父親の夢
自宅に帰った俺は父さんが帰宅するのを待つ。生れて初めてやりたいことが見つかった。そのことを父さんに話しておきたいと思ったのだ。
父さんは基本的に帰ってくるのが遅い。母さんが家を出て行ってから、男手一つで俺のことを育ててくれている。感謝してもしきれない。
夜遅く、父さんが帰ってくる。
「珍しいな。リビングにいるなんて」
「実は父さんに話があって」
「話?」
父さんが怪訝な表情を浮かべる。俺が自発的に父さんに話をするのはとても珍しいことだ。
緊張で心臓の鼓動が早鐘を打つ。父さんに自分の意思を伝えるのはとても緊張する。
俺は唇を湿らせて、勇気を出して言葉を紡ぐ。
「俺、漫画を描きたいって思ったんだ」
「漫画?」
父さんは驚いたように目を見開いた。
「うん。描いてみたいって思ったんだ。将来どうなりたいとか今まで全然考えてなかった。ただ漠然と大学に行って就職するのかなって思ってた。だけど、ある人にやりたいことを見つけろって言われて。それで考えてみて。漫画を描いてみたいなって思ったんだ」
自分の気持ちを言葉にするのは難しい。ましてや俺のようなコミュ障が上手く気持ちを伝えらえるかはわからない。それでも、今できることを精いっぱいやってみた。
「いいじゃないか!」
父さんが目を輝かせる。
「漫画かー。いいなぁ。父さんも昔は漫画家になりたかったんだぞ」
「それは初耳」
「でも、やっぱり就職しろって親に口酸っぱく言われてね。諦めた夢だったんだ」
初めて聞く、父さんの話。
「父さんはそれでよかったの? 夢を諦めて、母さんとも離婚して、それでやりたくもない仕事をしてそれで幸せなの?」
「わかってないなぁ唯斗は。お前がいるから頑張れるんだぞ」
「俺?」
突然の言葉に、俺は驚いて目を丸くした。
「母さんに家を出ていかれて、絶望してたんだが、唯斗がこの家に残ってくれただろ。俺はそれが嬉しかったんだ。お前を絶対幸せにするぞって誓って、そのために働いてきた」
「そんなにも俺のことを?」
「当たり前だろ。大事な一人息子だぞ」
父さんがそんな風に思ってくれているなんて俺は思わなかった。父さんはただ生きるためにやりたくもない仕事をしているのだとばかり思っていた。
「確かに仕事はきついが、唯斗が毎日幸せでいてくれるなら、俺は満足さ」
思わず目が潤む。俺はそんなにも父さんにとって生きがいになれていたのか。父さんは毎日家に帰ってくるのが遅いし、俺のことなんてどうでもいいと思っていた。むしろ本当は母さん淫俺の事を押し付けたかったんじゃないかとさせ思っていた。俺さえいなければ、父さんはもっと自由にやりたいことができたはずなのに。
「息子のやりたいことを応援するのは父親として当然のことだろ? それに唯斗が初めて俺に言ってくれたことだからな」
確かに俺は父さんに今まで話をしてこなかった。自分の希望なんて通ると思っていなかったからだ。
「まあ、漫画を描くなら液タブとか必要だよな。父さんが買ってやる」
「いいの?」
「ああ。息子の夢は全力で応援するぞ」
父さんの言葉に、俺は胸を熱くする。
「だから将来漫画を描けるようになったら、俺に読ませてくれよな」
「もちろん。絶対見せるよ」
俺はそう言って笑った。
翌日、俺は学校に行くと綾香さんに事の顛末を報告した。
「そう。良かったわね」
「うん。父さんともっと話しておけばよかったなって後悔したよ」
「でも、それで仲良くなれたなら良かったじゃない。親を愛する気持ちがあなたにもわかってよかったわ」
「いや、綾香さんみたいに狂愛じみてはないけどね」
「だれが狂愛よ」
そんな軽口を交せる関係だ。綾香さんの背中を見て、俺も何か夢中になれるものがほしいと思った。愛奈さんに背中を押され、俺はようやく、自分のやりたいことを見つけることができた。あとは継続してやっていくだけだ。父さんが言っていたが、漫画家志望の大半は一作も完成させることができないらしい。それぐらい、漫画を描くというのは難しいのだ。
「でもあなたがクリエイティブなことに興味を持つなんてね」
「将来診断のおかげかな」
「あれは結構いいわよね。背中を押してくれる材料になるし」
確かに何をしようか迷っている人にはもってこいだろう。実際俺も迷いが晴れたわけで。今まで将来のことは漠然としか考えていなかったけど、いざこうしてやりたいことを見つけると、明確に未来が思い描けるようになる。十年後、なりたい理想の自分像を思い描くと、そうなるために努力ができる。俺は少しだけ、自分に自信がついた気がした。
「あなたの漫画、私にも読ませなさいよ」
「読んでくれるならそりゃ見せるよ」
「当たり前じゃない。私はあなたの……友達なのだから」
最後の方はしりすぼみになったが、はっきりとそう言う綾香さん。最初の頃はこんなに仲良くなれるとは思わなかったな。なにせ、相手はあの男子に棘がある荊姫だったわけだし。でも、中身を知れば、全然好ましい人だということがよくわかった。
「じゃあお互い夢に向かって頑張ろうか」
「ええ、頑張りましょう」
俺たちは互いに微笑み合い、未来を見据えた。




