第63話 十年ぶりの銘
ガルド爺の店は、下町の東の外れにある。
表は雑貨屋だ。鍋と、縄と、蝋燭と、干した薬草。
――裏に、炉がある。
十年、火が入っていなかった炉だ。
五日前に、初めて火が入った。俺の剣を打つために。
◇
店の前まで来て、俺は足を止めた。
――煙が、上がっていた。
細い煙じゃなかった。
太い、まっすぐな煙が、屋根の煙突から立ち上っている。
「焚いてますね」
「――焚いていますね」
「五日前のは、細かったです」
「炭の量が違います」
フィナは、あっさり言った。
「あれは、本気で焚く時の煙です」
◇
裏に回った。
熱が、扉の外まで来ていた。
炉の前に、爺さんが座っていた。
背中を丸めて、火を見ていた。
――動いていなかった。
「――爺さん」
返事がなかった。
「ガルドさん」
フィナが呼んでも、動かなかった。
◇
俺は、近づいた。
爺さんの右手が、胸元にあった。
――何かを、握っていた。
俺は、その手元を見た。
――才牌だった。
◇
「――爺さん」
俺が肩に触れると、爺さんは、ようやくこっちを見た。
目が、赤かった。
「ああ」
彼は、そう言った。
「帰ったか」
「帰りました」
「そうか」
彼は、また炉を見た。
◇
「――何時間、そうしてるんですか」
「――知らん」
「知らないんですか」
「――日が昇る前から座っとる」
俺は、空を見た。
――昼を過ぎていた。
「七時間ですか」
「そうか」
彼は、興味がなさそうに言った。
「飯は」
「食っとらん」
「――水は」
「――飲んどらん」
俺は、フィナを見た。
彼女は、無言で桶を取りに行った。
◇
俺は、爺さんの手元を、もう一度見た。
才牌が、一枚。
黒い升目は、一つもなかった。
銘が、はっきりと刻まれていた。
――【鍛える】。
◇
「戻ってきたんですね」
「昨日の夜だ」
爺さんは、そう言った。
「寝とったら、胸が熱くてな。……火事かと思って飛び起きた」
彼は、鼻を鳴らした。
「――ここに、落ちとった」
彼は、床を指した。
「胸から出てきて、床に落ちた。……十年ぶりに見た」
「――拾いましたか」
「拾わんかった」
彼は、あっさり言った。
「朝まで、そこにあった」
◇
「使いましたか」
「使わん」
「――なんでですか」
爺さんは、答えなかった。
しばらく、火を見ていた。
それから、言った。
「――怖いんだよ」
「怖い?」
「――使って、なんも変わらんかったら、どうする」
彼は、才牌を握り直した。
「十年、なしで打ってきた。……才牌がなくても、打てた」
彼は、俺を見た。
「なら、あっても、なくても、同じかもしれん」
彼は、火に向き直った。
「同じだったら、わしは、十年、何を惜しんどったんだ」
◇
俺は、その言葉を、しばらく考えていた。
フィナが、桶を持って戻ってきた。
爺さんは、それを受け取って、半分だけ飲んだ。
「――爺さん」
「なんだ」
「五日前に打った剣、あれ、才牌なしですよね」
「――なしだ」
「いい剣でした」
「――当たり前だ」
「じゃあ、才牌があったら、もっといい剣になりますか」
「――知らん」
「試さないんですか」
「だから、怖いと言っとる」
◇
俺は、炉を見た。
火が、いい色をしていた。
白に近い、黄色。
「――爺さん」
「なんだ」
「――俺、皿を四百四十一枚割りました」
「知っとる」
「四百四十二枚目、割るのは、怖くないです」
◇
爺さんが、こっちを見た。
「――なんでだと思いますか」
「――知るか」
「四百四十一枚、割ったからです。一枚目が、いちばん怖かったです」
「――一枚目か」
「一枚目です」
俺は、言った。
「あの日、俺、店の裏で三十分泣きました」
「――知らんかったな」
「言ってないです」
◇
爺さんは、長いこと、黙っていた。
それから、才牌を、胸に当てた。
――光らなかった。
音も、しなかった。
ただ、才牌が、すっと胸に沈んだ。
◇
爺さんは、鎚を取った。
炉から、鉄を出した。
――打った。
一発。
◇
音が、違った。
俺は、鍛冶のことは何も知らない。
それでも、違うのがわかった。
五日前の音は、「かん」だった。
今の音は、「こん」だった。
――重かった。
フィナが、小さく息を吸うのが、聞こえた。
「――ロイさん」
「はい」
「――音が、変わりました」
「変わりましたね」
「――【看破】でも、見えます」
彼女は、そう言った。
「鉄の中の、詰まり方が違います」
◇
爺さんは、鎚を止めた。
鉄を見た。
それから、笑った。
――笑って、そのまま、動かなくなった。
「――爺さん」
返事はなかった。
肩が、揺れていた。
俺とフィナは、そのまま裏口から出た。
何も言わずに。
◇
店の表に回ったところで、フィナが言った。
「ロイさん」
「はい」
「――あなたがやったことは、正しかったです」
「今のところは」
彼女は、そう付け足した。
「――今のところは?」
「はい」
彼女は、紙束を抱え直した。
「組合の資料を、読みに行きます」
「――何を調べるんですか」
「担保の総額です」
彼女は、そう言った。
「――才牌が返ったということは、担保が消えたということです」
彼女は、顔を上げた。
「――担保が消えた借金は、どうなると思いますか」




