第92話 三百七十二
翌朝、俺は港に行った。
アルディスが、そこで働いていると言ったからだ。
――王都の南、運河の荷揚げ場だ。
朝の六時で、既に人がひしめいていた。
荷役夫が、二百人くらいいる。
――才牌を持っている奴は、荷を三つ担ぐ。
――持っていない奴は、一つだ。
俺は、その中に、アルディスを見つけた。
――一つ、担いでいた。
彼は、俺に気づかなかった。
荷を担いで、船から倉庫まで歩いて、下ろして、戻る。
――その間、ずっと、口が動いていた。
俺は、近づいた。
声が、聞こえた。
「三百七十二」
◇
彼は、荷を下ろした。
振り返って、船に戻った。
「――三百七十三」
俺は、その場に立って、しばらく聞いていた。
三百七十四。三百七十五。三百七十六。
――一度も、間違えなかった。
隣の荷役夫が、俺に気づいた。
「――知り合いかい、あれ」
「――はい」
「――ずっと、あんな調子だ」
彼は、あっさり言った。
「――口が動いとる。気味悪がられとるよ」
休憩の鐘が鳴って、彼はようやく俺に気づいた。
「――何をしている」
「見てました」
「――趣味が悪い」
「――数えてましたよね」
◇
アルディスは、水を飲んだ。
飲んでから、言った。
「数えている」
「――何をですか」
「箱の数だ」
「なんで数えるんですか」
「忘れるからだ」
彼は、そう言った。
「三か月前まで、俺は、数を数えたことがなかった。才牌が三十七枚ある、というのは知っていた。……だが、数えたことはない」
彼は、水筒の蓋を閉めた。
「――多いものは、数えない」
「今は」
「――一つずつしかない」
彼は、倉庫を見た。
「今日、五百箱運ぶ。……一箱ずつだ」
彼は、そう言った。
「数えないと、どこまで運んだか、わからなくなる」
「――終わりますか、五百」
「――終わらん」
彼は、あっさり言った。
「三百七十六で、日が暮れる」
◇
俺は、その言葉を、聞いていた。
「――アルディスさん」
「――アルディスだ」
「それ、才能じゃないですよね」
◇
アルディスが、こっちを見た。
「才能ではない」
「――技でもないですよね」
「技でもない」
「じゃあ、何ですか」
◇
彼は、しばらく、答えなかった。
それから、言った。
「癖だ」
「癖」
「そうだ」
彼は、言った。
「三か月、毎日数えていたら、数えないと落ち着かなくなった」
彼は、少し笑った。
「――夜、寝る前に、天井の板の数を数えている」
「――何枚ですか」
「四十四枚だ」
「即答ですね」
「――毎晩数えている」
◇
俺は、その場に座った。
石段に。
「――アルディスさん」
「なんだ」
「決闘、受けます」
◇
アルディスの手が、止まった。
「――いいのか」
「――いいです」
「俺は、才牌がない」
「――知ってます」
「――賭けるものがない」
「それ、規則の問題ですよね」
俺は、そう言った。
「――なら、抜け道があります」
◇
アルディスは、俺を見た。
――三か月前とは、違う目だった。
「――お前、そればっかりだな」
「よく言われます」
「俺も、三か月前に言われた側だ」
◇
彼は、そこで、初めて、少しだけ笑った。
「ロイ」
「はい」
「――一つ、聞いていいか」
「――どうぞ」
「お前、十五年、才能なしで生きたな」
「生きました」
「――どうやって、しのいだ」
「――皿を洗ってました」
「――それだけか」
「それだけです」
俺は、そう言った。
「――五年で、四百四十二枚割りました」
「――多いな」
「多いです」
◇
彼は、その言葉に、しばらく黙っていた。
「――俺は、三か月だ」
◇
彼は、立ち上がった。
休憩の鐘が、鳴り終わっていた。
「じゃあ、俺の勝ちですね」
俺は、そう言った。
アルディスは、荷を担いだ。
担いでから、振り返らずに言った。
「――そうだな。だから、追いつく」
「三百七十七」




