第91話 才牌ゼロ
「――もう一回、頼めますか」
アルディスは、そう言った。
俺は、しばらく、答えられなかった。
◇
三か月前、この男は、三十七枚の才牌を持っていた。
王族だった。神童と呼ばれていた。
――今、胸に、何もない。
俺は、その胸を、しばらく見ていた。
――才牌のない胸というのを、俺は知っている。
十五年、そうだったからだ。
――ただ、この人のは、違った。
あったものが、なくなった胸だった。
「――アルディスさん」
「アルディスでいい」
彼は、そう言った。
「――王籍を、抜かれた」
「――いつですか」
「三か月前だ」
彼は、あっさり言った。
「お前に負けた三日後に、玉座の間に呼ばれた。……そこで、抜かれた」
彼は、少し笑った。
「――手続きは、十分で終わった」
「才牌は」
「――返された」
「え?」
「箱で、部屋の前に置いてあった。三十七枚。……三十六枚が、灰色だった」
彼は、言った。
「灰色」
「そうだ」
彼は、言った。
「――色が、抜けとる。銘は読める。だが、胸に入らん」
◇
俺は、フィナを見た。
フィナは、既に紙束を開いていた。
「――名義変更です」
彼女は、言った。
「才牌には、所有者の名義が刻まれています。……名義が本人でなくなると、灰色になります」
「――誰の名義に」
「王家です」
彼女は、あっさり言った。
「王籍を抜いた際に、王家が所有権を留保したのだと思われます」
彼女は、顔を上げた。
「返したように見せて、返していません」
◇
アルディスは、それを、黙って聞いていた。
「知っていた」
彼は、あっさり言った。
「――箱は、開けなかった」
「――開けなかったんですか」
「――開けた」
彼は、言い直した。
「三か月前に、一度だけだ。中を見て、閉めた。……それきりだ」
「――今、どこにあるんですか」
「宿の、寝台の下だ」
彼は、あっさり言った。
「――重い。持って歩けん」
◇
俺は、その男を見た。
外套が擦り切れている。靴の底が剥がれかけている。
――手が、荒れていた。
三か月前、剣より重いものを持ったことがなさそうな手だった。
「――何をしてるんですか、今」
「――荷運びだ」
彼は、あっさり言った。
「東門の倉庫でな。一日、銅貨四枚だ」
「――足りますか」
「――足りん」
◇
「――アルディスさん」
「アルディスだ」
「――アルディスさん」
「お前、人の話を聞かんな」
「よく言われます」
「【値切り】は」
俺は、聞いた。
アルディスは、俺の胸を見た。
「――そこにあるんだろう」
◇
俺は、胸元の才牌を出した。
【不撓不屈】。
――一枚だけだ。
「――ないです」
「ない?」
「喰われました。決闘の規定で、あなたの【値切り】が、俺の才牌に移りました。……その日のうちに、消えました」
俺は、言った。
「俺の才牌は、喰ったものを、名前に変えます」
「――名前に」
「はい」
「――じゃあ、俺の【値切り】は」
◇
俺は、才牌を見た。
五つの升目。
――一文字目の【諦めない】。
「――一文字目に、なりました」
◇
アルディスは、しばらく、その才牌を見ていた。
それから、笑った。
――笑い方が、三か月前と違った。
「肉屋のセドと、同じ才能だぞ、あれは」
「――知ってます」
「三十七のうち、いちばん、どうでもいい一枚だった」
「――知ってます」
彼は、笑うのをやめた。
「――それが、お前の一文字目になったのか」
「なりました」
彼は、しばらく黙っていた。
それから、言った。
「なら、俺のも、何かになるかもしれんな」
「――何かって、なんですか」
「――知らん」
彼は、あっさり言った。
「――だから、もう一回、頼んでる」




