第82話 九十九枚
俺は、下がった。
赤い布の前に立ったのは、フィナ一人だった。
――俺は、何もできなかった。
殴る相手がいない。立ち上がる必要もない。
――この試合に、【不撓不屈】は要らなかった。
◇
「――一刻だ」
クロトが、砂時計を置いた。
大きな砂時計だった。
「質問は、三つまで受ける。ただし、嘘で答える権利を、俺は持つ」
フィナは、頷いた。
紙束を、机の脇に置いた。
――四百十二ページの仕様書を、置いた。
「使わないんですか」
「書いてありません」
彼女は、そう言った。
「――ここに書いてあるのは、ロイさんのことだけです」
◇
彼女は、九十九枚の前に立った。
九枚ずつ、十一列。
――手を、後ろで組んだ。
最初の十分、彼女は、何もしなかった。
ただ、見ていた。
――列の端から端へ、ゆっくり歩いた。
三往復した。
◇
周りに、人が集まってきた。
他の店の連中だ。
――誰も、口を利かなかった。
この市で、九十九枚が出るのは、三年ぶりらしかった。
二十分過ぎたところで、フィナが口を開いた。
「――質問、一つ目です」
「どうぞ」
「この九十九枚は、三年前と同じものですか」
◇
クロトの目が、動いた。
「――……ほう」
彼は、少し考えた。
「半分は、同じだ」
「半分」
「――四十九枚は、三年前と同じ。五十枚は、入れ替えた」
「――ありがとうございます」
彼女は、頭を下げた。
俺は、その質問の意味が、わからなかった。
――でも、フィナの動きが変わった。
彼女は、それまで見ていなかった場所を、見始めた。
――才牌の、縁だ。
三十分。
彼女は、四十枚ほどを、目で外した。
外し方が、雑だった。
――見て、すぐ次に行く。
五十分。
残りが、十二枚になった。
彼女は、その十二枚の前で、初めて立ち止まった。
――【看破】を使っているのが、わかった。
瞬きが、減った。
「質問、二つ目です」
「――どうぞ」
「――この中に、あなたが自分で使ったことのある才牌は、ありますか」
◇
クロトが、初めて、姿勢を変えた。
背中を、椅子から離した。
「――……何を聞いている」
「質問です」
「――答える義務はあるが、嘘でもいい」
「――どうぞ」
◇
クロトは、しばらく黙った。
それから、言った。
「ない」
フィナは、頭を下げた。
「――ありがとうございます」
彼女は、十二枚のうち、七枚を外した。
――五枚になった。
俺は、そこで、少しだけわかった。
――今の答えは、嘘だ。
嘘だとわかったから、七枚外せた。
でも、なんでわかったんだろう。
砂時計の砂が、下半分になった。
残り、半刻。
フィナは、五枚の前で、動かなくなった。
十分。
十五分。
――動かない。
◇
「――お嬢さん」
クロトが、言った。
「残り、四半刻だ」
「はい」
「三つ目の質問は、使わんのか」
◇
フィナは、顔を上げた。
「使います」
彼女は、言った。
「ですが、あなたにではありません」
◇
彼女は、振り返った。
――俺を見た。
「ロイさん」
「はい」
「質問です」
「――俺にですか」
「――あなたにです」
◇
彼女は、五枚を指した。
「この五枚のうち、どれが本物だと思いますか」
俺は、固まった。
「――え」
「答えてください」
「俺、【看破】ないですよ」
「知っています」
「――才牌のこと、何も知らないですよ」
「知っています」
◇
彼女は、俺を見ていた。
真剣だった。
――ふざけていなかった。
「ロイさん」
彼女は、言った。
「――あなたは、五年、皿を洗いました」
「――……はい」
「四百四十一枚、割りました」
「はい」
「割れる皿と、割れない皿の見分けが、つきますか」
◇
俺は、その質問を、聞いた。
――ついた。
考えたことはなかったけど、ついた。
「――つきます」
「――どうやって」
「縁です」
俺は、言った。
「使い込んだ皿は、縁が丸いです。……新しい皿は、縁が立ってます。立ってる方が、よく割れます」
◇
フィナが、笑った。
この市に来て、初めて笑った。
「――ありがとうございます」
彼女は、そう言って、赤い布に向き直った。




