第79話 クロト
フィナが、動かなくなった。
紙束を抱えたまま、その場で止まっていた。
――俺は、半歩前に出た。
「――どうも」
「ああ、どうも」
男は、頷いた。
「――クロトだ。ここの、まとめ役をしている」
「ロイです」
「知っている」
彼は、あっさり言った。
「三か月前に王子を倒して、二か月前に予選で四十七分待って、七日前に浮島で優勝した」
彼は、目を細めた。
「――才牌一枚の、優勝者だ」
「――詳しいですね」
「商売だ」
彼は、言った。
「才牌の値段は、持ち主で変わる。……誰が何を持っているかを知らん商売人は、三日で潰れる」
◇
俺は、その机を見た。
赤い布の上に、才牌が並んでいる。
――九十九枚あった。
数えたわけじゃない。並べ方が、そういう並べ方だった。
九枚ずつ、十一列。
◇
「――お嬢さん」
クロトが、フィナに言った。
「――三年前は、外したね」
「――……はい」
「何枚外した」
「一枚です」
「――そうだ」
彼は、頷いた。
「九十九枚のうち、本物は一枚。……お嬢さんは、四十七番を選んだ。本物は、八十一番だった」
◇
フィナは、答えなかった。
紙束を、抱え直しただけだった。
「――あの日から、うちの店は、お嬢さんの店から仕事を請けていない」
クロトは、言った。
「――師匠に、何と言われた」
「『三年、棚卸しをやれ』と」
◇
クロトの目が、少し動いた。
「――三年か」
「――三年です」
「やったのか」
「――やりました」
◇
部屋が、少し静かになった。
クロトは、しばらく、フィナを見ていた。
それから、俺を見た。
「――優勝者殿」
「はい」
「――何を買いに来た」
「――才牌です」
「何枚」
「一枚」
「――銘の指定は」
◇
俺は、フィナを見た。
フィナが、頷いた。
「――なんでもいいです」
クロトの目が、初めて、大きく動いた。
「なんでもいい?」
「はい」
「――優勝者が、銘を選ばんのか」
「――使わないので」
「――……使わん?」
「賭け札にするだけです」
俺は、正直に言った。
「決闘に出ます。……賭け札が要るんですけど、俺の才牌は一枚しかないので」
◇
クロトは、しばらく黙っていた。
それから、笑った。
――目だけで笑った。
「――なるほど。捨て札を買いに来たか」
「捨て札」
「そうだ」
彼は、言った。
「賭けて、負けてもいい札だ。……安いのでいい、ということだな」
「――そうです」
「なら、うちの商売だ」
彼は、赤い布の上を、手で示した。
「ここに、九十九枚ある。そのうち、銘が本物なのは、一枚だ」
◇
俺は、その九十九枚を見た。
全部、読めた。
『【剣聖】』『【飛翔】』『【千里眼】』『【豪腕】』
――どれも、強そうな名前だった。
「残りは」
「書き換えた」
彼は、あっさり認めた。
「元の銘は、【草むしり】だったり、【糸通し】だったりする」
彼は、そう言った。
「俺の才能は【偽銘】だ。……銘を、書き換えられる」
「――言っちゃっていいんですか、それ」
「言わんと商売にならん」
彼は、あっさり言った。
「――うちの客の半分は、偽物と知って買う」
「――なんでですか」
「――人に見せるためだ」
◇
俺は、その言葉で、少し気持ちが悪くなった。
「見せるため」
「そうだ」
彼は、言った。
「才牌は、身分証だ。……胸に【剣聖】と刻んであれば、宿の主人は部屋を貸す」
彼は、目を細めた。
「――発動せんでも、名前は効く」
◇
俺は、自分の胸に、手をやりそうになった。
――やめた。
フィナが、そう言っていたから。
クロトは、それを見ていた。
「――優勝者殿」
「はい」
「今、胸に手をやりかけたな」
「――……」
「――やらんかったのは、賢い」
彼は、赤い布を、指で叩いた。
「さて。取引の話だ。捨て札を一枚。……いくらで買う」
◇
俺は、正直に言った。
「――金貨三枚あります」
クロトは、笑わなかった。
笑わずに、こう言った。
「――足りん。だが、条件次第で、ただでやる」




