第20話 八兵衛とお七
「あれ……? もしかして……お七姉ちゃん?」
八兵衛の口からこぼれた震えるような声に、大根の葉を握りしめていた恰幅の良い女性は、パチグリと目を瞬かせた。そして、改めて目の前の男の顔をまじまじと見つめ込む。
「……八? 八兵衛! 八兵衛じゃないか! あんた、元気にしてたのかい!」
「お七姉ちゃん……なんで、なんでこんな辺境の白島にいるんでさ!」
互いの素性が分かった瞬間、二人の間にあった数年分の空白が一気に吹き飛んだ。
八兵衛が感極まったように一歩前に出ようとしたが、お七はバシッと片手を前に突き出してそれを制した。
「感動の再会と行きたいところだけど、卸先さんにこの野菜を持っていかなきゃならないんでね! あたしに抱きつくのは後にしな!」
「抱きついたことなんて、昔から一度もねぇですって! あっしらは崑花南って宿に泊まっていて、今からちょうど『心盛』に飯を食いにいくところなんですがね」
「なんだい、心盛さんならあたしが今から野菜を卸に行くところだよ! 丁度いい、ついてきな!」
再会の余韻に浸る間もなく、エセルたちは「八兵衛の姉」を名乗るお七の嵐のような勢いに呑まれ、彼女の背中をついていくことになった。
横を歩く八兵衛の顔を盗み見ると、この白島での再会が本当に予想外だったのか、動揺と興奮を内に秘めたような、ひどく落ち着かない表情をしていた。
「いやぁ、美人の外人さんたちに囲まれて歩いてるから、全然八兵衛だとは気づかなかったよ! よく見ると、あんただけ浮いてるね!」
「……あながち間違ってはいやせんが、久しぶりに会って言う言葉がそれですかい?」
「あははは、すまないね。いやでも、八年ぶりくらいかい?」
「あぁ。あっしが商人に扮して阿倭から離れていた時からだと、そんなもんですかね」
二人の気安くも懐かしげなやり取りに、エセルは興味津々で会話に割って入った。
「八年も会っていなかったのですか? 私たちが今、八兵衛を独占してしまって申し訳ないですわ」
「いいのよ、お嬢ちゃん。気にしないで。そもそもこの子はそういう『仕事』だから、今後会えないこともあるだろうって覚悟はしてるしね」
「寂しくはないのですか?」
「うーん、大人になるとそういうことは仕方ないって、開き直ってるのかねぇ。まぁ、あたしもこの白島で結婚したし、今はこの生活が大事さ!」
「け、結婚!?」
八兵衛が素っ頓狂な声を上げ、思わずむせ返った。
「姉ちゃんが、結婚した? え? できた? 嘘言ってないです? まさか……さっき大根で殴り倒した、あの若い人じゃありやせんよね」
「馬鹿言いなさんな! タケは養子さ! ……さ、着いたよ。積もる話は後にするよ!」
『心盛』と書かれた立派な暖簾をくぐりながら、お七は振り返らずに言った。
「養子って……なるほど。血は繋がっていなくても類は友を呼ぶと言いやすか、行動が姉ちゃんにそっくりでさぁ」
「どこがだい! さぁ、あんたたちはお客なんだから、さっさとお入り!」
お七が勝手知ったる様子で厨房へ野菜を運んでいくのを見送り、イマが感心したように息を吐いた。
「まるで、太陽のようなお方ですね。八兵衛殿に、あのように素敵な姉君がいらしたとは存じておりませんでした」
「太陽なんて、そんな生温かいもんじゃないです。あの人は台風ですよ、台風。……さっ、姉のことは置いておいて、早く食事にしましょう!」
八兵衛に促され、エセルはハッと気がついた。
漂ってくる、芳醇な醤油と魚の焼ける匂い、そして出汁の甘い香り。鼻腔をくすぐるその香気に、エセルのお腹が「きゅるる」と可愛らしく、しかしはっきりと鳴った。
間違いなく、この店は美味しい。本能がそう告げていた。
◇
店員に案内されたのは、店の奥にある広々とした座敷だった。
入り口で靴を脱いで上がるという阿倭特有の習慣に、エセルたちは最初戸惑ったものの、上がってみればそのい草の感触は心地よかった。
「部屋に外の泥を持ち込まないという点で、衛生面的にも理にかなっていますね。学ぶべきものがありますわ」
感心するエセルの前に、次々と豪勢な料理が並べられていく。
運ばれてきたのは、海の幸をふんだんに使った炊き込みご飯の御膳だった。小鉢には、角が立つほど新鮮な地魚の刺身。
そして、お吸い物代わりのお椀には、五色の鮮やかな細麺が上品な出汁に浸かった「五色うどん」が添えられている。
「いただきます!」
食いしん坊のメルが、真っ先に刺身を口に放り込んだ。次の瞬間、彼女の目が限界まで見開かれる。
「むぅっ!? さ、刺身……! 魚を生で食べることはガラーシャ村でもしたことがないのに、この身の弾力と鮮度はなんだ!? 臭みが全くない……うますぎる!」
「へっへっへ。川の魚は寄生虫がいるから火で焼かなきゃいけねえんですが、海の魚は回虫さえ気を付けりゃ、獲れたての刺身は抜群にうまいんでさ」
倭食の真髄に触れ、八兵衛の解説がいつも以上に冴え渡る。
「五色牛も備豚も、初めて食べましたが、味が本当に濃厚ですね。この『醤油』という黒い調味料をつけるだけで、極上の味ですわ」
「五色うどん……細いのにこのしっかりとしたコシ。そして何より、この優しいお出汁が五臓六腑に染み渡りますねぇ」
イマもハムサも、出された料理の洗練された味わいに舌鼓を打っていた。
大人は阿倭特有の『冷酒』を、子どものエセルは白山の湧き水から汲まれたという清らかな天然水を傾ける。
「この冷酒というお酒……お米から作られていると聞きましたが、まるで桃のようにジューシーで、フルーティな甘みがありますね。すっきりとしながらも奥深い……」
「うまい! うまいぞ!」
元々話が上手い八兵衛だったが、祖国の美味い飯と酒を前に、これほどまでに饒舌で嬉しそうな彼をエセルは見たことがなかった。
◇
五人が大満足で御膳を平らげ、温かいお茶で一息ついているところへ、仕事を終えたお七が顔を出した。
「先ほどは、どうも。八兵衛がいつもお世話になっております。あたしは、八兵衛の姉貴分の『お七』といいます」
「こちらこそ。むしろ八兵衛様には、数え切れないほど助けていただいております。私はイマ。娘のエセルと、こちらは従者のハムサとメルです」
「ところで姉ちゃん」
挨拶もそこそこに、八兵衛が真剣な顔つきで本題を切り出した。
「なんで姉ちゃんは、この辺境の白島に嫁いだんでさぁ?」
「八兵衛。あんたは六年前、嬉野が、烏鷺町幕府によって取り潰されたのは流石に知ってるよね?」
その言葉に、八兵衛の顔から笑みが消えた。
「……もちろんでさ。当時、テサロニケから阿倭に帰ろうとしたら、琉宮の関所で『嬉野のカードはもう使えない』って足止めを食らいやしたからねぇ。仕方ねぇから、ロゴス教圏の大手『ノウァーリス』のギルドカードをなんとか取得して、向こうで案内人として働いてたんでさ」
「あたしも、あの取り潰しの時に嬉野から逃れてね。この白島に落ち延びたら、今の旦那と出会って……まぁ、落ち着いたってわけさ」
エセルたちは、二人の積もる話に静かに耳を傾けていた。
八兵衛とは長く旅をしてきて信頼しているが、彼は自身の過去を中々語ろうとしない。こうして彼の深いルーツを知れるのは、エセルにとって非常に興味深かった。
「八兵衛様のギルドが、その『烏鷺町幕府』に取り潰されたとのことですが……それは、どのような理由で?」
イマが穏やかに尋ねると、お七は少し頭を悩ませるように首を傾げた。
「説明するのが難しいねぇ。……簡単に例えるなら、この阿倭の権力闘争で、歴史の長い『王様』を嬉野が匿ったという罪で、新興勢力である烏鷺町幕府から目をつけられ、取り潰されたってことだね」
「新興の幕府に、王はいないのですか?」
「そりゃいるさ。『明天皇』っていうんだけど、ありゃ烏鷺町幕府の実権を握っている利尊氏の完全に傀儡だね。もともと、利尊氏が自分の都合のいいように擁立した天皇だってことは、天下の誰もが知ってるからね」
「阿倭は、本当の王が治めていない国なのですか?」
「うーん、今はそうかもしれないね。うちらが仕えている『巫天皇』様は、正当な血筋で実権もあったんだけど、争いが嫌いな優しい人でね。ずる賢い奴らに取って代わられちまったってわけさ」
(……王が実権を失い、ずる賢い者たちに国を奪われる)
エセルにとっては複雑な阿倭の情勢だったが、自分の祖国・カナン王国が辿った権力争いの歴史と重ね合わせることで、驚くほどすんなりとその構図を理解することができた。
ふと隣を見ると、お腹がいっぱいになったメルが、腕を組んだまま船を漕ぐようにカクンカクンと居眠りを始めている。エセルは苦笑しながら、メルの姿勢をそっと直してあげた。
「では、その嬉野の方々は、今はご無事なのでしょうか?」
「あぁ、大丈夫さ。巫天皇様を無事に隠れ里へ護衛したしね。……あ、もちろん、この話はここだけの秘密にしといておくれよ」
「もちろんですわ」
八兵衛は、エセルたちの亡命の状況が、巫天皇や嬉野ギルドの境遇と酷似していることに思い至り、話を先へと進めた。
「ここで姉ちゃんと会えたのは、正直神の助けでさ。実は知りたいことがあるんですが……今でも、阿倭の本土から西の律教国へ抜ける船は使えますかい? あっしが二年前まで使っていた、杜佐、伊伎島、津島を抜ける一般的な航路がありゃいいんですが」
「いや……それは難しいと思うよ」
お七は、少し顔を曇らせた。
「烏鷺町幕府による関所の取り締まりが異常にきつくなったのもあるけど、何より……一年前から阿倭の本土では、悪霊やら妖怪……そっちの国でいうなら『魔物』が頻繁に出るようになってね。移動そのものが命がけなのさ。みんな『百鬼夜行だ』なんて言って、夜出歩くのをひどく恐れてるよ」
「阿倭の内陸にまで魔物ですかい。海鬼といい、世界がどんどん危なくなっていやすね」
魔物の発生。その言葉に、イマの目の色が鋭く変わった。
「一年前からの異変ですか。自然に魔物が突然発生することはありません。明らかな原因があるはずです」
「お母様。それは以前、砂漠で教わった……魔法の過剰使用による『瘴気』の発生が原因ということですか?」
「その可能性が最も高いです。お七さん、ここ数年の阿倭の国で、大規模な内乱や戦争などはありましたか?」
「いや? 六年前の嬉野取り潰しの時は小競り合いはあったけど、魔法を打ち合うような血なまぐさい戦争はなかったね。一番大きな戦争といえば、烏鷺町幕府ができるきっかけになった十年くらい前の『東西朝の戦い』だけど……それが原因って言うのかい?」
「十年……ですか。それは考えにくいですね。魔法による瘴気の影響は、遅効性ではなく速効性が高い。一年前になにか『とんでもない魔法』が局地的に使われたとしか考えられませんが……争いがなかったというのも不可解です」
とんでもない魔法という言葉に、八兵衛が反応した。
「とんでもない魔法っていったらイマ様の魔法だと思うんですがねぇ」
「いや、あの魔法を一回使っただけでは瘴気などできませんよ……あくまでもざっとですが、あの魔法を百回ほど使わなければ瘴気はうまれません」
「百回ですかい! そりゃ確かにとんでもねぇですね」
イマは、自らの持つ知識と阿倭の現状の矛盾に、深く頭を悩ませた。
しんと静まり返った座敷の空気を変えようと、お七がパンッと手を叩いた。
「ま、あたしら庶民が悩んでも仕方ないさ。とにかく、烏鷺町幕府の世になってから、空気自体がなんだか澱んでいて変なんだよ。あたしはもう忍びギルドから足を洗った口だが、おそらく巫天皇様もこの状況を変えようと動いているはずだ。本土に入ったら、八兵衛の馴染みの隠れ家に行ってみたらいい。詳しいことは、そっちで聞いた方が確実だよ」
「この白島は、大丈夫なんですかい?」
「本土の永崎の港は幕府の目が光ってるから気をつけた方が良いけど、この白島は田舎だから幕府の人間はめったに来ないよ。でも、魔物に関しては分からないから用心した方がいいね。最近、白島でも『畑荒らし』が出てるんだけど、足跡を見るに人間や猪の類じゃないって話もあるからさ」
「なるほど。なら、出歩く時は集団行動がいいってことですね。まぁ、二泊三日の予定なんで、そうそう歩き回ることもありやせんが」
「二泊三日。そうかい。なら、明日の夜はうちでご飯を食っていきな! うちの旦那にも合わせたいしね」
「あの武虎っていう若いのが、また『用心棒にしろ!』って言ってきやせんかねぇ」
「言うだろうね! でも、八兵衛にならタケを預けても安心だねぇ! どうだい、意外と働き者だよあの子は!」
「姉ちゃん……まさか、厄介な疫病神をあっしらに押し付けようとしてるんじゃありやせんかね……?」
「あはははは!」
◇
久しぶりの再会に話の花が咲き、夜が更ける頃にお七と別れた。
エセルたち一行は、上弦の月に照らされた土の路地を歩き、宿である崑花南へと戻ってきた。
い草の香りがする畳の上に敷かれた、ふかふかの布団。
初めての阿倭の国での床は、揺れる船の上とは比べ物にならないほど心地よく、夜風を障子越しに感じながら、エセルは深く、安らかな眠りへと落ちていった。




