第98話 三度目の手のひら
フィナの予想は、外れた。
――明日ではなかった。
その日の夜だった。
孤児院の窓が、割れた。
石が、一つ入ってきた。
――拳より、少し小さいやつ。
子供が、五人泣いた。
院長先生が、箒を持って外に出た。
――誰もいなかった。
俺は、割れたガラスを拾った。
――ピノが、手伝おうとした。
「――触るな」
「でも」
「手、切るぞ」
ピノは、それでも拾った。
切らなかった。
――俺より、器用だった。
◇
翌日、下町の壁に、貼り紙が出た。
――木版じゃなかった。手書きだ。
『才を返した男が、才を奪った』
俺は、それを、しばらく見ていた。
「――上手いですね」
「上手いです」
フィナが、隣で言った。
「――七文字と六文字です。……覚えやすいです」
「――誰が書いたんですかね」
「――わかりません」
彼女は、あっさり言った。
「――ですが、字が上手いです」
「――上手いと、なんですか」
「――手間をかけた人がいます」
三日で、王都中に貼られた。
――誰が最初に書いたのかは、わからなかった。
ただ、貼っているのは、下町の連中だった。
――俺が、名前を知っている連中だった。
◇
四日目、マーサおばさんの食堂の窓が割れた。
――俺が皿を洗っている、その最中だった。
おばさんは、割れた窓を見た。
それから、鍋に戻った。
「――板を打つよ。ロイ、押さえな」
「おばさん」
「押さえな」
俺たちは、板を打った。
窓が、一つ減った。
――店が、暗くなった。
◇
その日、客は三人だった。
いつもは、四十人くらい来る。
「――おばさん」
「なんだい」
「――俺、しばらく来ない方がいいですか」
◇
おばさんは、こっちを見なかった。
鍋をかき混ぜていた。
「――皿、誰が洗うんだい」
「――……」
「あんたが辞めたら、あたしが洗うんだよ」
「――洗えますよね」
「――洗えるけどね」
◇
彼女は、そこで、初めてこっちを見た。
「あたしはね、ロイ。三日前、借金が消えたんだ」
彼女は、言った。
「十二年ぶりに、寝る前に、金の計算をしなかった」
「――……」
「あの晩、あたしは、天井を見て寝た」
彼女は、そう言った。
「――天井、久しぶりに見たよ」
「――十二年ぶりですか」
「――十二年ぶりだ」
彼女は、あっさり言った。
「――板が、五十二枚あった」
「――数えたんですか」
「――数えたよ」
彼女は、鍋に戻った。
「窓の一枚くらい、安いもんだよ」
◇
五日目、ドズさんが来た。
自警団の制服で。
「ロイ」
「ドズさん」
「――詰所に、苦情が十七件来てる」
「――俺のですか」
「お前のだ」
彼は、帳面を見た。
「『下町から出て行かせろ』が九件。『才牌を取り上げろ』が五件」
彼は、帳面を閉じた。
「――残り三件は、殺せだ」
◇
俺は、その言葉を、聞いた。
「警備を、つける」
ドズさんは、言った。
「孤児院と、この食堂と、ガルドの店だ。……夜だけだが」
「人、足りますか」
「足りん」
彼は、あっさり言った。
「――だが、うちの団員のうち十四人が、三日前に借金を消してもらった。全員、志願だ」
◇
俺は、その言葉を、飲み込んだ。
「ドズさん」
「なんだ」
「俺、間違えましたかね」
◇
ドズさんは、しばらく黙っていた。
それから、言った。
「――俺は、頭が悪い。規則だの査定だの、そういうのはわからん」
彼は、俺を見た。
「――だが、三日前、うちの若いのが、親父さんの才牌を持って帰ってきた」
「――……」
「十八年ぶりだと言っとった」
彼は、そう言った。
「――あいつは、親父さんが才能持ちなのを、初めて見た」
「――何の才能だったんですか」
「――【縄綯い】だ」
彼は、あっさり言った。
「――しょうもない才能だと、笑っとった」
彼は、そこで、俺を見た。
「――笑いながら、泣いとった」
◇
彼は、扉に向かった。
扉のところで、振り返らずに言った。
「――ロイ。世間ってのはな」
「はい」
「――三か月前は、お前を笑ってた。二か月前は、お前に握手を求めてた」
彼は、言った。
「――今は、お前に石を投げてる」
彼は、扉を開けた。
「同じ連中だ」




