第66話 手を離れる
三日後の夜、フィナが数え終わった。
彼女は、食堂の卓に、紙を七枚並べた。
全部、数字で埋まっていた。
字が、細かかった。
――三日、寝ていない字だった。
「ロイさん」
「はい」
「報告します」
◇
「才牌の返還を受けた者、王都および周辺で、二万九千四百人」
彼女は、一枚目を指した。
「――四万一千二百枚。ほぼ、私の推計通りです」
「――当たりましたね」
「当たりました」
「すごいですね」
「――すごくありません」
彼女は、二枚目に指を移した。
「――問題は、こちらです」
◇
「即時全額返済の対象となった債務者、二万九千四百人」
「――同じ数ですね」
「同じ人です」
彼女は、言った。
「才牌が返った人が、そのまま、借金を一括請求されています」
「――全員ですか」
「全員です」
彼女は、三枚目をめくった。
「うち、十四日以内に完済できる見込みのある者――二千二百人」
◇
俺は、その数字を見た。
「残りは」
「――二万七千二百人」
彼女は、言った。
「差押えです」
俺は、卓の数字を見ていた。
二万七千二百。
――人数だ。
皿の枚数でも、階段の段数でもない。
「フィナさん」
「はい」
「そのうち、下町は」
「三千二百人です」
彼女は、四枚目をめくった。
「下町の世帯数は千百。……そのうち、九百二十世帯が対象です」
「――九割ですか」
「九割です」
「マーサおばさんの店も」
「入っています」
「――ガルド爺の店も」
「入っています」
「――ドズさんは」
「自警団の宿舎は、王家の持ち物です」
彼女は、あっさり言った。
「ですが、団員のうち十四人が、対象です」
「――孤児院は」
◇
フィナは、五枚目を、少しの間、めくらなかった。
「孤児院は、建物が教会の名義です」
「じゃあ」
「――ですが、運営費の借入が、金貨百八十枚あります」
彼女は、顔を上げた。
「院長先生が、七年前に、【慈育】という才牌を担保に入れています」
◇
俺は、その言葉で、初めて息が詰まった。
――院長先生。
俺を、十五年、育てた人だ。
――才牌を、持っていなかったはずだ。
俺は、そう思っていた。
「先生、才能なしだって、言ってました」
「――嘘です」
フィナは、静かに言った。
「――七年前に、預けたんです」
彼女は、記録を見た。
「借入の目的欄に、こう書いてあります」
◇
彼女は、読み上げた。
『屋根の修繕、および、冬季の薪』
俺は、それを聞いた。
――七年前。
俺は、八つだった。
あの冬、孤児院は、寒くなかった。
――そういえば、寒くなかった。
その前の冬は、寒かった。
――寝る時、子供が六人で固まっていた。
七年前の冬から、それをしなくなった。
「フィナさん」
「はい」
「俺、何をしたんですかね」
◇
フィナは、紙を揃えた。
七枚を、きれいに重ねた。
「ロイさん。あなたは、正しいことをしました」
「――結果、二万七千二百人が家を失います」
「はい」
「正しくないです」
「正しかったです」
彼女は、言い張った。
「――才牌を担保に取るのは、間違っています。……それは、人の一生を質草にすることです」
彼女は、俺を見た。
「だから、禁じたのは、正しいです」
「でも」
「でも、足りませんでした」
彼女は、そこで、初めて声を落とした。
「――ロイさん。規則というものは」
彼女は、紙束を撫でた。
「――書いた瞬間に、書いた人の手を離れます」
◇
「離れる」
「はい」
彼女は、言った。
「あなたは『才牌を返せ』と書きました。組合は『では借金を今すぐ返せ』と読みました」
彼女は、続けた。
「――どちらも、条文の通りです」
「――嘘をついてないんですか、あいつら」
「ついていません」
彼女は、あっさり言った。
「規約第九条は、二百年前からあります。今日作った条文ではありません」
「じゃあ」
「――待っていたんです」
◇
俺は、顔を上げた。
「――待ってた?」
「たぶん」
彼女は、言った。
「担保を返せと言われた時に、即時全額請求に切り替える。……この手は、規約に最初から書いてあります」
彼女は、その条文の写しを見せた。
紙が、黄ばんでいた。
「――二百年、一度も使われていません」
「――使われなかったのは、なんでですか」
「才牌を返せと言った人が、いなかったからです」
彼女は、あっさり言った。
「――二百年、一人もです」
◇
「――使う日が、来たんですね」
「来ました」
彼女は、言った。
「――誰かが、才牌を返させる日が」
◇
俺は、その紙を、しばらく見ていた。
――二百年前の誰かが、書いた文だ。
――百年前のガルドの父さんが、負けた相手かもしれない。
「フィナさん」
「はい」
「俺、条文を、もう一つ書けますか」
「――書けます」
彼女は、即答した。
「――優勝者は、規則を書けます。……セン様が、そう仰いました」
彼女は、そこで、顔を上げた。
「ですが」
「――ですが?」
「――一度書いた人間は、二度目を、必ず甘く書きます」
彼女は、言った。
「一度目でうまくいったと思っているからです」
「――うまくいってないですよ」
「ええ」
彼女は、あっさり言った。
「――ですので、今度は、二文では書かせません」




