第1話:悩める推しと、限界オタク
嵐のような神殿を後にし、馬車に揺られる私と聖女ルナリア。
先ほどまでの無双ぶりが嘘のように、彼女は「尊い」と呟きながら震えていました。
以前の彼女とは似ても似つかない、理解不能で、けれど圧倒的な熱量を持つ少女。
彼女が語る言葉は、一度死んだ私ですら知らなかった「世界の真実」でした。
――「私は、貴女の味方です」
その真っ直ぐな瞳に、凍りついた私の心臓が痛いほど脈打ち始めます。
馬車の中は、異様な沈黙に包まれていた。
アイノア神殿を飛び出し、カステリア王家の紋章が入った馬車へルナリアを押し込んでから数分。車輪が石畳を叩く音だけが、やけに大きく響く。
(……やってしまった)
隣国ヴァルデルマの第一王子を公衆の面前で糾弾し、国王まで巻き込む大不祥事を引き起こしたのだ。
以前の私なら、恐怖で指先一つ動かせなかっただろう。
カシアン・ヴァルデルマ。
銀糸のような髪を完璧に撫でつけ、一切の情欲を排した灰色の瞳を持つ男。
「……ヴィオラ様。あの、……ヴィオラ様?」
隣から、消え入りそうな声がした。
見れば、先ほどまで神殿で無双していた聖女が、借りてきた猫のように縮こまって私を見上げている。
「……何かしら。ルナリア。貴女のしたことは、取り返しのつかない……」
「無理。尊い。今の斜め四十五度の流し目、完全勝利スチル確定。……あ、録画機能ないんですかこの世界? 嘘でしょ、詰んだ。文明が遅れてる」
「……は?」
説教を遮って漏れ出たのは、またしても理解不能な言語だった。
ルナリアはガタガタと震えながら、自分の顔を両手で覆う。
「……ヴィオラ様。貴女は、何を知っているの。カシアンの不正も、私の未来も。予知の聖女の力なの……?……貴女は何者?」
問い詰めると、彼女の動きが止まった。
覆っていた手がゆっくりと下ろされ、リナリア――中身が入れ替わったという彼女の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。
「私は、ルナリア。……でも、中身はリナリアっていう、ただの『貴女の味方』です。……それと、あいつ……カシアンの『傲慢な諦め』を、ぶち壊しに来た人間かな」
「……カシアンの、諦め?」
「ええ。ヴィオラ様。あいつ、表向きは『理想の王子様』。でもその実態は、愛するルフレという太陽を曇らせないためなら、自分を含めた全ての人間を切り捨てられる、救いようのない陰険うじうじストーカー男なんです。一国の王子という最強カードをフル活用して、ルフレ様の背後霊に成り下がっている特級の害虫ですよ」
リナリアは忌々しそうに、窓の向こう、神殿の方角を睨みつけた。
「あいつにとって、ヴィオラ様もアネモネ様も、そして私さえも、アイノアを維持するための使い捨ての道具でしかない。……『ステラ・ノーツ』のカシアンルート、知ってますか? あいつ、貴女から私に宛てた最期の手紙を、まるで最初から存在しなかったことにするように、静かに暖炉へ沈めるんです。アネモネ様の手紙を焼いた時と、全く同じ、事務的な手つきで」
「……っ!」
「そして、泣き崩れる私に、あいつは自嘲気味に笑って聞くんです。『幸せな未来は見えた? 予知の聖女様』って。……あれは聖女への嘲笑じゃない。自分の手をどれだけ汚しても、ルフレを幸せにできなかった男の自嘲。……でも、そんなの、巻き込まれる方はたまったもんじゃない!」
ルナリアは、私の手をそっと、壊れ物を扱うように包み込んだ。
「カシアンは、面白いって笑うでしょうね。ヴィオラ様が反抗するのを。……でも、それは何でも自分の思い通りにしてやろうっていう傲慢な笑いじゃない。どうせ、最後には自分の思い通りにならないって確信しているからこその、乾いた自嘲なのよ。心をドブ川に捨てて来ちゃったからどんな気持ちでも笑ってるの」
ルナリアは、確信に満ちた瞳で私を見る。
「私はね、ヴィオラ様。あいつに思い知らせてやりたいんです。『幸せな未来』は、ハッピーエンドは確かにあるんだって……あいつがゴミのように扱う『心』こそが、本当に必要なものなんだって」
ルナリアの言うことは全部が全部信じられる様な物じゃなかったけれど、何故か私には彼女の語る物語が目に見える様だった。一度彼に殺されたからだろうか。
それを抜いたってお姉様の手紙のことを知っているのだから、きっと神秘の力は本物なのだろう。彼女は入れ替わったと言っていたがずっと良く知らない言葉を使う摩訶不思議な言動に逆に説得力を感じる。
それに、確かな覚悟も。
カシアンの書く、美しくも冷徹な「最善」という名の地獄。
彼女はそれを、「解釈違い」であるというハッピーエンドオタクの熱意で、粉々に粉砕しようとしている。
(……ああ、毒を煽ったあの日より。今の方がずっと、心臓が痛い)
私は、言い返す言葉が見つからず、ただ彼女に握られた手を見つめていた。
その頃。
アイノア神殿の奥深くでは、銀髪の男が、空になった自分の手のひらを見つめて立ち尽くしていた。
カシアン・ヴァルデルマ。
アイノアの「聖女」という不確定要素をどう剪定し、ルフレの傍らに生けるべきか。
彼が淡々と綴り続けてきた、美しくも残酷な終止符へと向かう物語。
そのページは今、かつてないほど無残に、そして熱烈にかき乱されようとしていた。
ご一読ありがとうございました!
義兄カシアンが綴る冷徹な「最善」を、ハッピーエンドを信じるリナリアが全力で粉砕しに行きます。
ヴィオラを「駒」ではなく「一人の人間」として、そして「最推し」として愛でる彼女の情熱。
毒を煽ったあの日より、今の方がずっと心臓が痛い――。
そんなヴィオラの心の変化は、復讐よりもずっと鮮やかな色を帯びていきます。
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