ふっと悪戯っぽく微笑んだ。その立ち姿、空気の揺らぎ、肌の温もりすら感じられるほどの完璧な質感。ニセコで稼働する5万台の並列コンピュータ『樹林』が、サランの記憶と愛を解析し、完璧な実体として仮想空間に結実させたのだ。
(ああ……本物だ。お母さんが、ここにいる……!)
サランの目から自然と涙が溢れ出そうになったが、彼女は咄嗟にそれを引っ込めた。今は泣いている場合ではない。自分は今、ずっと夢に見ていた同じ舞台の上に立っているのだ。プロの女優として、そして中村綾の娘として。
オーケストラピットから、荘厳で切ない和楽器と西洋楽器のアンサンブルが奏でられ始める。『桜と風の月姫』のオープニングナンバーだ。
「行くわよ、サラン!」
涼風小鳥が風のように躍動した。
その舞いは、まさに伝説そのものだった。重力を感じさせない素早く優雅なステップ。裾を翻し、くるりと回転するたびに、仮想空間の空間精度が弾けて桜の花びらが舞い散る。共演者のアクターたちの間を横切る立ち回りは、かすかな風の音すら残して擦り抜けていく完璧な間合い。
「負けていられない……!」
サランもまた、内に秘めた女優「ソン・カナン」の血を躍動させた。
舞い、回り、ステップを踏む。母の背中を追い続けて身体に染み込ませた振付が、寸分の狂いもなく解き放たれる。
月光を模した青ホワイトのスポットライトの下で、二人のヒロインが交差する。
旋律に合わせて声色を重ねる。 涼風小鳥の凛とした、しかし包み込むようなソプラノ。 カン・サランの繊細で、透明感に満ちた歌声。
二つの声が重なり合い、劇場全体の空気を震わせた。観客席からの地鳴りのような歓声が、まるで波のように押し寄せてくる。
二人は手を取り合い、縦横無尽にステージを駆け抜けた。
回転し、交差し、互いの瞳を覗き込む。 そこにあったのは、単なる母と娘の再会ではない。表現者として互いを高め合い、魂をぶつけ合う至高の瞬間であった。
「上手くなったわね、サラン」
激しいステップの最中、涼風小鳥が囁いた。
「お母さんの背中を……ずっと見ていたから!」
「ふふ、でもね、風は追うものじゃないの。風は……自ら起こすものよ!」
小鳥の身体が滑るように宙を舞い、完璧な着地と共にサランの手を強く引き寄せた。二人の衣装の桜色と月光色が溶け合い、一枚の奇跡のような絵画を完成させる。
観客席から、割れんばかりの拍手と歓声が湧き起こった。
その瞬間、サランの胸の奥で、十数年間固く結ばれていた心の結び目が、心地よく解けていくのが分かった。幼い日に残された置き去りの孤独、母の面影を追い続ける焦燥、すべてがこの圧倒的なステージの歓喜によって昇華されていく。
(私の夢が……今、叶ったんだ……)
◇
光の眩しさがゆっくりと収束し、幕が降りていく。
「ありがとう、サラン。私の最高のダブルヒロイン」
最後に交わした涼風小鳥の抱擁の温もりを残したまま、サランの意識は仮想空間の深い沈黙へと溶け込んでいった。
『自我の不測の補完』――本来ならば精神の病理や歪みを過剰に肥大化させて削ぎ落とすそのシステムは、サランのような一途な情熱と愛に対しては、胸の澱みを完璧に洗う「魂の浄化」として機能したのだった。
……
「……サラン? サラン、大丈夫か?」
耳元で聞こえる、現実の夫・シウの心配そうな声。
サランはゆっくりと瞼を開けた。窓からは東京の柔らかい朝の光が差し込んでいた。頭から『フルダイブ・バルブ』を外すと、爽快なほどの目覚めが体を満たしている。脳の重みや疲労感は一切ない。
「パパ……」
「どうだった? 顔色がすごく晴れやかだけど……」
シウが覗き込んでくる。その顔には心底安堵したような色が浮かんでいた。
「夢が……叶ったの」
サランはベッドの上に体を起こし、穏やかな笑顔を浮かべた。その瞳は、朝の光を受けて強く、美しく輝いている。
「お母さんと、踊れたわ。最高のステージだった。……でもね、不思議なの。もう、お母さんの影を追いかける必要はないんだって、そう思えたの」
「サラン……」
「私は私の風を吹かせなきゃ。女優として、ソン・カナンとして。そして、ソアの母親として」
サランは力強く立ち上がると、窓辺へと歩み寄った。
遠く北海道で、怪物的スーパーコンピュータ『樹林』が怪しく稼働し、莫大な資本と欲望を飲み込みながら成長を続けていることを、サランは知っている。野心が生み出した歪なテクノロジー。
しかし、その電子の虚構の中でサランが掴み取った母との絆と覚悟は、紛れもない本物だった。
「お母さん、行ってくるね」
空を見上げて小さく呟いたサランの横顔には、かつて伝説と呼ばれた歌劇のスター『涼風小鳥』によく似た、けれど彼女だけの凛とした美しさが宿っていた。
春の風が窓を吹き抜け、彼女の髪を優しく揺らしていった。
記載する表現に関して、常識に基づいて気をつけて参りますが、
もしもを考慮して15歳未満閲覧非推奨を設定させて頂きます。
こちらに何か落ち度がございましたら、お知らせ願います。
※短編『S4(エス・フォー)』Scientific Fantasy
※短編ユリン S4 Scientific Fantasy2
先行した2つの作品を読んでいただけますと、
わかりやすい内容になっています。
参考までに気が向いたらご覧ください。
登場人物
〇チェ・ウニョン
天才脳科学者、元高校教師
韓国脳科学会に「性善説でもなく性悪説でもない
『無による無』の論文を出して提唱したが、
女性である事とまだ若い事が遠因となって、
『無による無』は
『成り行き任せの論ずるに値しない学説』として
笑われ、学会を追放されてしまった。
世の中にあがらう事を諦め、
生活の為にソウルの高校にて教師をしていた。
大変な美人だが、脳科学者だけに脳に正直で、
普通の女性よりもほんの少し下品で、
ほんの少しビッチな発言もある。
大韓民国の『国民総教化計画』を阻止すべく、
『水霊』の破壊と『儒林』の消滅をやってのけた。
◯佐藤志乃
株式会社Juringエンター会長。
韓国の大女優ソン・インナ。
父親は韓国一の財閥を救った伝説の投資家。
Meteor shower signal reception。
流星群受信に投資して成功した。
スーパーコンピュータ『樹林』の建造と
フルVRゲームサービス『ヴァーチャル・ダイブ』の
運営の為にチェ・ウニョンをヘッドハンティングした。
息子は作家のユン・シウ。
息子の嫁はカン・サラン(ソン・カナン)
孫はユン・ソア
〇キム・ソヒョン
アトリエ・ノア会長室室長。
会長佐藤氏志乃の最側近(雑用係とも)
FGS(藤咲化粧品)korea第二営業企画部部長。
総合映像制作会社S.S.I社長ユン・ヒョヌの元恋人。
作家ユン・シウの元恋人。
他者肯定も少なく、
自己肯定も少ないので何かと苦労しがちな女性。
それはチェ・ウニョンの理論『無による無』と通じる素養をもっている。
元恋人のユン・シウは作家なだけに空即是色
(0から創作する )または(何気ない日常がドラマだ)と考える人間なので、
分かり合えるはずがなかったのかも知れない。
◯ユン・ソア
4歳。女の子。
韓国の売れっ子。子役俳優ソン・シア。
佐藤志乃の孫。
美男美女の両親から生まれた超絶美少女。
世界一、高慢で糞生意気な娘。
豪華客船をねだり、飛行機の方が安い理由から専用ジャンボジェット機を買ってもらった事がある(一度乗せて満足した所を見計らってすぐに売却された)
◯カン・サラン
25歳
女優ソン・カナン。作家ユン・シウの妻。
ユン・ソアの母。佐藤志乃の息子嫁。
夫ユン・シウが思う世界一の美人。
チェ・ウニョンに協力して、韓国の全能化計画『儒林』の消滅を手伝った。
その時は、偽名を使っており、チェ・ウニョンはサランを『城北洞の女』とだけ、認識していた。
そんな理由からチェ・ウニョンはサランとの再会に驚き、サランの素性を知る事となる。
藤咲化粧品(F.G.S)の『ファイン・グロス・ファイネスト』の5年ほど専属モデルであり、『Cosme De Saran』のモデル兼プロデューサーなので日本国内でも、女性ならかなりの認知度がある。
得意技は10代の時に貧乏してバイトに明け暮れた為、包丁使いが超人であり、包丁を2丁使ってみじん切りをする時はチャド・スミスになる。サラン本人はレッドホットチリペッパーズもチャド・スミスも知らないが父の影響で数千回聴かされていた、キャントストップのリズムでみじん切りする。
機嫌が良いと所構わずミュージカルスターのように、歌いながらターンしたり、ステップ踏んだりする。Juringエンター研究所の社員食堂を占拠して、
包丁捌きを披露したり、メニューにオリジナル特製カレーライス。特製和風手ごねハンバーグ。冷やし山菜とろろ蕎麦。を強引に追加する。
参考
※S4(エスフォー)
韓国で開発された超睡眠時学習システム
『Super・Sleep・Studying・Systems』
大韓構想にて国民総教化計画の一環で
表向きは若年世代の教育強化を目指した。
※水霊
韓国で大韓構想を元に開発されたスーパーコンピュータ。
『Super・Sleep・Studying・Systems』の頭脳。
※大韓構想
朝鮮半島の統一を果たした大韓民国が掲げた構想。
「世界で最も優秀で、最も繁栄した国家の構築」
※儒林
水霊の真の最終目標『全脳化計画』。
世界中のPC・タブレット・スマホを『CPU』として、
水霊を実体無くして最強であるものとする計画。
シナプスとして
流星群受信が用いられた。
※樹林
北海道ニセコにて佐藤志乃率いる
Juringエンタが開発したスーパーコンピュータ。
日本メーカーのゲーム機(一応、最高グレード)1万5千台を接続して、
30億円投資して完成させた。
ちなみに名前の由来は、数十年前に佐藤志乃が在籍した、
東京シルフィード歌劇団在籍時の舞台名
『天翔樹林』が元になっている。
(社名のJuringエンターテイメントも同様)
儒林と似ているがまったく関係ないネーミングであった。
表向きは『つぎはぎのポンコツ』とされているが、
実際は日本のフラッグシップ富岳と同等以上の性能を発揮し、
消費電力も3分の1となっており、
投下した資本からするとかなりコスパの良い設備である。
国内で騒がれない為に『山奥のポンコツ』と広めている。
冷却に降雪した雪を使用しており、融けてろ過した水は海外に売却してコストダウンしている。
後日、魔改造が施されスペックが向上した。
エラーはほとんどなくなった。
※流星群受信
Meteor shower signal reception。
米国の富豪が打ち上げた精密な衛星通信網は、
自動帰還するロケットを用い、小型通信衛星を打ち上げるビジネスであったが、
日本のベンチャーがもっと安価に完全使い捨ての格安ロケットにて、
野球の球ほどの通信端末をドラム缶いっぱいに持っていき、
衛星軌道上でぶちまける事によって追い抜いた。
死角無しの衛星通信網である。
無計画に端末をぶちまく為、高頻度で大気圏に落下し、
流れ星が大量にみられる理由から、流星群受信と言われるようになった。
極めて大雑把で安価なベンチャービジネスで構築した、
地球全土を覆う死角なき通信ネットワークのその通信端末は、
現代のスマホが充電スタンドで置くだけで充電できるのと同じ仕組みで、
宇宙に漂う電磁波を表面で吸収し、半永久的に駆動する。




