第2話:聖域への巡礼と、死神の指先
カステリア公爵邸、私の私室。
そこは「人形」である私に相応しい、静謐な牢獄。
に、連れ帰った聖女ルナリア――リナリアは、床に這いつくばり、私の部屋の空気を「致死量」だと咽び泣き始めました。
理解不能な言語を操る彼女。
けれど、彼女が口にした「私のすべてを知っている」という言葉は、カシアンの冷たい視線よりも深く、私の心に突き刺さりました。
カステリア公爵邸、私の私室。
そこは、カステリアの「人形」として相応しい意匠を凝らされた、白と銀の静謐な牢獄だ。
「……ひっ、ふ……っ、……あ、空気が……空気が美味しい……これ、ヴィオラ様の残り香が含まれた窒素……!? 待って、無理、致死量。肺胞が、肺胞が喜んでる……」
馬車を降り、私の部屋に足を踏み入れた瞬間。
聖女ルナリア――中身はリナリアというらしい少女は、床に膝をついて激しく咽び泣き始めた。
「ルナリア、落ち着きなさい。……執事たちが戸惑っているわ」
「無理です、落ち着けるわけないじゃないですか! 見てください、あの壁に掛かったアネモネの刺繍! あれ、お姉様との数少ない思い出の品ですよね!? ああ、刺繍糸の質感が……解像度が……設定資料集の『悲劇の記憶』が、現物に……! 4K、いや8K越えの実在性……!」
「……じ、はちけー……?ろくが?」
彼女の口から零れる言葉は、どれも呪文か異国の地名のように聞こえた。
やはり、何を言っているのか一言も理解できない。
彼女は這いつくばるような勢いで部屋の隅々を観察し、時に壁を拝み、時に私のベッドの天蓋を見上げて卒倒しかけている。
前に見たはずの、あの守られるべき「聖女」の面影は、今や塵芥ほども残っていない。
「ルナリア……リナリア、と言ったかしら。貴女、さっきから『設定』だの『資料』だの……。私の過去を、どこまで知っているの?」
私が冷たく問いかけると、彼女はハッと我に返った。
床に額をこすりつけたまま、震える声で、けれど確かな意志を持って答える。
「……ヴィオラ様。私は、貴女の『すべて』を愛するために、別の世界から来ました。貴女が誰にも言えずに飲み込んだ悲鳴も、カシアンに心を削られていく痛みも……。私は全部、知っているんです」
「…………」
「だから、もう一人で耐えなくていいんです。あいつが貴女を『人形』として扱うなら、私は貴女を『神』として崇めます。あいつの書くバッドエンドなんて、私が全部、強火の解釈でハッピーエンドに上書き保存してあげますから!」
「うわがき……? ほぞん……?」
言葉の意味は分からなかったが、彼女の瞳に宿る熱だけは、カシアンの氷のような視線よりもずっと、私の凍えた心に深く突き刺さった。
その時。
部屋の扉が控えめにノックされ、老執事が青ざめた顔で入ってきた。
「……お嬢様。ヴァルデルマのカシアン王子より、書状が届いております」
私の心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
差し出されたのは、一点の曇りもない純白の封筒。
「……開けて」
執事が震える手で開封し、読み上げた内容は、静かな絶望を孕んでいた。
『親愛なるヴィオラへ。
先刻の神殿での騒動は、私の方で国王陛下へ「過度の魔力放出による一時的な精神錯乱」として正しておいた。
明日、私邸にて茶会を催す。改めてアイノア国聖女について、及び君とアイノア国第一王子との婚約維持について話し合いたい。……楽しみにしているよ、ヴィオラ』
血の気が引くのがわかった。
彼は怒っていない。
ただ、枯れかけた花を摘み取るように。乱れた刺繍の糸を、ハサミで切り捨てるように。
「……やっぱり。あいつ、心をドブ川に捨ててきただけあって、対応が爆速ですね」
背後から、低く冷え切った声がした。
「どぶがわ……?さっきも言っていたかしら……」
その言葉に、私は息を呑んだ。
ルナリアはカシアンを形容するのに嫌に汚い言葉を使うのだ。
カシアン・ヴァルデルマは、非の打ち所がない、完璧な王の血を引く王子だ。
そんな言葉が似合うはずもない。ヴァルデルマの太陽と称えられる彼に、そんな言葉を投じるなど、正気とは思えないと、国民の過半数は憤るだろう。
「ルナリア、口を慎みなさい。彼は完璧な王子だわ。そのような言葉を使うのは……」
「完璧? 笑わせないで。どれだけ白く塗り固めたって、あいつの根っこはあの汚い泥の中に刺さったままなんです。誰からも愛されず、家族にさえ望まれなかった、ただの空っぽな欠陥品。……だから、あいつには『心』なんて贅沢品は扱えないの」
「……っ!? 貴女、何を……」
それはとても小さな、毒を含んだささやき。
ヴァルデルマの王城でさえ、侍女たちの間で不穏な噂として囁かれる程度の暗部。義妹として王室に出入りしていた私でさえ、聞かなかったことにしたはずの「深淵」。
あることに気付いても知ってはいけないもの。それさえも、彼女は「当然の事実」かのように語る。
本当に、「全て」を知っているのだろうか。
「話し合いたい? 笑わせるわ。姑息な手回しをしようとしてるだけのくせに。ヴィオラ様をお庭のお花だと思ってるその傲慢さ、今すぐ更地に変えてやりたい」
彼女は私の手から書状を奪い取ると、それを目の前でビリビリに引き裂き、空中にぶちまけた。
「行きましょう、明日のお茶会。……あいつが『最善』だと信じて疑わないその冷たい地獄を、オタクの『解釈違い』で物理的に殴り倒してやりますから」
「ぶつり……? 解釈……?」
舞い落ちる白い紙片は、カシアンが絶対視する「正解」が崩壊する予兆のようだった。
相変わらず彼女の言葉は半分も理解できなかったが、私は震える拳を握りしめた。
もう、人形のように微笑む必要はない。
私の隣には今、あの方の「深淵」さえ笑顔で踏み抜く、恐るべき「怪物」がいるのだから。
ご一読ありがとうございました!
届いたカシアンからの招待状。
彼は怒ることもなく、ただ淡々と「乱れた庭園」を整え直すように、ヴィオラを再び支配下に置こうとします。
そんな完璧な王子の「深淵」を、ドブ川だと断じるリナリア。
招待状をビリビリに引き裂き、「解釈違いで物理的に殴り倒す」と宣言する彼女の姿は、ヴィオラにとって恐ろしくも心強い「怪物」に見えたことでしょう。
【予約投稿のお知らせ】
次回、更にヴィオラを追い詰めようと、カシアンの魔の手が忍び寄ります。
明日も【21:00】に更新予定です。
灰にされるはずだった物語を、オタクの熱量でどう書き換えていくのか。
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