第75話 どっちも取れ
八日目の夜、俺はガルド爺の店にいた。
炉に、火が入っていた。
爺さんは、鉄を打っていた。
――音が、【鍛える】が戻ってからずっと、重い。
「――爺さん」
「なんだ」
「――相談があります」
「――金か」
「金です」
「――ない」
◇
爺さんは、鎚を止めなかった。
「――違います」
「じゃあ何だ」
「――撤回するかどうかです」
◇
鎚が、止まった。
爺さんは、鉄を炉に戻した。
それから、床几に座った。
「――話せ」
◇
俺は、全部話した。
二万九千四百人。十四日。撤回すれば十年分割に戻る。撤回しなければ差押え。
金貨十二万枚の査定書。
――売れば、下町だけは残る。
爺さんは、最後まで黙って聞いていた。
聞き終わって、酒を一口飲んだ。
「坊主」
「はい」
「――お前、どっちを選ぶつもりだ」
「撤回はしないです」
「――理由は」
「マーサおばさんが、怒ります」
「――そうだな」
爺さんは、あっさり同意した。
「――あいつは怒る。……で?」
「で、っていうのは」
「撤回せんかったら、二万七千二百人が家を失う」
爺さんは、言った。
「――そっちは、怒らんのか」
◇
俺は、答えられなかった。
「――怒ります」
「だろうな」
「でも」
「でも、じゃねえ」
◇
爺さんは、酒瓶を置いた。
「――坊主。お前、今、何をしとる」
「――……選んでます」
「そうだ」
彼は、言った。
「――選ぶってのはな。片方を、諦めるってことだ」
◇
俺は、その言葉を、聞いた。
「――諦める」
「そうだ」
爺さんは、俺を見た。
「――お前の才牌、なんて書いてある」
◇
俺は、胸元を出した。
【不撓不屈】。
「――一文字目は、なんだった」
「【諦めない】です」
「そうだろうが」
◇
爺さんは、鼻を鳴らした。
「――お前が選ぶな。選ぶのは、才能のある奴の仕事だ。三十七枚持ってりゃ、三十七のうち一つを選ぶ。十枚なら十のうち一つだ」
彼は、俺を指した。
「――お前は一枚だ。選ぶ余地がねえ」
「じゃあ、どうすればいいんですか」
「――どっちも取れ」
◇
俺は、その言葉を、二回聞いた。
「――両方ですか」
「両方だ」
「無理ですよ」
「無理だな」
爺さんは、あっさり言った。
「だが、お前、無理を十五年やっとるだろ」
◇
彼は、炉を見た。
「――坊主。わしはな、十年、才牌なしで打った」
「はい」
「才牌がないから、いい鉄が買えん。いい鉄が買えんから、いい剣が打てん。普通は、そこで、どっちかを選ぶ。どっちかって。安い鉄で数を打つか、打つのをやめるかだ。わしは、打つのをやめた」
◇
俺は、顔を上げた。
「――十年、打ってなかったんですね」
「――打ってなかった」
彼は、そう言った。
「炉に火を入れんかった。……道具は毎日磨いた。鉄も見に行った。だが、打たんかった」
彼は、そこで、少し黙った。
「――選んだんだ、わしは」
彼は、酒瓶を持ち上げて、また置いた。
「――五日前だ」
「俺の剣ですね」
「――そうだ」
彼は、言った。
「お前が、決闘に出ると言った。……剣がないと言った」
彼は、鼻を鳴らした。
「安い鉄しかなかった」
「でも、打ちましたよね」
「――打った」
「――なんでですか」
爺さんは、しばらく答えなかった。
それから、言った。
「選ばんかったからだ」
「――安い鉄で、いい剣を打つ方法を、考えた。三日かかった。三日、寝とらん」
彼は、俺を見た。
「――選ばんと決めたら、考えるしかなくなる」
俺は、その炉を、見ていた。
「爺さん」
「なんだ」
「どっちも取る方法、思いつきますか」
「――思いつかん」
「即答ですね」
「わしは鍛冶屋だ」
彼は、酒を飲んだ。
「――だが、お前んとこの鑑定士は、四百十二ページ書いとるんだろ」
俺は、頷いた。
「――四百十二です」
「なら、あと十ページ書かせろ。十ページで、穴は見つかる」
◇
俺は、立ち上がった。
「――爺さん」
「なんだ」
「――ありがとうございます」
「――礼はいらん」
彼は、鎚を取った。
「十四日後に、店が残ってたら、その時に言え」




