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星輪のギメルス エセル編  作者: アドム・ザナヴ


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第19話 白島への寄港

星霊暦五〇四年一月二十五日、金曜日。朝。


「おーい! 白島が見えたぞー!」


 メインマストの頂にある見張り台(カラスの巣)から、嬉々とした声が降ってきた。

 その声に呼応するように、甲板で作業をしていた船員たちが一斉に東の方角を見やり、すぐさま寄港のための確認作業へと活気づく。


 そんな慌ただしい船尾甲板の片隅で、エセルはただ一人、目を閉じ、己の手のひらへと意識を集中させていた。少し離れた場所では、メルと八兵衛がその様子を見守っている。


「エセルのお嬢、今日の指導はここらでお休みにして、降りる準備をしましょうか」

「ちょっと、待って……今、少し良い感じだから……」

「エセル様、良い集中です。八兵衛、邪魔をするな」


 エセルは現在、自身の先天性固有魔法【魔法(マターナ)】の出力を精密にコントロールする修行を行っていた。

 ガラーシャ村を出てから、母イマや八兵衛を通じて魔法の知識を得てきたが、彼女たちが使う「マターナ」は、現代に普及している一般的な魔法とは根本的に異なる。


 八兵衛が使う阿倭(あわ)独自の【陰陽書(おんみょうしょ)】や、アルケテロス教の【魔法機器】などは、聖霊の力を借りるための触媒(魔法石)と、契約文言である魔法制御文章(ベレーシス)を必要とする。言わば、外部にある力を「正しい手順」で引き出す技術だ。

 しかし、エセルのマターナは違う。彼女の内に宿る生命力そのものを源とし、魔法石を触媒にして直接イメージを具現化する。母が言うには、かつて竜民族はこのマターナによって繁栄し、呪文の書物など必要としなかったという。


 だが、「力をイメージする」ことや「聖霊の性質を理解する」ためには、既存の魔法理論を学ぶことが一番の近道でもあった。


(風は見えないし、土は船の上にない……だから、水と火を……)


 エセルは、右の手のひらの上に水の球を、左の手のひらの上に火の玉を、それぞれ拳二つ分ほどの高さに浮かべて保持する修行を続けていた。水はうまく球体を保っている。だが、問題は火の方だった。


ボゥッ!


「あっ」

「あちっ! あちちちちッ!」


 空中で弾けた火の玉が、不運にも風に流され、八兵衛の頭に見事に落ちた。


「キャッ! ごめんなさい八兵衛!」

「エセル様、先ほど難しいことを考えて気が散っていませんでしたか?」

「……図星です。けど、本当に難しいですね。火を手のひらの上に作った状態を保つだけなのに……もう少しでうまくいきそうなんだけど」


 エセルは、手の中で暴れようとする火の性質をうまく掴みきれずにいた。感覚主体の練習ゆえに、言葉で教えるのも教わるのも一苦労なのだ。


「エセル様、水はうまくいってますから、火もうまくいきますよ! 『火よ動くなー! じっとしろー! ボーボボ!』って念じるんです!」

「……う、うん」


 メルからの、語彙力を放り投げた感覚100パーセントのアドバイスに、エセルは苦笑いするしかない。


「あっしからすると、そこに火を保つという芸当自体が凄すぎて、よく分からねえですね。護符の魔法といったら、ババーッ!と出しておしまいですからね」

「まぁ、私も実戦の時はそうなのだが、魔法(マターナ)をコントロールするには、よくこの練習をさせられたものだ。私もかくいう苦手でな。当時の教官が、魔法のコツをなんか言っていたな」

「メル! それをまず思い出して!」

「うーん……私にはピンとこなかったのでよく覚えてないのですが、『呼吸をイメージしろ』って言ってましたね」

「呼吸、ですか?」

「『息を吸って止めておくのが保持、息を吐くのが放出』なんてことを言ってましたが……私は、『泥団子を作るのが保持、泥団子を敵に投げるのが放出』で覚えましたよ!」


 胸を張って答えるメルに、エセルは少し呆れ気味にため息をついた。


「……なんか、魔法(マターナ)って適当なんですねぇ。あっしは定型文がある護符の魔法の方が楽ですが、なんの準備もなく出せるのはやっぱりズルいですぜ」

「僻むな僻むな。鳥が空を飛べるように、魚が海を泳げるように、私たちは偶然魔法(マターナ)を使えるだけだ」

「息を吸うように、か……」


 エセルが再び手のひらに意識を向けようとした時、ハムサが「寄港の準備を早くしなさい」と三人を呼びに来た。


◇


 五色列島のひとつ、白島(しらしま)の福江港が目の前に迫っていた。

 船上から見下ろすエセルの目に映ったのは、これまで見てきたどの街とも違う風景だった。カラッチの街ほどの規模はあるが、南ミズラハ半島で見たような石造りやレンガ造りの重厚な建造物はほとんど見当たらない。


 家々の大部分は、黒っぽい板張りの壁に、瓦や茅(かや)で葺かれた屋根を持つ木造建築だった。海風を避けるためか軒は低く、家々が肩を寄せ合うように密集している。

 一見すると素朴で質素だが、木と土が織りなすその町並みは、どこか温かみを帯びていた。

 そして何よりエセルの心を打ったのは、港の美しさだった。海底まで透き通るようなエメラルドグリーンの海と、弧を描く砂と玉砂利の浜。それは、生まれ育ったガラーシャ村の豊かな自然を彷彿(ほうふつ)とさせた。


「全然場所は違いやすが、見たことがあるような町並みを見るだけで、懐かしさを覚えるのは不思議なもんでさぁ」


 後ろに立つ八兵衛が、目を細めて阿倭の風景を懐かしんでいた。


 港に着岸すると、すぐに威勢の良い怒号と掛け声が飛び交い始めた。

 船員たちは、最終目的地である永崎へ向かうための準備に取り掛かっている。太い麻縄と巨大な滑車がギシギシと音を立て、船倉から古い木箱や樽が次々と桟橋へと下ろされていく。代わって、陸(おか)の人夫たちが新鮮な水や野菜、米俵などを汗だくになって運び込んでいた。

 船大工たちは小舟に乗り、海鬼との戦闘で傷んだ船体の外壁を木槌で叩きながら点検している。


 その活気ある作業を横目に、エセルたちは桟橋で待っていたゲンサイと合流し、海中商人ギルド(タキタロス)の白島支部が手配した宿へと歩き出した。


「船長が言うには、海上の戦闘で船員たちの疲弊も溜まっていますし、船体の確認や永崎への航海に向けた物資の搬入・積み替えなどで、三日ほど時間が必要とのことです。それでなんですが、商会の方で宿を用意しておきましたので、しばらくはそちらでお休みください」

「お心遣い、ありがとうございます」


 母イマが礼を述べると、八兵衛がそわそわとした様子で身を乗り出した。


「ゲンサイさん。この白島で、その宿から近くてオススメの店とか知りやせんか? あっしの口はもう、すっかり倭食の口になっちまってさぁ」

「それなら、『心盛(しんせい)』と『五色椿屋』、それに『奴んとこ』というお店がオススメですよ。ただ、人気店なので席の確認は早めにしておくといいですね」

「オススメは、何がありやすか?」

「うーん。締めの五色うどんは当然として、新鮮な刺身や五色牛、備豚……こう言っては適当に思われるかもしれませんが、ここは海の幸も山の幸も素材が良いので、何を食べても美味しいですよ」

「こりゃあ楽しみですねぇ!」

「八兵衛、船から降りた途端にえらく元気だな」

「そりゃあもう、船酔の心配がいりやせんからね!」


 他愛のない会話をしながら歩く中、エセルは妙に、すれ違う白島の人々の視線を感じていた。

 彼らの外見は、南ミズラハ半島の人々とは明らかに異なっていた。色鮮やかなローブではなく、小袖(こそで)や単衣(ひとえ)と呼ばれる、帯で前を合わせる平らな布の衣服を身にまとっている。足元は革のブーツではなく、藁で編まれた草履や、木の歯がついた下駄だ。


 多種多様な哺乳類系の亜人種が多く歩いているのはガラーシャ村と似ているが、誰もが髪を独特の形に結い上げ、阿倭特有の文化に染まっている。彼らから漂う、潮と、木と、ほのかに甘い醤油の匂い。


「八兵衛。なんか周りの人たちがジロジロ見てくるのですが……私たち、そんなに目立ちますか?」

「ハッハッハ! たしかに、南ミズラハ半島ではここまで見られることはありやせんでしたね。まぁ、言ってしまえば、阿倭の田舎の島では、お嬢たちのような外人さんは物珍しいんでさ。顔立ちも髪の色も、あまりにも人種が違いすぎやすからね。メル殿も、いきなり『不敬罪!』って言って一般人に斬りかからないでくださいよ」

「馬鹿にするな! 私でも、それくらいは分かっているわ! 斬るとしたら、身代わりのお前だ!」

「んな殺生な! ……って、やっぱりメル殿は置いておいて。エセルのお嬢らも、珍しがってなんだかんだ周りを見回しているから、地元の人も『見られている』と思っていやすよ」

「……なるほど、そういうものですね」

「まぁ、ジロジロ見られるでしょうが、正直、アルケテロス教の兵なんて阿倭に来ることはほぼねえんで、フードを深く被ったりしなくても安心ですね。まぁ、一番いいのは衣装を阿倭の服に合わせることですが」


 確かに、エセル自身も周囲を観察してしまっていた。言葉も文化も全く違う異国。しかし、その独特の匂いと素朴な人々の営みは、エセルにとって決して不快なものではなかった。


◇


 ゲンサイと別れた後、一行は海中商人ギルド(タキタロス)の手配した『崑花南(こんかな)』という宿に案内された。

 そこは、磨き上げられた黒い木の廊下と、い草で編まれた畳の匂いが心地よい、純和風の宿だった。皆でカナンとは縁起がよいと喜び、長旅の汚れを落とし、少しだけ足を伸ばして休息をとった後、一行は空腹を満たすため、ゲンサイに勧められた食事処『心盛』へと向かった。


 宿を出て、板塀が続く細い土の路地を歩く。石畳の乾いた音とは違う、土を踏みしめる柔らかな感触。軒先には干物が吊るされ、どこかの家から夕餉(ゆうげ)の支度をするいい匂いが漂ってくる。


 その道中だった。

 路地の向こうから、一人の若者が意気揚々とこちらへ歩いてくるのが見えた。

 頭には手ぬぐいを巻き、日に焼けた肌に、色あせた藍色の野良着。右手に鍬、左手に鎌を持っている。腰に刀は差していない。どう見ても、畑仕事の帰りか途中の、ごく普通の農民の若者だった。


「そこの外人さんたち! どこかの旅人とお見受けする! 俺を用心棒として雇う気はないか!」


 若者は、道の真ん中で立ち止まり、大仰なポーズで叫んだ。

 エセルは、その若者を横目に何も気にせず、イマやハムサ、メルの後ろについて通り過ぎようとした。


「そ、そこの外人さんたち! どこかの旅人とお見受けする! 用心棒を雇う気はないかっ!」


 若者は二度、全く同じセリフを繰り返したが、八兵衛も「早く飯にありつきてえですねぇ」と同じ阿倭人を完全に無視して通り過ぎようとする。

 だが若者は負けじと、エセルたちの前にサッと回り込んだ。


「俺は、平武虎(たいらの たけとら)! いずれはこの阿倭で大物になる男だ! 今ここで俺を用心棒として雇ってもらえたら、あんたらに箔(はく)がつくぜ!」


 いきなり用心棒になろうと売り込んでくる赤の他人。警戒すべき対象ではあるが、そのあまりに自信満々で滑稽な様子に、エセルは毒気を抜かれてしまった。


「おい、また異人さんらが武虎に絡まれてるぞ……」

「ほっとけほっとけ。いつものように相手されずにおしまいさ」


 周囲の町の人たちも、まるで日常茶飯事の余興でも見るような会話をしており、誰も止めに入ろうとしない。

 さすがにこのままでは道が進めないと判断したのか、八兵衛が面倒くさそうに武虎に対応した。


「おい、そこの若い人。お前さん、水面に映る自分の姿を見たことがありやすかい? こちらの御三方(イマ、ハムサ、メル)とお主を見比べたら、十中八九……いや十中十、御三方の方が強そうに見えるんでさ」

「ふっふっふ。能ある鷹は爪を隠すという諺(ことわざ)があるように、俺の真の実力が、見た目などで測れるものではないことを……誰も知る由はない!」

「うーん……あんまりこういうことは言いたくありやせんが、見なくても分かりやすぜ」

「まぁ、あんた相手が丁度よさそうだな。女、子どもを相手にしても、弱い者いじめにしかならねぇしな!」


 どうやら武虎は、盗人や悪党の類ではなく、ただ自分の力を試したい、発散したいという血気盛んなだけの若者のようだ。


「はぁ……あっしが相手で命拾いしやしたね。そいで、あっしと何するんですかい?」

「もちろん、木刀での一本試合だが……それでいいだろ?」


 そう言うと、武虎は背中に背負っていた、木刀とも呼べないようなただの真っ直ぐな木の棒を二本引き抜き、一本を八兵衛に投げ渡した。そして、大切そうに鎌と鍬を道の端に置く。


「ふーむ。剣の稽古というのは、どこの国にいっても似たようなものだな」

「八兵衛様、お相手の方をケガさせないようにね」

「八兵衛! 一本入れたら、あたしがおごってやる! 頑張れ小僧!」

「八兵衛がんばれー!」


 イマも、ハムサも、メルも、エセルも。各々が完全に「見物モード」に入り、道端に寄って二人を応援し始めた。

 そんな身内の無責任な声援に、八兵衛はやりたくなさそうなオーラを全面に出しながら、渋々といった様子で木の棒を構えた。


「はぁ……せっかく休めると思ったんですがねぇ……」

「安心しな。一瞬で終わらせるし、寸止めは得意だぜ!」


 自信満々に言い放ち、武虎も木の棒を構える。正式な剣術の型とは違うようだが、腰が低く落ちたその構えは、意外にも様になっていた。


「畑と草刈りで極めた、『武虎流一の型』を……とくと味わうがいい!」

「いや、絶対寸止めする気ない顔じゃありやせんか」


 明らかにフルスイングで打ち込んできそうな殺気を放つ武虎が、大地を蹴って飛び出そうとした――まさにその瞬間。


『ドグシャッ!』


「うぐえッ!?」


 武虎の勢いを一瞬で封殺するかの如く。

 武虎の後頭部で、白い塊が激しい音を立てて弾け飛んだ。

 地面に転がった残骸をよく見ると……それは、見事な大根だった。


「武虎ァ! 家の仕事サボって、どこほっつき歩いてんだいッ!」


 白目を剥いて倒れ伏す武虎。その後ろには、四十歳くらいの阿倭の女性が仁王立ちしていた。

 左腕には野菜がぎっしり詰まった竹籠を抱え、右手には、先ほど粉砕した大根の葉っぱの付け根だけを握りしめている。


「あんたは、早く『五色椿屋』さんに野菜持っていきなさいって言っただろうが!」

「……こ、このあと……行こうと思っていたんだってば……」

「仕事より大事な用なんて、あんたにはないだろ! さっさと行きな!ついでに、あんたがダメにした大根も一本、心盛さんに持ってくるんだよ!」

「それは、俺じゃねえ!」

「文句あるのかい?」

「・・・ありません」


 武虎の姉なのか母なのか、凄まじい迫力の女性は、エセルたちの方を向くと、まるで別人のようにコロッと表情を変え、深々と腰を折った。


「おほほほ! ごめんなさいねえ。この馬鹿は、ことあるごとに旅人さんたちに用心棒を頼み込む病気でしてね。ご無礼を働いたと思いますが、ここはどうか、お許し下さいませ」


 その見事な手のひら返しに、メルが少し武虎を不憫に思ったのか、慌てて言葉を返した。


「い、いや……こちらも、こちらの馬鹿(八兵衛)が焚きつけてしまったようで、申し訳ありません」


 エセルは、てっきり八兵衛から「あっしはまったくもって焚きつけてねぇですって!」という抗議の声が飛んでくるものと思っていた。

 しかし。


「あれ……? もしかして……」


 八兵衛の口からこぼれたのは、誰も予想だにしない、震えるような声だった。


「お七(しち)……姉ちゃん?」


 その場にいた全員の思考が、真っ白に停止した。


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