第99話 壁一面の数字
アルディスの住まいは、港の裏の、荷役夫の宿だった。
三階建ての、木造。
一部屋に、四人が寝る。
――彼は、四階の物置に住んでいた。
「四階って、三階建てですよね」
「――屋根裏だ」
彼は、あっさり言った。
「――家賃が、半分になる」
「立てますか、天井」
「――立てん」
◇
俺は、梯子を上った。
――暗かった。
窓が、一つ。
寝床は、藁だった。
――そして、壁が。
壁一面に、数字が書いてあった。
炭で、直接。
柱にも、梁にも、屋根の裏にも。
――びっしり。
同じ字が、何度も重ねて書いてあった。
――消して、書き直した跡だ。
炭が、指で擦られていた。
窓の下だけ、白かった。
――そこにだけ、何も書いていない。
書く場所が、足りなかったらしい。
「――アルディスさん」
「なんだ」
「――これ、なんですか」
◇
彼は、梯子を上ってきた。
頭を下げたまま、部屋に入った。
「――お前だ」
俺は、その壁を、もう一度見た。
『広場・二十七回・平均立ち上がり四秒一』
『予選・四十七分・待機中の呼吸、毎分十四』
『階段・九万九千九百九十九段・所要十一時間四十分』
『浮島・八十九回・最終六秒二』
「全部、俺ですか」
「――全部だ」
◇
彼は、藁の上に座った。
「三か月、集めた」
彼は、そう言った。
「船乗りに聞いた。観客に聞いた。予選を見に行った奴に、酒を奢って聞いた」
「――酒代は」
「――日当の、半分だ」
彼は、あっさり言った。
「――三か月で、四十二回だ」
彼は、言った。
「――浮島の分は、降りてきた候補者に聞いた」
「――誰に聞いたんですか」
「鎧の男だ」
俺は、思い当たった。
「――ドルガさんですか」
「――名は聞いていない。『あいつは四十回転んで四十回立った。平均二秒九だ』と言われた」
◇
俺は、その壁を見た。
――二秒九、と書いてあった。
「アルディスさん」
「なんだ」
「俺、自分の記録、知らないです」
「知っている」
彼は、あっさり言った。
「知っていたら、お前はもっと弱い」
「え?」
「数を知ると、人は、そこで止まる」
彼は、壁を指した。
「三十七枚あった頃、俺は自分の才能の数を知っていた」
彼は、言った。
「――三十七だ。だから、三十七で足りると思っていた」
「――足りると思うと、どうなるんですか」
「――増やさん」
彼は、あっさり言った。
「――十年、一枚も増やさんかった」
◇
彼は、拳を握った。
親指を、外に。
――俺が教えた握り方だ。
「――足りなかった」
◇
俺は、その部屋に、しばらく座っていた。
天井が低いので、あぐらをかいた。
「――アルディスさん」
「なんだ」
「これ、勝つために書いたんですよね」
「――そうだ」
「――でも、俺に見せましたよね」
◇
アルディスの動きが、止まった。
「見せたら、対策されますよ」
彼は、しばらく答えなかった。
それから、言った。
「対策しろ」
「え?」
「――対策して、来い。三か月分を、対策しろ」
俺は、その言葉を、聞いていた。
◇
「俺は、三か月前、三十七枚で負けた」
彼は、そう言った。
「――あの時、お前は、俺の三十七枚を、全部調べてきていた」
「――調べました」
「――どうやった」
「――フィナさんが、三日で仕様書を書きました」
彼は、俺を見た。
「――俺は、お前の一枚も調べなかった」
彼は、壁を見上げた。
「今度は、逆だ」
◇
俺は、梯子を降りた。
降りる途中で、上から声がした。
「ロイ」
「はい」
「一つ、書いていない数字がある」
「――なんですか」
アルディスは、暗い屋根裏から、言った。
「お前が、皿を何枚割ったかだ」
「――四百四十二枚です」
上で、炭を擦る音がした。
――書いているらしい。
「――ロイ」
「はい」
「――割った数を、覚えとるのか」
「――おばさんが、数えてます」




