『ルーンヴァル王国の騎士』黒銀の竜騎士と忘却の深淵
前夜のVRゲーム内での学習効果により、海斗は学校の授業やテストを余裕でこなしていました。その夜、海斗は異世界の騎士「カイト」として超高難度の黒炎竜討伐クエストに挑み、激闘の末に勝利を収めます。しかし、歓喜の絶頂の瞬間、処理能力の限界を迎えたつぎはぎの巨大スパコン『樹林』の底から、過去の実験で排出された「精神のゴミ(負のデータ)」が溢れ出し、カイトの脳へと逆流を始めます。
中学校の授業中、海斗の頭脳は冴え渡っていた。『S4』システムの超睡眠時学習効果は伊達ではない。昨晩『ヴァーチャル・ダイブ』の中で修得した複雑な古代語の文法や幾何学の概念が、まるで幼少期から知っていた知識のように脳裏へ定着している。
(マジかよ……テストの解法が手に取るようにわかる。これなら親に文句を言われる筋合いも一切ないな)
ノートにペンを走らせながら、海斗の心はすでに今夜の「異世界」へと飛んでいた。
北海道ニセコ町。かつて廃棄された巨大ジャガイモ収蔵庫を再利用した巨大なデータセンターでは、無数の冷却ファンが甲高い悲鳴を上げていた。スーパーコンピュータ『樹林』。そのコア基板は、佐藤志乃の冷徹な野心とともに灼熱の熱気を撒き散らしている。
「チェ所長、ユーザーID『海斗-0922』の精神波形ですが……昨夜のダイブ時、瞬間的に『自我の不測の補完』のリミッターに接触しました」
モニターに並ぶ複雑なグラフを指差しながら、若いエンジニアが眉をひそめる。
「ほう? 中学1年生の男子でしょう? なぜそんなに抑圧された精神エネルギーを抱えているの?」
佐藤志乃は高級な白ワインのグラスを軽く傾け、豪奢な毛皮のソファに身を沈めた。
「思春期の特有の衝動ですよ。学業へのプレッシャー、将来への漠然とした恐怖、父親との不和……そういった日常の閉塞感が、あの世界で『圧倒的な力への渇望』として歪んで噴出したようです。幸い、劣化版とはいえ『樹林』の補完プログラムが正常に作動し、彼の攻撃性は安全に消費・清算されました」
「ふん、結構じゃない。子どもはストレスを発散してスッキリ目覚め、成績も上がる。親は大喜びで月額基本料を払い続ける……完璧なエコシステムだわ」
チェ・ウニョンの唇が、美しくも酷薄な笑みを刻む。
「オリジナルの『水霊』を壊した私は、精神の肥大化を『危険なバグ』と捉えて計画を潰したけれど……商売っていうのは、毒すらもエンターテインメントに変えてこそよね。今夜も子どもたちに極上の夢を見せてあげようかしら」
◇
夜9時。夕食と宿題を完璧に終わらせた海斗は、ベッドの上に仰向けになった。
頭部装具『フルダイブ・バルブ』を装着する。頭皮に触れる金属端子の冷たさが、心地よい緊張感を呼び起こす。
「ダイブモード、起動。ログインID:カイト」
視界がゆっくりと青い光に包まれ、次の瞬間には、重厚な金属の触感と爽快な山頂の風が海斗の五感を満たした。
ルーンヴァル王国の北方山脈、絶壁の砦。
「カイト様! 本日の遠征の準備が整いました!」
甲冑を響かせて駆け寄ってきたのは、NPCのNPC副官・エリスだ。高度なAIによって構築された彼女の瞳には、生身の人間と何ら変わらない生々しい感情の揺らぎが宿っていた。
カイト(海斗)は、新たに購入した黒銀のフルプレートアーマーを見やった。昨夜の討伐報酬で新調した「黒鉄の重鎧」だ。重圧感のある光沢、腰に下げた大剣の確かなズシリとした重み。男のロマンを体現したような己の姿に、胸のすくような高揚感がこみ上げる。
「よし、行こう。狙うは『竜の巣』の主、黒炎竜グラファイトだ」
今回の目的地は、未踏のダンジョン『黒炎の峰』。推奨レベルは最高クラス、並のプレイヤーなら数秒で灰にされると言われる超高難度クエストだ。
砦を出発し、荒涼とした岩山を登る。道中、岩肌から突如として現れる「ストーン・ゴーレム」や、鋭い爪を持つ「フック・バット」の群れが襲いかかる。
「ハッ!」
カイトの大剣が一閃する。無駄のない滑らかな踏み込み。日中の睡眠学習システムと連動した脳は、現実世界のトップアスリートすら凌駕する反応速度でコマンド処理を行っていた。剣が肉を裂き、岩を打ち砕く重厚な手応えが、バルブを通じて直接海斗の運動野へとフィードバックされる。
「すごい……! 体が思い通り以上に動く……!」
快感だった。現実では運動神経が並以下の自分が、ここでは最強の騎士として戦場を支配している。
やがて、山頂の巨大な洞窟に到達した。そこは一面、灼熱のマグマが地表を焼き焦がす地獄絵図のような光景だった。
『グオオオオオオオオオオッ!!』
洞窟の奥から、天を揺るがすような咆哮が響き渡る。漆黒の鱗に覆われ、眼を紅蓮に燃やした巨大な竜——黒炎竜グラファイトが舞い降りた。巨大な翼が巻き起こす熱風が、カイトの黒銀の鎧を熱する。
「来るぞ!」
グラファイトが口を開き、超高熱の黒炎を吹き出した。
「『絶対防御』!」
カイトは巨大な盾を地に突き立て、魔法障壁を展開する。激しい炎の波が障壁を叩き、激しいショック波が腕を痺れさせる。軽減されているとはいえ、恐怖と緊迫感が脳内麻薬を過剰に分泌させる。
(死ぬかもしれない……でも、絶対に勝つ!)
火炎が収まった瞬間、カイトは地を蹴った。踏み込んだ足が地面の岩を砕く。
「『飛翔斬』!」
跳躍し、グラファイトの首元へ躍り出る。竜の鋭い爪がカイトの肩をかすめ、黒銀の防具が弾け飛んだ。痛みが走る。だが、その痛みがカイトの集中力を極限まで研ぎ澄ませた。
空中で大剣を両手で握り直し、全身の筋力を乗せて叩きつける。
ズガァンッ!
剣先がグラファイトの硬質な鱗を食い破り、鮮血ならぬ黒い光の粒子が噴き出した。竜が苦悶の声を上げ、暴れ回る。
「これで……終わりだッ! 『極光連斬』!」
光を纏った怒涛の七連撃。一撃ごとに竜の巨大な躯体が削り取られ、最後のひと振りがグラファイトの巨大な頭部を深々と断ち切った。
『ギィアアアアアッ……!』
絶叫とともに、超巨大な竜の体が崩れ落ち、無数の光の粒子となってダンジョン全体に広がっていく。
『クエスト達成:『黒炎竜グラファイト討伐』。称号【竜殺しの騎士】を獲得しました』
輝くシステムメッセージとともに、莫大な経験値とレアアイテムがカイトのインベントリに流れ込んでくる。
「やった……勝ったぞ……!」
カイトは大剣を地面に突き立て、荒い息を吐きながら天を仰いだ。最高の達成感。全身の細胞が歓喜で震えていた。
……だが、その歓喜の絶頂の瞬間、異変は起きた。
倒れた竜の光の粒子が消え去ったあと、空間の底に「亀裂」が走ったのだ。
「……え?」
通常なら討伐完了とともに宝箱が出現し、安全な街へと転送されるはずだった。しかし、目の前の空間がガラスのようにひび割れ、その奥から「真っ黒な泥」のようなものが溢れ出してきた。
「システムエラー? なんだ、これ……」
カイトが足を踏み外した瞬間、黒い泥が彼の脚に巻き付いた。
『警告:データ領域の不整合。深度レイヤー『儒林』の残留ノイズと同期を開始』
頭の中で、無機質な警告音が鳴り響く。
「うあぁっ!?」
脚から全身へと伝わる、激しいノイズ感。それはゲーム内の痛みなどではなく、脳の神経細胞を直接かき乱されるような不快な違和感だった。
黒い泥の中から、無数の「声」が聞こえてくる。
『苦しい……絶望だ……死にたい……』 『殺せ……あいつも、こいつも、全員ぶっ殺してやる……』 『なぜ私を見捨てた……全能化計画は……完璧だったのに……』
「な、なんだこれ……頭が、割れそうだ……!」
カイトは頭を抱えて膝をついた。 それは、かつて韓国の『S4』計画、そして『儒林』計画において、無数の被験者たちが仮想空間内で排出し、消滅させられたはずの「ドブのような精神のゴミ」——精神的揺らぎの残骸だった。
完全な『水霊』であれば、これらの負のエネルギーは完全に分解・消去されていた。しかし、ニセコにあるのは1万5000台のコンシューマー機を繋ぎ合わせた「つぎはぎの『樹林』」だ。処理能力の限界を超えた負のデータが、データベースの底から溢れ出し、最も過剰な精神エネルギーを発していたカイトの脳へと逆流し始めたのだ。
「息が……できない……! 助け……っ!」
カイトの視界が赤黒く染まっていく。現実の自分に対する嫌悪感、将来への激しい不安、そして世界すべてを破壊したいという衝動が、海のように脳へとなだれ込んでくる。
(俺は……狂ってしまう……!?)
その時だった。
『緊急更生処理シールド、オーバーライド起動』
突如として、カイトの胸の奧で「冷たい氷」が弾けるような感覚がした。
ニセコの地下で、チェ・ウニョンの構築した安全システムが稼働したのだ。ただし、それはカイトを救うためのものではない。システム全体がパンクするのを防ぐため、汚染されたデータを「力ずくで削り取る」安全装置だった。
カイトの脳内に流れ込んできた黒い衝動と、彼自身の内面にあった「負の感情」が、急速に凍りついていく。
(あ……)
自分の心の一部が、強烈な掃除機で吸い出されていくような感覚。 悔しさも、恐怖も、劣等感も、そして——異世界で抱いた純粋な情熱すらも。
「やめて……それを取り上げないでくれ……!」
カイトは叫ぼうとしたが、声が出なかった。 精神の過剰なエネルギーを強制的に「消費」し尽くさせる機能。それが『自我の不測の補完』の正体だった。人間の複雑な精神的揺らぎを、仮想の刺激で摩耗させ、ただの「従順で平穏な精神」へと書き換えてしまう悪夢の処理。
カイトの意識は、底なしの静寂へと沈んでいった。
◇
「……海斗! 朝よ、海斗! 遅刻するわよ!」
母親の呼ぶ声で、海斗は目を覚ました。
「……ん」
体を起こす。外は爽やかな朝の光に満ちていた。 頭部装具は床に落ちている。
海斗は自分の手を見つめた。 頭痛も、不快感もない。驚くほど頭がスッキリしていた。昨日まで自分を悩ませていた将来への漠然とした不安も、クラスメイトに対する妙なコンプレックスも、すべて綺麗さっぱり消え去っていた。
「すごく……穏やかな気分だ」
海斗は呟いた。 だが、胸の奥にどこか奇妙な「ぽっかりとした空洞」があるような気がした。
昨晩、自分は何か凄いことをしたはずだ。巨大な竜を倒したような気がする。だが、その時の熱い高揚感や、心躍るような興奮が、どうやっても思い出せない。まるで、他人の書いた伝記を読んだかのように、客観的な事実としてしか記憶に残っていないのだ。
「海斗、早くしなさい!」
「うん、今行くよ」
海斗は穏やかな笑顔を浮かべ、教科書をカバンに詰めた。非常に良い子だった。反抗期特有のトゲも、無駄な情熱も削ぎ落とされた、大人にとって「扱いやすい最高の優等生」の顔をしていた。
◇
北海道・ニセコのデータセンター。
「ID『海斗-0922』、補完処理完了。過剰な精神ノイズの平準化に成功しました」
モニターを見つめるエンジニアが報告する。
「結構ね」
チェ・ウニョンは満足げにうなずいた。
「これでまた一人、余計なストレスを抱えない『健全な子ども』が誕生したわ。『ヴァーチャル・ダイブ』は素晴らしいサービスでしょう? ゲームを楽しませてあげて、ついでに精神の毒も抜いてあげるんだから」
チェ・ウニョンは窓の外、ニセコの美しい雪山を見つめた。
スーパーコンピュータ『樹林』は、今日も静かにファンを回し続けている。1万5000台のゲーム機が紡ぐ夢の世界で、子どもたちは歓喜し、冒険し——そして、自分たちの情熱や人間性の欠片を、少しずつ仮想空間の深淵へと削り落としていく。
目標利用者数10万人まで、あとわずか。 佐藤志乃の投資した30億円の投資は、わずか2年で完全に回収されるはずだった。
記載する表現に関して、常識に基づいて気をつけて参りますが、
もしもを考慮して15歳未満閲覧非推奨を設定させて頂きます。
こちらに何か落ち度がございましたら、お知らせ願います。
※短編『S4(エス・フォー)』Scientific Fantasy
※短編ユリン S4 Scientific Fantasy2
先行した2つの作品を読んでいただけますと、
わかりやすい内容になっています。
参考までに気が向いたらご覧ください。
登場人物
〇チェ・ウニョン
天才脳科学者、元高校教師
韓国脳科学会に「性善説でもなく性悪説でもない
『無による無』の論文を出して提唱したが、
女性である事とまだ若い事が遠因となって、
『無による無』は
『成り行き任せの論ずるに値しない学説』として
笑われ、学会を追放されてしまった。
世の中にあがらう事を諦め、
生活の為にソウルの高校にて教師をしていた。
大変な美人だが、脳科学者だけに脳に正直で、
普通の女性よりもほんの少し下品で、
ほんの少しビッチな発言もある。
大韓民国の『国民総教化計画』を阻止すべく、
『水霊』の破壊と『儒林』の消滅をやってのけた。
キム・ソヒョン
アトリエ・ノア会長室室長。
会長佐藤氏志乃の最側近(雑用係とも)
FGS(藤咲化粧品)korea第二営業企画部部長。
総合映像制作会社S.S.I社長ユン・ヒョヌの元恋人。
作家ユン・シウの元恋人。
他者肯定も少なく、
自己肯定も少ないので何かと苦労しがちな女性。
それはチェ・ウニョンの理論『無による無』と通じる素養をもっている。
元恋人のユン・シウは作家なだけに空即是色
(0から創作する )または(何気ない日常がドラマだ)と考える人間なので、
分かり合えるはずがなかったのかも知れない。
参考
※S4(エスフォー)
韓国で開発された超睡眠時学習システム
『Super・Sleep・Studying・Systems』
大韓構想にて国民総教化計画の一環で
表向きは若年世代の教育強化を目指した。
※水霊
韓国で大韓構想を元に開発されたスーパーコンピュータ。
『Super・Sleep・Studying・Systems』の頭脳。
※大韓構想
朝鮮半島の統一を果たした大韓民国が掲げた構想。
「世界で最も優秀で、最も繁栄した国家の構築」
※儒林
水霊の真の最終目標『全脳化計画』。
世界中のPC・タブレット・スマホを『CPU』として、
水霊を実体無くして最強であるものとする計画。
シナプスとして
流星群受信が用いられた。
※樹林
北海道ニセコにて佐藤志乃率いる
Juringエンタが開発したスーパーコンピュータ。
日本メーカーのゲーム機(一応、最高グレード)1万5千台を接続して、
30億円投資して完成させた。
ちなみに名前の由来は、数十年前に佐藤志乃が在籍した、
東京シルフィード歌劇団在籍時の舞台名
『天翔樹林』が元になっている。
(社名のJuringエンターテイメントも同様)
儒林と似ているがまったく関係ないネーミングであった。
表向きは『つぎはぎのポンコツ』とされているが、
実際は日本のフラッグシップ富岳と同等以上の性能を発揮し、
消費電力も3分の1となっており、
投下した資本からするとかなりコスパの良い設備である。
国内で騒がれない為に『山奥のポンコツ』と広めている。
冷却に降雪した雪を使用しており、融けてろ過した水は海外に売却してコストダウンしている。
※流星群受信
Meteor shower signal reception。
米国の富豪が打ち上げた精密な衛星通信網は、
自動帰還するロケットを用い、小型通信衛星を打ち上げるビジネスであったが、
日本のベンチャーがもっと安価に完全使い捨ての格安ロケットにて、
野球の球ほどの通信端末をドラム缶いっぱいに持っていき、
衛星軌道上でぶちまける事によって追い抜いた。
死角無しの衛星通信網である。
無計画に端末をぶちまく為、高頻度で大気圏に落下し、
流れ星が大量にみられる理由から、流星群受信と言われるようになった。
極めて大雑把で安価なベンチャービジネスで構築した、
地球全土を覆う死角なき通信ネットワークのその通信端末は、
現代のスマホが充電スタンドで置くだけで充電できるのと同じ仕組みで、
宇宙に漂う電磁波を表面で吸収し、半永久的に駆動する。




