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第3話:冷え切った寝室と、白い影

カシアンから届いた、一輪の白薔薇。

それは「余計なことを喋るな」という、静かで残酷な恫喝でした。


完璧な王子の仮面の裏に隠された、川の泥にまみれた過去。

誰もがロマンチックな噂話だと笑い飛ばす「深淵」を、リナリアだけは冷徹な事実として突きつけます。


「あいつが勝手に決めた配役なんて、私が全部ぶち壊してあげますから」


毒を煽ったあの日にはあり得なかった、聖女と同じ寝台で迎える夜。

完璧な「物語」は、すでに崩れ始めていました。

リナリアが破り捨てた書状の紙片が、月明かりに照らされた床に白く散らばっている。

 

 カシアン・ヴァルデマル。

 

 彼の差し出した手を取らないということが、この国で何を意味するか。

 ヴァルデルマ王妃になるかも知れなかったお姉様の不貞から、カステリアはヴァルデルマに弱腰だ。

 王位継承権を持つ男児が居ないカステリアにとって、軍事力と複数の王子に恵まれるヴァルデルマは、負い目であり、縋るべき「希望の星」なのである。

 

「……ルナリア。貴女、本当に分かっているの? あの人は、自分の描いた図面に狂いが生じることを、何よりも嫌う男よ」

 

 私は、窓の外に広がる夜の静寂を見つめながら呟いた。

 私が毒を飲むまでの、悪夢の様な記憶。私が彼に逆らおうとするたび、彼は怒るでもなく、ただ「君のためだ」と静かに微笑みながら、私の逃げ道を一つずつ塞いでいった。

 

「分かってますよ。あいつは、自分が整えた庭園に一輪でも枯れた花があるのが許せない、完璧主義の庭師なんです。まあ実際のところはただ花を食い潰すだけの害虫なんですけど」

 

 リナリアは、私のベッドの端に腰掛け、慣れた手つきで……あるいは何かを確認するようにシーツの質感を確かめている。

 

「でもね、ヴィオラ様。あいつの言う『最善』って、結局はあいつが勝手に決めた『正解』でしかないんです。……あいつ、自分がドブ川の泥にまみれてた過去があるから、綺麗なものを『綺麗に保つ』ことに病的な執着があるんですよ」

 

「……ドブ川? さっきも言っていたけれど、そんなはず……」

 

「ええ、ヴィオラ様。貴女が知らなくて当然です。あいつは、アイノア王家の人たちが、自分の汚い噂を『気にしなかった』っていう、ただそれだけの、あいつにとっては一生ものの恩義に縋って、勝手に恩返しを演じてるだけなんです」

 

 リナリアの言葉は、相変わらず私の常識を逸脱していた。

 けれど、もし彼女の口にする全てが真実だとしたら。


 王家の侍女たちの間で、密かに流れる品のない噂話がある。ひとつ、カシアン王子が嫡男である、ということ。

 これは実は、知る人ぞ知る真実だ。お姉様が嫁いだ時に知らされたことだからカステリアの王室にも知っている者がある。お姉様が、ヴァルデルマ王妃になる「かもしれなかった」というのは、婚姻したのが正妻の子であるルシアン王子が産まれた後で、王になるのがどちらかわからなかったから。

 正確には今もそれはわからない。カシアン様が模範的であるからか、弟のルシアン王子にはいささか第二王子らしすぎる奔放さがあった。

 幸か不幸か、そのおかげでお姉様の不貞は大きな国際問題には発展しなかったとも言える。

 

 ーーそして噂はもう一つ。カシアン王子が卑しい産まれであるということ。母親は美しいが貧しい娼婦で、ヴァルデルマとアイノアとの国境を流れる川の近くの、栄えた町の路地裏で、物乞いのように暮らしていたと。

 他にも王家は噂話が溢れているが、この噂は特別人気があった。ただ、誰も本気で信じているわけじゃない。

 灰を被っていたお姫様の物語みたいに、完璧な王子様に悲劇的な過去を妄想してよりロマンチックに彩るだけの物語。


 である、はずだった。私もそう信じていた。


 けれど、もし、それが本当なら、カシアンがそれとわからない様に……時折、嫌味に、私にだけわかる様に、ルフレ様に向ける。あの凍りつくような「献身」の正体はーー

 

 その時、部屋の扉が再びノックされた。

 入ってきたのは、先ほどの老執事ではない。カステリア公爵家に仕える、見慣れない若い侍女だった。

 

「失礼いたします、ヴィオラ様。ヴァルデルマのカシアン王子より、追加の伝言を預かっております」

 

 彼女の手にあったのは、書状ではない。

 一輪の、瑞々しい白薔薇。

 

「……薔薇?」

 

「はい。『明日の茶会には、この花に相応しい装いで。……聖女殿の喉の具合も、明日には良くなっていることを願っている』とのことです」

 

 私は、その花を受け取ることができなかった。

 

 ーーリナリアが書状を破り捨てたことも、私たちが彼を拒絶しようとしていることも、彼はすべて見越している。

 

「聖女の、喉の、具合……」

 

 それは、余計なことを喋るなという無言の圧力。あるいは、喋れないようにしてやるという宣告。


「……ふん。相変わらず嫌なやつ。ヴィオラ様、その花、私が代わりに生けておきますね。……トゲを全部抜いてから」


 リナリアが、侍女の手からひょいと薔薇を奪い取った。

 彼女は、怯える侍女を下がらせると、薔薇の花びらを一枚、無造作にちぎった。


「いいですか、ヴィオラ様。明日の茶会、あいつは絶対に『正論』で殴りに来ます。貴女がいかに無力で、私の存在がいかに不安定かを説いて、また貴女に『人形』の役を押し付けようとするでしょう。……でも、あいつは分かってないんです」


 リナリアは、ちぎった花びらを、床に散った書状の死骸の上に落とした。


「ヴィオラ様は、あいつが思ってるような灰を被った悲劇のヒロインじゃない。……私が保証します。ヴィオラ様には、私がついてますから!」

 

カシアンの綴る「完璧な物語」。

 毒を煽ったあの日、私は確かにその登場人物だった。けれど、今の私は違う。

 リナリアの、紫水晶のような瞳。私のそれよりも少し赤みが強く、揺らめく炎にも見えるその光が、私にそう思わせた。


「あいつが勝手に決めた配役なんて、私が全部ぶち壊してあげますから!」

 

 完璧な物語では、お姫様は王子様と幸せに暮らすものだ。

 聖女とこうして同じ寝台で、夜を明かすことなどあり得ない。

 私はその夜、奇妙な高揚感の中で眠りについた。

ご一読ありがとうございました!


ヴィオラを再び「人形」の役に押し込めようとするカシアンの魔の手。

それに対し、リナリアは薔薇のトゲを抜き、王子の正論を「解釈違い」で殴り倒そうと企んでいます。


【次回の予告】

いよいよ運命の「地獄のお茶会」が開幕します。

明日も【21:00】に更新予定です。


完璧な王子様が、初めて「計算外の怪物オタク」に翻弄される瞬間を、ぜひお見逃しなく!

続きが気になった方は、ブクマや評価でヴィオラたちを応援していただけると嬉しいです。

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