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第4話:沈黙の薔薇園と、人形の役目

ヴァルデルマ王宮の離宮。

一輪の萎れも許されない完璧な薔薇園で、私は再び「剪定者」カシアンと対峙します。


逃げ道をすべて塗り潰し、慈悲深い笑みで「正解」を押し付けてくる彼。

カステリアの存続という重圧に、私の心はまた「人形」へと戻りかけていました。


けれど、隣に立つ聖女は違いました。

彼女は完璧な王子を「卑怯」だと断じ、その圧倒的な重圧を真っ向から受け流したのです。

翌日。ヴァルデルマ王宮の離宮に広がる薔薇園は、美しくも残酷な静寂に支配されていた。

 

 陽光を浴びて咲き誇る花々は、一輪の萎れも、一葉の乱れも許されない。そこはカシアン・ヴァルデルマという男の執拗なまでの「秩序」が、物理的な形となって具現化した場所だった。

 

 ガゼボの円卓に座るカシアンは、ただそこにいるだけで周囲の空気を凍てつかせる。口元に浮かべられた笑みは寸分の狂いもないが温度も感じられない、彼の周りだけが本から切り出した挿絵のようだった。

 

 銀のティーポッドを傾ける所作は、一点の無駄もなく……まるで精密に組まれた機械仕掛けの人形を見ているようだった。

 

「……お待たせいたしました、カシアン様」

 

 私がルナリアを伴って現れると、彼はゆっくりと顔を上げた。


 灰色の瞳が、凪いだ水面のように私を捉える。王子様に憧れる淑女達ならうっとりと見惚れる様な瞳のその奥に、いつも私を追い詰める冷徹な「剪定者」の影が揺れた。

 

「待つのは嫌いじゃないよ、ヴィオラ。綻びを繕うための時間は、長ければ長いほど、仕上がりが美しくなるから。……聖女様も、無事に喉が癒えたようで何よりだ」

 

 カシアンの視線がルナリアへと移る。

 

 昨夜贈られた白薔薇——「余計な口を利けば、次は喉を断つ」とでも言いたげな無言の恫喝。それを突きつけられたはずのルナリアは、しかし、カシアンの正面に音を立てて腰を下ろした。


「ええ、おかげさまで。あんな不吉な贈り物をされたのは生まれて初めてでしたが、おかげで目が冴えましたよ、カシアン王子」

 

 ルナリアは、優雅に振る舞うことさえ拒絶するように、不遜な態度でカシアンを見据えた。


「先日の一連の件については、私の方で陛下へ、聖女様の力の暴走による一時的な心神喪失の影響として奏上しておいたよ」

 

 カシアンは眉一つ動かさず、ただ静かにティーカップを置く。カチリ、という硬質な音が、私の心臓を細く刻む。全部ルナリアのせいにして場を納めたと、そう言われて怒りが湧いた。


 が、咲き誇る白薔薇の群生は、目に痛いほどの純白で。その完璧すぎる美しさが、かえって私の呼吸を奪い、すべての反論を削ぎ落としていく。


 薔薇には日焼けひとつなく、瑞々しい葉とのコントラストの美しさに絵本の世界に引き込まれるかのような錯覚に陥った。


「……ヴィオラ。君がアイノアの王子との婚約を全うすること。それが、君が背負わされたお姉様の『罪』をあがない、カステリアが存続するための唯一の道だ。……理解できるね?」

 

 理解できるね。

 

 その穏やかな問いかけは、私に思考を許さない。彼はいつも、逃げ道をすべて塗り潰してから、慈悲深い神のような顔をして「正解」を突きつけてくるのだ。

 

「……はい。私は、カステリアのために……」

「いいえ。貴方が言っているのは、ヴィオラ様を都合のいい『人形』として固定したいだけの、卑怯な言葉遊びです」


 ルナリアの声が、静かな庭園に響き渡った。

 

 私の心臓が、恐怖で跳ねる。カシアンに対し、その本質を「卑怯」だと断じた者など、この国に一人もいない。

 

「……面白いね。聖女様は、身の程という言葉をまだ学んでいないようだ」

 

 カシアンの口角が、僅かに上がった。

 ーー害虫、ふいにルナリアの言葉を思い出す。

 葉を、花を、食い散らす。

 

「カシアン。貴方がどれほど完璧に振る舞おうと、貴方の過去も、その捻じ曲がった性格も変わりませんよ。貴方だってそれがわかっているから、理想の隙間をヴィオラ様という『人形』で埋めようとしているだけでしょう」

 

「…………」

 

 庭園から、風の音が消えた。

 

 カシアンの瞳が、凍りついたままルナリアを射抜く。

 けれどルナリアは、その殺意を受け流すと、つまらなそうに立ち上がって、咲き誇る薔薇を一輪、無造作に摘み取った。


 「……何を言っているのかわからないな、聖女様」

 

 カシアンの声が、一オクターブ低くなった。

 それは、怒りを超えた実体のある「圧」だった。

 

「分かっていますよ。貴方が一番隠したい、つまらない本性。だけど私はそんな話をしに来たんじゃないんです」

 

  けれどリナリアは、その圧倒的な重圧を真っ向から受け流し、嘲笑うかのように続けた。


「ヴィオラ様は、貴女の『お人形』じゃありません」

 

 花びらが、昨日のように無慈悲にむしられ、テーブルへ落ちていく。

 絵本のように完璧だった庭園が、たったそれだけの不純物で、生々しい現実味を帯びて汚れていく。


「こうやって、操られて散っていくのは貴方の方です。――貴方たち、ですかね。貴方の大事なルフレ様は、元気にしていますか?」

 

「ふふっ、君も面白いことを言うんだね」

 

少し歪んだ、それが本当の笑顔に見えた。

 彼が今嘲笑ったのは、目の前の不敬な聖女ではなく、見透かされた自分自身。

 

「いいよ、下がりなさい」


圧倒的だと思っていた重圧は、いつの間にか霧散していた。あんなに逆らえない運命だと思っていたのに。

 

「ヴィオラ、私は君がルフレ王子と結婚してくれたら嬉しいなって。そう言う話がしたいだけなんだよ。もう婚約からは長いし、今更いうことでもないかもしれないけれど。大変な騒ぎがあったから」

 

 丁寧に、優しく釘を刺してくるが、もうそれに頷かなければという恐怖感は消え失せていた。

 

 それ以上会話をする気にもなれず、黙ってルナリアに手を引かれて馬車へと戻る。

 

 カシアン・ヴァルデマルの「物語」が、崩れる音がした。今度は1ページと言わず、音を立てるほどに、ごっそりと。

ご一読ありがとうございました!


カシアンが綴る「完璧な物語」のページが、音を立てて破り取られた瞬間。

ヴィオラを縛っていた「婚約」という名の鎖が、リナリアの不遜な一言でその絶対性を失っていきます。


理想の隙間を人形で埋めようとする、空っぽな王子の本性。

それを見透かされたカシアンが最後に見せた、歪な笑みの正体とは――。


【次回の予告】

次回はカシアン視点でお届けします。

完璧な庭園に独り残された王子の、歪んだ愛と「川」の記憶。

彼がなぜこれほどまでにヴィオラを縛り、ルフレという光に執着するのか。その深淵を覗き込みます。


明日も【21:00】に更新予定です。

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