第1話:死(一周目)からの帰還
喉を焼く毒の熱さと、灰色の瞳。
それが、私の一周目の終焉でした。
目覚めれば、運命の歯車が狂い出した「聖女選定の儀」の日。
目の前には、姉を死に追いやり、私を人形として飼い慣らそうとする宿敵、義兄であり一週目の私を殺した男。
復讐を誓う私の、二周目が始まります。
熱い。
喉が焼けるような感覚と、内臓を毒が侵食していく絶望。
……あの日、無理やり飲み干させられた呪いが、まだ身体に残っている。
(……生きて、いるの?)
ゆっくりと瞼を開ける。
そこにあったのは、冷たい処刑場の石床ではなく――見覚えのある、カステリア公爵邸、自室の天井だった。
「お嬢様! 目を覚まされたのですか!?」
傍らにいた侍女の、悲鳴に近い声。
私は反射的に自分の手を見た。
白く、細く、傷一つない、若々しい指先。
私を心配してはいるものの、やつれていない若い肌。
(……戻った?……あの、地獄のような日々が始まる前に)
どうやら、私は数日風邪で寝込んでいた、ということになっていたらしい。
そんな記憶は無いし、あの出来事がすべて悪夢だったとは思えないけれど……。
暦を確認すれば、今日は「聖女選定の儀」がアイノア神殿で行われる日。
アイノア第一王子ルフレが運命の相手――ルナリアと出会い、私という「人形の姫」が不必要になった、すべての元凶の日だ。
「支度をして。……アイノアへ向かうわ」
私は、冷徹な仮面を被り直した。
今度は、あの男の思い通りにはさせない。
カシアン。貴方の積み上げた「物語」を、私が壊してあげる。
◇
アイノア神殿。
荘厳な鐘の音が響き渡る中、カシアン・ヴァルデルマは相変わらず、完璧な彫像のようにそこに立っていた。
隣国ヴァルデルマの第一王子。亡き姉の元夫。そして、ルフレ様の「友」として、この国の深部にまで根を張った男。
「……顔色が戻ったようで安心したよ、ヴィオラ」
不意にかけられた声は、どこまでも穏やかで、適切な慈しみを含んでいた。
カシアンは私の前に立つと、親愛の情を示すように、私の頬に白手袋をはめた手を伸ばした。
ーー以前の私は、その「義兄としての慈愛」に、暗闇の中の光を見る思いで縋り付いていた。
私にばかり嫌味な男ではあったが、それでも姉の夫、家族であったのだから。
だが今の私にはわかる。
彼の指先が触れたのは、愛しむためではない。瞳の揺らぎ、脈の打ち所、呼吸の深浅。それらすべてを「観察」し、私が彼にとって扱いやすい「無垢な人形」であるかを、冷徹に検分しているのだ。
「ええ。貴方も、相変わらず『理想の王子様』がお上手ですこと。お義兄様」
私は、彼の指が触れる直前で、優雅に頭を垂れてそれを避けた。
カシアンの指が、目的を失い、空を切る。
彼は不快感を見せることも、動揺することもない。
ただ、感情の抜け落ちた硝子球のような灰色の瞳で、じっと私を見つめた。
その静寂が、冬の夜の冷気のように肌に張り付く。
「……まだ調子がすぐれないのかな。そんな顔をしていたら、……お姉様が悲しむよ」
その、あまりにも「善き義兄」としての台詞に、胃の底からせり上がるような嫌悪感を覚えた。
姉のアネモネを、ルフレ様への恋慕を理由に「同盟の障害」と断じ、一歩ずつ、静かに絶望へ追い込んだのはこの男だ。
姉がルフレ様に宛てた手紙を握り潰し、信頼していた侍女を買収して「ルフレ様は貴女を疎ましく思っている」という偽りの情報を吹き込み続け、彼女の心を削り、死に追いやった。
それなのに、彼は本気で、姉の死を「悼んでいる」ふうを装えるのだ。
「お姉様は、貴方のことも信じようとしていたはずよ。最期まで」
「ああ、そうだね。彼女は本当に純粋で、だからこそ、『間違い』を犯してしまったんだ。……俺はね、ヴィオラ。花は枯れたまま生きるより、美しく土に還る方が幸いだと思うんだ」
声に悪意はない。
ただ、枯れた花を摘み取るのが「花の尊厳」を守るためだと信じて疑わない、狂信的なまでの独善。
この男は、お姉様を憎んでいたわけではないのだろうか。
もし不貞を暴き、彼女を貶めたいだけなら、あの手紙を公に出して罪を問えばよかったはずだ。なのに彼はそうせず、わざわざ「悲劇の病死」を演出し、誰の目にも触れぬよう、姉を闇の中に葬った。
……そこに秘められた痛ましい過去を、前の私は気にも留めていなかった。
しかし、一度殺された私には、ふとさまざまな疑念が湧いてくる。
どんな疑念でさえ、目の前の男――疑惑の渦の中心地であり、「正しい死神」である彼の、あまりにも腹立たしい言動に簡単に飲み込まれてゆくのだが。
「……君にはルフレ様の隣で、美しく笑い続けてもらわないと。それが君という存在の、最も正しい在り方であり、お姉様への何よりの手向けなんだから」
彼は私の耳元で、慈しむように囁いた。
前の私は、この逃げ場のない正論の檻に閉じ込められ、彼の手に引かれるまま、毒を煽る道へと進まされた。
だが、今の私の背後には、生きようという覚悟がある。
ルフレの馬鹿も、ルナリアの無知も許さない。
カシアンの綴る美しい呪いを、跳ね除ける覚悟が。
「いいえ、お義兄様。……なんでも貴方の思い通りになるなんて思わないことね」
「ふふ、面白いことを言うんだね、ヴィオラ」
カシアンは、私の言葉を「病み上がりの妄言」として聞き流したのか、優雅な動作で視線を祭壇へと戻した。
悲劇のヒロインになんて、なってやるものですか。
――その時。
神聖な静寂に包まれていた神殿の空気が、一変した。
ご一読ありがとうございました。
復讐を誓い、カシアンの「物語」を撥ね退けようとするヴィオラ。
ですが、カシアンという男は、悪意ではなく「正しさ」で人を殺す、最も厄介な死神です。
そんな静寂に包まれた神殿の空気を、一変させたのは誰か。
次回、運命の歯車が「物理的に」回り出します。
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