第73話 四十年、無傷
翌日、フィナは組合の記録閲覧室にいた。
公開資料は、誰でも読める。
――ただし、写しは取れない。
彼女は、朝から夕方まで、そこに座っていた。
◇
夕方、食堂に戻ってきた彼女は、顔色が悪かった。
「フィナさん」
「はい」
「何か食べましたか」
「――いいえ」
「座ってください」
「――座ります」
彼女は、椅子に落ちるように座った。
◇
「――二つ目の才能です」
俺がスープを置くのを待たずに。
「【代償転嫁】」
「――だいしょうてんか」
「はい」
彼女は、紙束に書いた。
「――自分が負うべき代償を、契約相手に移す才能です」
「代償って、なんですか」
「損のことです。才能には、大抵、代償があります。使えば疲れる、痛む、寿命が減る、記憶が飛ぶ」
彼女は、指を折った。
「――【契約】の代償は、破られた時に、自分が縛られることです」
「え?」
「――【契約】は、双方を縛ります」
彼女は、そう言った。
「相手が破れば、相手が動けなくなる。……ですが、自分が破れば、自分が動けなくなります」
「――公平なんですね」
「公平です」
彼女は、頷いた。
「――【代償転嫁】と、組まなければ」
◇
俺は、そこで、意味がわかった。
「――あの人が破っても」
「相手が動けなくなります」
「――……」
「四十年、それをやってきました」
◇
フィナは、記憶した数字を並べ始めた。
「組合の紛争記録。四十年で、七百三十一件。そのうち、組合側の敗訴――ゼロ件」
彼女は、言った。
「――ゼロ」
「ゼロです」
「――強いんですね」
「強いのではありません」
彼女は、首を振った。
「――負けを、他人に移しているんです」
◇
彼女は、記録の内容を、思い出しながら話した。
「四十年で、組合と契約して、動けなくなった人間が、二百十四人います」
彼女は、そう言った。
「――全員、組合が約束を守らなかった件です」
「――守らなかったのに」
「相手が動けなくなりました」
「――それ、誰も気づかないんですか」
「――気づけません。【代償転嫁】は、公開資料に銘があるだけです。……効果の説明は、どこにもありません」
◇
俺は、スープを見ていた。
――冷めていた。
「フィナさん」
「はい」
「食べてください」
「はい」
彼女は、三口飲んで、また喋り始めた。
◇
「ロイさん。ここからが、重要です」
「はい」
「――【代償転嫁】には、移す先が要ります」
「契約相手ですよね」
「はい」
彼女は、ペンを立てた。
「つまり、契約相手がいない時、あの人は、丸腰です」
◇
俺は、顔を上げた。
「――丸腰」
「はい」
「でも」
俺は、言った。
「あの人、二万九千四百人と契約してますよね」
「しています」
「――じゃあ、丸腰になることないですよね」
◇
フィナは、そこで、ペンを置いた。
「そこです」
彼女は、言った。
「四十年、あの人は、契約者を切らしたことがありません」
彼女は、記録の数字を思い出した。
「記録上、組合の契約件数が最も少なかった日でも、九千件です」
「――九千」
「はい」
「――減らせないですね」
「減らせません」
彼女は、そう言った。
「――ですので」
「ですので?」
「――移す先を減らすのではなく、移す先を、一人にします」
◇
俺は、その言葉を、聞いた。
「一人」
「はい」
彼女は、俺を見た。
「才能決闘です」
「――決闘」
「はい」
彼女は、言った。
「才能決闘は、規則で守られています。……立会人がつき、外部との契約は、決闘中、効力を停止します」
彼女は、そこで、初めて少し笑った。
「――決闘の間だけ、あの人の契約相手は、あなた一人になります」
◇
俺は、その意味を、少し考えた。
「――俺に、全部移ってくるってことですか」
「そうなります」
「四十年分ですか」
「――いいえ」
彼女は、首を振った。
「決闘中に発生した分だけです」
「じゃあ、大したことないですね」
「わかりません」
彼女は、正直に言った。
「――あの人が、決闘中に何件契約するかで、変わります」
彼女は、俺を見た。
「そして、あの人は、四十年、一度も負けていません」




