第23話 新たなる装束と阿倭の魔法器
星霊暦五〇四年一月二十六日、土曜日。昼。
「まったく……修業に励むのは大いに結構ですが、いくらなんでも汚れすぎじゃありませんか。三人とも、すぐにお風呂へ行ってきなさい!」
「「「……ごめんなさい」」」
宿の裏手で、エセル、メル、空八兵衛の三人は、ハムサの容赦ないお説教を前にしょんぼりと肩を落としていた。
朝から船の甲板代わりに見立てた広場で特訓をしていたのは良いが、熱が入るあまり、泥まみれ、汗だくの惨状になっていたのだ。
この後、一行は阿倭の国へ向かうための「衣服」を調達しに行く予定であった。さすがにこの泥だらけの格好で呉服屋の暖簾をくぐるわけにはいかない。
三人はハムサに急き立てられるようにして、宿の近くにある銭湯へと駆け込んだ。
ちなみに、武虎に関してはお七にどやされながら、昼の市場へ野菜を売りに行かされている。昼間に鉢合わせる可能性もあったが、今夜はお七の旦那の家で夕食をご馳走になる約束だから、結局再び会うことにはなりそうだった。
◇
身支度を終え、さっぱりとした一行は、宿から港の繁華街へと向かい、八兵衛が見繕っていた呉服店へと足を踏み入れた。
これから向かう阿倭の国に馴染むため、それぞれの服装を『阿倭風』に改めるのが目的だ。
試着室から出てきた女性陣四人は、互いの独特な装いを見て感嘆の声を漏らした。
女王であるイマは、少し上等な布地で仕立てられた『壺装束』と呼ばれる出で立ちを選んでいた。頭には市女笠を被り、そこから垂れ下がる薄く透き通った布(虫の垂衣)が、彼女の気品ある顔立ちを神秘的に覆い隠している。
「私のこの服装は、なんでも壺装束というらしいのですが……この薄絹の笠、とても理にかなっていますね」
「ええ。ある意味、顔を上手く隠せやすからね。誰かにその笠を被せて影武者にしちまえば、イマ様は庶民の服に紛れて行動するって手も使えやすぜ」
八兵衛が忍びらしい視点で答えると、イマも納得したように頷いた。
「たしかに、いざという時はその案が使えそうですね」
一方のエセルは、薄い青色を基調とした小袖を身に纏っていた。いわゆる『町娘』風の着物だが、動きやすさを重視して裾を短めに仕立て直してもらい、下には袴を合わせている。
エセルはくるっとその場で回って見せた。
「八兵衛、この服装で戦ったり走ったりできますかね? なんだか、普段の服より少し窮屈に感じます」
「たしかに、阿倭の女性の着付けってのは帯がきつめですからねぇ。あっしのように、下は袴で足元はブーツってな具合に和洋折衷にしちまっても良さそうですぜ」
「そうですね。阿倭の靴……草履や下駄というのでしたっけ? あれは鼻緒が親指と人差し指の間に挟まって、気になって気になって走りにくくて……」
阿倭の国では当たり前の履物であっても、エセルたちにとっては機能性に欠け、戦いには不向きだった。結局、靴だけはこれまで履き慣れた革のブーツをそのまま使うことになった。
倭の着物に洋のブーツ。不思議な組み合わせだが、異国情緒と機能美を見事に両立させたスタイルに落ち着いた。
メルとハムサも、護衛としての動きやすさを最優先し、水干や袴をベースに革のベルトで腰を締め上げ、足元はブーツという身軽な剣士スタイルで決めていた。
永崎まで船に乗ることを考えれば、あまりにも「普通の町人」すぎるのも不自然だ。武辺者としての空気を適度に残したこの装いが、ちょうど良い落としどころだった。
◇
着替えを済ませた一行は、昼食をとるために港の市場へと向かった。
八兵衛が事前にお七から聞き出していたという、鮮魚が自慢の食事処【丸誠】を目指して歩いている最中、ふと、威勢の良い商人の客寄せの声がエセルの耳に飛び込んできた。
「さぁさぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 烏鷺町幕府公認、魔除けの護符に魔除けの魔法器はいかがかね! 護符なら一枚なんと銅貨十枚! 魔法器なら一個で銀貨十枚の大特価だよ!」
「もう夏の草刈りで汗水垂らす必要はなし! 魔法除草水、たっぷり五リットル入って銅貨三十枚! 無駄な農作業とはこれでおさらばだ!」
「魔法腐葉土、十キロで銅貨二十枚! 虫も寄り付かねぇ優れもの! 今年の豊作は間違いなしだよ!」
エセルにとっては聞き慣れない道具の名前ばかりだったが、彼女の頭の中ではすでに素早い計算が始まっていた。
「八兵衛。あの魔除けの『護符』ですが、一枚で銅貨十枚ということは、だいたい私たちの一食分のお値段ですよね。その価値はあるのでしょうか? ……それに、魔除けの『魔法器』というのも、私は初めて見ました」
「うーん……」
八兵衛も腕を組んで唸った。
「あっしも陰陽書由来の魔法護符は使いやすが、あすこに並んでる護符は見たことのねぇ柄ですねぇ。ただ、あの『魔法器』ですが……イマ様が船の上で対策してくだすった、あの火の魔法器とは仕組みがやっぱり違いそうですかい?」
イマも、笠の奥で目を細めて商品を観察していた。
「私も、ずっとガラーシャ村にいたから魔法器の詳しいことは分からないですが……少なくとも、火の魔法器とは別の作りをしているように見えますね……一見すると阿倭独自のものなんですかね……八兵衛は分かりませんか?」
「多分、イマ様が言うように阿倭で作られたもんだと思いやすが、ちょっと、近くで見てみやすかい?」
普通に買い物を楽しむ観光客のように、エセルたちは魔除けの護符を売る露店の前へと足を運んだ。
「いらっしゃいませ! おや、変わった倭服を着た異人の別嬪さんたちだね! どうだい、魔物除けのお守りに護符はいかがかな? 効果は一ヶ月、範囲は半径三メートルだが、旅のお供にゃもってこいだよ! そっちの魔法器なら、壊れなきゃ効果は無制限だし、範囲も半径十五メートルと段違いだ! 予算があるなら、断然魔法器がおすすめだよ!」
店主の口上に、八兵衛が顎を撫でながら思案顔になる。
「えぇーっと、どっちの方が得なんでしょうねぇ……。銀貨十枚ってこたぁ、金貨一枚と同じですよね。護符は一ヶ月しか持ちませんが、昼飯一食分の値段なら……買いやすさを考えりゃ、護符の方が良さそうにも思えやすが」
メルも「ふむ、そうかもしれんな」と深く考えずに頷きかけたが、そこでエセルが口を開いた。
「どれくらいの期間で壊れるかは分かりませんが、魔法器は銀貨十枚、つまり銅貨千枚分ですよね。護符との価格の割合で言えば『百対一』です。ですが、効果範囲の半径が五倍ということは、面積で考えれば二十五倍の広さをカバーできます。護符で同じ広さを補うなら一ヶ月で銅貨二百五十枚。つまり、魔法器がたった四ヶ月壊れずに使えれば、元は取れる計算です。初期投資の資金があるのなら、長期的に見れば魔法器の方が圧倒的にお得だと思います」
そのすらすらとした暗算と、物の「価値」に対する冷静な計算に、八兵衛は目を丸くして感心した。
「……なるほど。そう言われりゃ、たしかに魔法器の方が得に思えてきやすねぇ。いやはや、エセルのお嬢はたいしたもんだ。……で、どうしやす? 買いやすかい? 海でも陸でも、魔物には出くわしたくねぇですからね」
「ちょっと、実物を見てみないと分かりませんね」
イマは、購買意欲というよりは、自分の知らない技術に対する警戒と不信感を抱きながら商品を指差した。
「店主さん、お手にとってもよろしいですか?」
「へい! こんなお綺麗な美人さんに言われちゃ断れねぇよ! でも、大事な商品を汚さないでくだせぇよ!」
「店主。どう見たって汚れてるのは、あんたのほうでさぁ」
「わははは! お兄さん、そりゃ間違いねえ! こりゃ一本取られたね! ……って、こら!」
店主のノリツッコミの了解を得て、イマはじっくりと魔法護符と魔法器を観察した。
「八兵衛。この護符ですが、あなたが普段使っている魔法護符と何か違いますか? 少しだけ私の魔法に反応して力を感じるのですが、魔力の流れの道筋が少し違うようです」
「ほぉ、マターナを使える方はそんなことまで感じ取れるんですか。……まぁ、護符の墨汁には魔法石を砕いた塗料……主に碧玉が混ぜ込まれてるんですが、おそらくその墨が反応してるんだと思いやすぜ。ただ、護符の文字模様は、あっしには分からねえです」
「では、こちらの魔法器は? 使われている魔法石はペリドットのようですが……西の諸国やロゴス教圏でもこのような構造のものは見たことがありません。これは阿倭独自の技術なのでしょうか?」
「いや、そんなこたぁねぇです。アルケテロスの技術をちゃっかり取り入れた過去の幕府の工場ってのがあるんですが、おそらく、そこから出回ってる模造品か製品だと思いやす」
「アルケテロス……。阿倭ではアルケテロス教の影響を心配する必要はないと、オラム様からはお聞きしておりましたが」
「ええ、間違いなく今はまだ、アルケテロスの『軍隊』が攻めてくる心配はいりやせんよ。そもそも、アルケテロスから阿倭までの純航路は、難所ばかりの大航海でさ。まぁ、阿倭の職人ってのは妙なこだわりと探究心が強えもんで。西の技術をとことん真似して、自分たちでそっくり以上になんとなく形にしちまうんでさぁ」
イマは、少し驚いたように魔法器を見つめ直した。
「これを見よう見まねで作ったと? 彼らはアカデミアを出た魔法技師ではないのでしょう?」
「阿倭には魔法技師ギルドなんて気の利いたものはありやせんよ。鍛冶ギルドだとか、忍びのからくり師だとか、そういった職人が集まった国のお抱えの工場で作られたんでしょうね。今で言えば、烏鷺町幕府の息がかかってるはずですがね」
「なるほど……技術の伝播というのは恐ろしいものですね」
イマは静かに呟くと、店主に向き直った。
「では店主さん、こちらの魔法護符を十枚、いただけますか?」
「へい! まいどあり!」
一通り品定めをした後、冷やかしになるのを避けるため、イマは魔法護符を購入して八兵衛に持たせ、再び食事処【丸誠】へと歩き出した。
露店から少し離れた後、エセルが不思議そうにイマに尋ねた。
「お母様。さっきの計算では魔法器の方がお得だとお話ししたのに、なぜ護符の方を買われたのですか?」
「そうですね……。まず、あの魔法器に使われていたペリドットよりも、私たちが身につけている『魔法装具』の魔法石の方が、遥かに聖霊力が高いというのがあります。私たちのイナウレス自体が、すでにある程度の魔除けの効果を持っているのですよ」
「では、護符も買わなくてもよかったのでは?」
「それは、商品をあれだけじっくりと触らせてもらった義理もありますし……何より、今夜お世話になるお七様たちへのお土産代わりに、ちょうど良いと思ったのですよ」
「あ! そういうことだったのですね!」
「なんだか、うちの姉ちゃんへのお土産に気を使わせちまって、申し訳ありやせんね。でもお得な魔法器でも良かったんですぜ」
「それだと、お七さんが逆に気を遣いすぎて迷惑になるでしょ。八兵衛が怒られてしまいますわ」
「…そうですねぇ」
八兵衛が、たしかにと思うように頭を掻く。
「それに。本当に効力があるのかどうか、私自身も少し確認してみたいという好奇心もありましたから。八兵衛も知らない作りの護符だと言うので」
「まぁ、魔除けなんて使う機会がねぇのが一番なんですがね」
エセルは、自身が右耳に着けている魔法装具にそっと触れた。
この私の角だった石や、お母さまからいただいた魔法石が、魔物から自分たちを守ってくれている。これから先も肌身離さず大切にしなければ。
そんなことを思いながら、エセルは港の潮風に少し短くなった着物の裾を揺らし、活気あふれる食堂へと足を踏み入れた。




