悩み
綾香さんと一緒に愛奈さんのいる家に到着する。愛奈さんは俺たちが帰ってくると、いつも優しい笑顔で俺たちを出迎えてくれる。
「今日も勉強してきたの?」
「そうだよ。こいつに私が教えてあげてるの」
「偉いわね、綾香。唯斗くんも勉強頑張ったのね」
「綾香さんは教えるのが上手いから助かってるよ」
そんな感じで会話をしながら家の中に入る。愛奈さんはお菓子を作っていたのか、奥から香ばしい香りが漂ってくる。愛奈さんは俺たちをリビングに通すと、お皿の上に並べたクッキーを差し出した。
「勉強には甘い物でしょ」
「さすが、ママ。気が利くわね」
綾香さんは一つまみ、クッキーを口へ運ぶ。俺も一つまみ齧ってみる。ほどよい甘さが疲れた脳に染みわたる。本当に愛奈さんのことを知れば知るほど、なんでもできる人だな。それでいて、若者文化のネトゲにまで手を出したのだから、愛奈さんの好奇心には舌を巻く。
「愛奈さんって凄すぎて本当に俺の友達か疑いたくなるよ」
「あら、唯斗くんだってゲーム得意じゃない」
「ゲームなんて得意でも得することはないよ」
「大事なことよ。好きなものがあるっていうのはそれだけで幸せなことなのだから。人間、好きなもののためなら頑張れるものよ」
「愛奈さんは好きなものたくさんありそうだね」
「そうね~、お料理も好きだし、みんなで遊ぶのも好きかしら。でも、本気でこれを極めたいと思える何かに出会ったことはないかしらね」
本気で何かを極めたいと思ったことか。そんなの、俺にだってない。俺はどこにでもいる平々凡々な陰キャぼっちで、得意なことも特にない。夢中になれるほど好きになれることもない。面白みのない人間だ。
「そういえば綾香さんは小説書いてるんだったよね」
「覚えていたのね」
「そりゃあね。読ませてくれるって話だったし」
「まあ別にいいけど。趣味だからそんなに上手くはないわよ?」
綾香さんが自分の部屋に俺を連れていく。愛奈さんは夕食の準備を始めるそうだ。俺は綾香さんの部屋に入ると、腰を下ろす。綾香さんは印刷した小説を俺に手渡してくる。
小説なんて読むのは初めてだ。せいぜい国語の授業で扱う教材くらいだろう。読み慣れていない俺はやはり活字で目が滑る。それでも、意外とおもしろく読めている。これは綾香さんの筆力が高いのか、それともお話の構成が上手いのかはわからないが、とにかく楽しく読むことができた。
お話としては一万文字ぐらいの短編小説で、すぐに読み終わった。
「おもしろいね、これ」
「そうかしら」
「うん。BLってジャンルはなじみがなかったけど、意外と楽しめたよ」
「どういうところが?」
「やっぱり恋愛ストーリーって障害があるほうが燃えるじゃん。でもBLって同性愛だから、そこが障害になってる。そういう意味で燃えたかな」
「なんだか私たちとは違う楽しみ方ね」
確かにBLの楽しみ方としては少し違うのかもしれない。それでも、綾香さんにここまでの文章力があるとは思わなかった。
「もっと書いてみたら。結構上手いと思うよ」
「本当に?」
「うん。だって普段小説を読まない俺でも読めたんだから」
そう言うと、綾香さんは嬉しそうに原稿を抱きしめる。
「そっか……うん、そうね」
綾香さんは俺を上目遣いで見つめると、小さく呟く。
「また、読んでくれる?」
「もちろん」
友達の好きなものを、俺ももっと知りたい。綾香さんに興味を持つことが、友達というものだろう。それに、友達になってみてわかったけど、綾香さんは結構頑張り屋さんだ。勉強は言わずもがな、趣味も楽しく取り組んでいて、俺には凄く眩しく見える。同類だと思っていたけど、本質的な部分は俺とは大きく違う人間だ。
「俺も何か見つけられるかな」
「やりたいことを?」
「うん。今は引きこもってゲームしてるだけだから。何の生産性もない」
「でも、ゲームがあなたとママをつないでくれたのでしょう」
確かに、それはそうだ。ネトゲをしていたからこそ、愛奈さんと友達になれたし、その娘の綾香さんとも友達になれた。悪いことばかりじゃない。
だが、自分の将来を考えると、このままでいいんだろうかという漠然とした焦りがある。このまま大学に進学したとして、やりたいことを見つけることができるのだろうか。
父親を見ていると、やりたくもない仕事に毎晩遅くまで働いている。まるで仕事のために人生を生きているような感じさえする。それって幸せなのだろうか。
人生は一度きりだ。生きがいというものを見つけられなかった人間は、人生を楽しめない。父親を見ていると、そう思えてくる。
こんなコミュ障で、人付き合いが上手くない人間が社会に出ても、上手くやっていける道理がない。
「あなたも結構悩むことがあるのね」
「そりゃあるよ。年頃だもの」
「私からみたあなたは、毎日何も考えずに生きていそうだったから」
「言うねえ」
俺はにやりと笑うと綾香さんの脇腹を小突いた。
「でも、悩めているのなら前に進んでいる証拠だと思うわ」
「そうかなぁ」
「まだ時間はあるのだから、学生生活を満喫しましょ」
「それもそうだね」
俺はそう言って笑うと、綾香さんを見つめた。




