第64話 即時全額返済
その日の夕方、フィナが戻ってきた。
マーサおばさんの食堂の、いつもの隅の席。
彼女は、椅子に座らなかった。
立ったまま、紙を一枚、卓に置いた。
「ロイさん」
「はい」
「読んでください」
◇
組合の告知だった。
木版刷りの、粗い紙。今朝、王都中に貼られたものだ。
『金貸し組合 全支店 告知』
『会戦規則第百一条の施行に伴い、当組合が担保として保有する才牌は、全て原保有者に返還される』
『これにより、当該債務は無担保債務となる』
『無担保債務については、組合規約第九条に基づき、即時全額返済を求めるものとする』
俺は、三回読んだ。
三回目で、意味がわかった。
「――即時全額」
「はい」
「分割じゃなくて」
「――一括です」
「いつまでにですか」
「十四日です」
◇
俺は、紙を置いた。
「フィナさん」
「はい」
「これ、払えますか」
「――払えません」
彼女は、即答した。
「――担保を入れる人は、金がないから担保を入れます」
「――金があったら」
「担保は、要りません」
◇
彼女は、そこで、椅子に座った。
座り方が、崩れていた。
三日、階段を下りて、そのまま組合に行った人の座り方だった。
「ロイさん」
「はい」
「私の落ち度です」
「え?」
「――条文を、私が確認しました」
◇
彼女は、紙束を開いた。
浮島で、俺が口で言った言葉が、そのまま書き写してある。
『才牌は、いかなる契約においても、担保に供してはならない』
『既に担保として保有されているすべての才牌は、本条の施行をもって、原保有者に返還される』
◇
「――二文です」
彼女は、言った。
「二文しか、ありません」
彼女は、その二文を指でなぞった。
「債務をどうするかが、書いてありません」
「――書かないと、だめなんですか」
「だめです」
彼女は、顔を上げた。
「担保というのは、二つで一つです。……借金と、質草。片方だけ動かすと、もう片方が暴れます。私は、質草だけを動かしました」
「――暴れる、って」
「今日、暴れています」
◇
俺は、卓の木目を見ていた。
「フィナさん」
「はい」
「――あれ、俺が言ったんですよ」
「私が、清書しました」
「俺が、思いつきました」
「――私が、止めませんでした」
「止めるつもりでした?」
「――いいえ」
彼女は、正直に言った。
「あの時、私は、嬉しかったです」
彼女は、両手を膝に置いた。
「――だから、二文で足りると思いました」
「――俺もです」
「あなたは、いいんです」
彼女は、そう言った。
「あなたは、皿洗いです。私は、鑑定士です」
◇
厨房から、マーサおばさんが顔を出した。
「――あんたら、飯は」
「あとで」
「――今、食いな」
おばさんは、皿を二つ、卓に置いた。
スープと、パンと、芋。
「――金がないから、あとにしてるんだろ」
「違います」
「嘘つきな」
◇
俺は、スープを見た。
――いつもより、具が多かった。
「――おばさん」
「なんだい」
「――具、多くないですか」
「――気のせいだ」
「多いです」
「――気のせいだよ」
「――芋が、三個入ってます」
「――数えるんじゃないよ」
◇
おばさんは、厨房に戻った。
戻る背中に、俺は聞いた。
「――おばさん」
「なんだい」
「才牌、戻ってきましたか」
◇
背中が、止まった。
止まったまま、言った。
「――戻ってきたよ」
「そうですか」
「――十二年ぶりだ」
彼女は、そう言った。
「――【味見】だ。しょうもない才能だよ」
「しょうもなくないです」
「――しょうもないさ」
彼女は、振り返らなかった。
「――十二年、なしでやってきた。……なくても、味は出せる」
彼女は、そこで、少し黙った。
「ただな」
「――なんですか」
「今日、鍋を味見したらね。昨日より、薄かった」
「――薄い」
「――薄いんだよ」
彼女は、そう言った。
「昨日まで、あれで出しとったんだ」
◇
彼女は、厨房に消えた。
俺は、スープを見た。
――具が、多かった。
そして、味が、いつもと違った。
――少しだけ、しょっぱかった。
「フィナさん」
「はい」
「おばさん、いくら借りてるんですかね」
「伺いましょうか」
「――聞けないです」
「――ですね」
彼女は、あっさり言った。
「――ですが、明日には、わかります」
「――なんでですか」
「取り立てが、来ますので」
◇
フィナが、スプーンを取った。
「ロイさん」
「はい」
「――明日、組合に行きます」
「――行って、どうするんですか」
「数えます」
彼女は、言った。
「――何人が、いつまでに、いくら払うのか。……全部、数えます」
「――数えて、どうなりますか」
「何も、変わりません」
彼女は、あっさり言った。
「――ですが、数えないと、何も始まりません」
俺は、頷いた。
「――俺は」
「あなたは」
彼女は、スープを一口飲んだ。
――そして、少し、顔をしかめた。
「――皿を、洗ってください」
「え?」
「――明日から、たぶん、忙しくなります。今日のうちに、洗える皿は洗っておいた方がいいです」




