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第5話:花と金貨と、灰の王子様

ヴィオラと聖女が去った後の薔薇園。

そこに現れたのは、カシアンがすべてを捧げて守り抜こうとする「光」――王子ルフレでした。


カシアンがミリ単位で管理していた白一色の世界は、ルフレの奔放な熱量によって呆気なく侵食されていきます。

秩序が崩れるその様を、カシアンはただ穏やかに、そして絶望的なほどの愛おしさで見つめていました。


完璧な王子様という「絵本」の中に閉じこもる、一匹の毒虫の独白。

彼の喉に詰まった、消えない灰の正体とは。

ヴィオラと聖女が去った後。

 

 カシアン・ヴァルデルマは、微動だにせず立ち尽くしていた。

 

 テーブルに散らばった白薔薇の残骸を見つめるその瞳は、凪いだ水面のように静かで、動揺など、既に表面上は欠片も残っていない。

 

「――おや。皆、もう帰ってしまったのかい?」

 

 生垣の向こうから、アイノアの第一王子、ルフレが姿を現した。

 

「ああ、ルフレ。彼女たちは少し、旅の疲れが出たみたいで」

 

 カシアンは、澱みのない完璧な微笑みで応じた。

 

 ルフレが、今日の高い空を気に入って笑っている。そうしてようやく深く息が吸える。

 

「そうか。せっかく、この庭の薔薇が綺麗に咲いたのに」

 

 ルフレが楽しげに笑い、ガゼボの白磁の柱に、無造作に手を触れた。

 

 その瞬間、ルフレの「心地よい」という純粋な昂揚に呼応し、周囲の薔薇が一斉に身を震わせた。カシアンがミリ単位で管理していた白一色の庭園が、ルフレの歩く先から、淡い黄金色や桃色へと勝手に色を変え、奔放に蔓を伸ばし始める。

 

「…………」

 

 カシアンの視界で、彼が心血を注いで作り上げた秩序が、ルフレという存在そのものによって、呆気なく、鮮やかに侵食されていく。

 

「カシアン、見てごらん。今日は薔薇たちも、いつもより機嫌がいいよ」

 

「……そうだね。君が来ると、この庭も本来の役割を思い出すみたいだ」

 

 カシアンの声は、どこまでも穏やかだった。

 ルフレは、カシアンの肩に親愛を込めて手を置き、ひとしきり笑うと、夕食の約束をして軽やかに立ち去っていった。


 

ーールフレが立ち去った後、薔薇園の空気は一気に密度を失った。

 

 カシアン・ヴァルデルマは、先ほどまで彼が触れていたガゼボの白磁の柱へ、導かれるように歩み寄った。

 彼はその冷たい柱に、自らの頬を深く、逃げるように寄せた。

 そこには、ルフレの掌が残した微かな、けれど確かな熱がある。

 

「……ルフレ」

 

 掠れた、祈りのような吐息。

 

 カシアンは知っている。ルフレがわざわざこの庭に足を運び、自分に声をかけてくれるのは、彼なりの親愛の証なのだと。

 

 けれど、それを純粋に享受することでさえ、カシアンには難しい。


 生きている世界が違うのだ。


 紙面からは決められた台詞しか発することは発することが出来ない。どんな感情を抱かれたとしても本が内容を変えることはない。

 絵本に描かれた王子様が、紙の中から出ることが出来ない。


 目覚めてしまえば一匹の毒虫へと戻ってしまう。

 

 そうなれば、ルフレを一目見ることすら叶わない。

 本来はそれが相応しいのだと思い知りながら、カシアンは一度見てしまった「光」を手放せずにいた。


 この城に来て、生活は大きく変わったが、……やっていることは、今も昔も変わらない。

 道端の草花を喰らい、飢えを凌ぐ。食べるものを一歩間違えれば、すべてを吐き出して死んでしまう綱渡りの日々。

 

 ルフレはアイノアの城の唯一の世継ぎで、カシアンが城に来るまでは周りに子供が居なかった。

 今ルフレが自分に関心を向ける所以は、隣国の王子であとたという一点だけである。

 

 もし、ヴィオラがもっと愛らしい性分だったなら。

 もし、聖女が守りたくなる存在だったなら。

 もし、アネモネの手紙をルフレに届けていたなら。


 ルフレが自分以外の誰かに笑い、自分の出番がなくなる未来。それも悪くないかもしれないと空想して、すぐに絶望する。

 自分には、アネモネの手紙数枚にさえ勝てる価値がないと、そう思うと耐え難かった。


「君は、それでいて。何にも囚われず自由に生きて……」


 絵本の中から差し出せるものなんて、一つもない。

 だから、せめて美しい台詞を選び、彼が自由に彩れるように、汚れのない空白のページを差し出す。


「……君が、ただ、笑っていれば、それでいいんだ」


 嘘だ。嘘だ。嘘だ。


 灰が、喉に詰まる。本当に喉の調子が良くないのは誰だろう。


 アネモネの手紙を焼いた時からきっと全てが欺瞞だ。彼に美しいアネモネの花を渡せなかった。彼は花が好きなのに。

 

 花を愛でる彼に、花を渡すことさえできなかった。

 

 かつて路地裏でやったように、花をむしり、奪い、売り飛ばし――そうして得た血生臭い金貨を、罪滅ぼしのようにルフレの足元へ捧げ続けること。

 それだけが、唯一の「愛」の形だった。

 

 ルフレがそんなものを喜ばないことくらい、誰よりもカシアンが知っている。

 カシアン・ヴァルデルマの瞳には、もはや一欠片の希望もない。確かに美しくはあったはずの「理想の王子様」でさえ、あの日手紙を燃やした灰で煤けてしまってたのだ。

 

 カシアンはただ、林檎を投げつけられるのを待っていた。

ご一読ありがとうございました。


誰よりも花を愛でるルフレに、花を渡すことさえできなかった男。

カシアンにとって愛とは難しいもので、路地裏で覚えた「奪い、売り飛ばし、得た金貨を捧げる」という血生臭い方法しかとることができません。


アネモネの手紙を焼き、ーー次はヴィオラも。積み上げた欺瞞の山の上で、彼はただルフレの笑顔だけを願っています。

灰を被った「理想の王子様」が待ち望むのは、誰かからの断罪だけなのかもしれません。

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