第88話 元金
二日目。
ヴァインは、俺に、井戸の水を汲ませた。
「広場の水桶を、満たしてください」
――百十四回、往復した。
◇
三日目。
「東門から西門まで、歩いてくださいませ」
――三往復させられた。
夜に戻ると、ヴァインは同じ場所に立っていた。
――三日、立ったままだった。
◇
四日目。
「この広場の落ち葉を、拾ってくださいますか」
――季節が悪かった。
二万枚以上あった。
その日の夕方、下町の連中が、拾い始めた。
「――手伝うぞ」
「だめです」
「――なんでだよ!」
「俺が拾わないと、履行になりません」
◇
誰も帰らなかった。
拾えないから、みんな、座って見ていた。
――マーサおばさんが、鍋を持ってきた。
――ピノが、水を汲んできた。
――ドズさんが、灯りを立てた。
◇
五日目。
俺は、落ち葉を拾い終わった。
ヴァインは、頭を下げた。
「履行を、確認いたしました」
◇
彼の顔色が、変わっていた。
五日、立ったままだ。飲まず食わずではないが、座っていない。
――なのに、平気そうだった。
「――ヴァインさん」
「はい」
「――疲れないんですか」
「――疲れております」
彼は、あっさり言った。
「ただ、そちらへ回しております」
◇
彼は、俺を指した。
「ロイさん」
フィナが、闘技線の縁から言った。
「――【代償転嫁】です。……あの人の疲労は、全部あなたに来ています」
「来てますか」
「来ていないんですか」
◇
俺は、自分の体を確かめた。
――だるかった。
五日、水を汲んで、歩いて、落ち葉を拾った分のだるさ。
――それと、もう一人分の五日が、乗っていた。
「たぶん、来てます」
「――なぜ、平気なんですか」
「平気じゃないです。でも、まだ、次の日が来ます」
◇
六日目。
ヴァインが、初めて、条項を出さなかった。
「――ロイ様」
「はい」
「――そろそろ、お認めいただけませんか」
彼は、言った。
「――わたくしは、動きません。あなたは、殴れません。……この決闘は、終わりません」
「終わらせないです」
「なぜです」
「――終わったら、負けなので」
◇
ヴァインは、そこで、初めて、少しだけ声を落とした。
「ロイ様。四十年、この仕事をしております。毎年、利息だけを払いに来る方が、二万人いらっしゃいます」
彼は、言った。
「――元金は、一枚も減りません」
「――知ってます」
「なぜご存じで」
「――マーサおばさんが、そうです」
ヴァインの目が、動いた。
「――……ハルグレン様」
「はい」
「金貨三百枚をお貸しして、十二年。元金は、三百枚のままでございます」
◇
俺は、その言葉を、聞いていた。
――そして、聞きながら、気づいた。
「――ヴァインさん」
「はい」
「あなたも、そうですよね」
ヴァインが、初めて、俺を見返した。
――目が、動いた。
◇
「――四十年、代償を、人に移してきましたよね。宿の主人に。御者に。借りた人に。……少しずつ」
俺は、言った。
「――それ、払ってないですよね」
「――……」
「回してるだけですよね」
広場が、静かになった。
フィナが、紙束を落とした。
――拾わなかった。
「ロイさん」
彼女は、掠れた声で言った。
「――利息だけ払っているのは、あの人です」
「――そうみたいです」
俺は、立ち上がった。
六日ぶりに、まっすぐ立った。
「ヴァインさん」
「はい」
「――今、この決闘中、あなたの契約相手は、俺一人ですよね」
「規則上は、さようでございます」
「じゃあ、全部、果たします」
俺は、指を折った。
「石畳を数えました。水を汲みました。門を往復しました。落ち葉を拾いました。あと、一つ残ってます」
◇
ヴァインの顔から、初めて、表情が消えた。
「――……お待ちください」
「――『一歩でも動いたら、下町の債務を三倍にする』。これ、あなたが動かないと、終わらないんですよね」
俺は、言った。
「ロイ様」
「でも、履行の方法が、もう一つあります」
俺は、剣を、石畳に置いた。
そして、ヴァインの前に立った。
「俺が、降参します」
広場が、爆発した。
「――ロイさん!!」
「――降参したら、決闘は終わります。決闘が終われば、決闘中の契約も、全部終わります」
俺は、ヴァインを見た。
「果たされずに、終わります」
ヴァインが、初めて、一歩、下がった。
――動いた。
その瞬間、彼の膝が、落ちた。




