第61話 下り階段
階段が、戻っていた。
朝、目を覚まして島の縁に出たら、そこに生えていた。
九万九千九百九十九段。上ってきた時と、同じものだ。石の色も、幅も、一段の高さも変わっていない。
違うのは、向きだけだった。
◇
「下りですね」
「下りです」
フィナが、紙束を抱え直した。三百十二ページが、四冊に増えている。
「ロイさん、ご存じですか」
「なんですか」
「――下りは、上りより、きついです」
「嘘でしょ」
「本当です」
◇
彼女は、指を立てた。こういう時の彼女は、鑑定士というより教師だった。
「上りは、心臓が音を上げます。下りは、膝が音を上げます」
「――どっちも音を上げるんですね」
「はい」
彼女は、あっさり頷いた。
「ただ、心臓は根性でなんとかなります。膝は、なりません」
「――根性で、なんとかならないんですか」
「なりません」
彼女は、断言した。
「膝は、部品です。使えば減ります。減った分は、戻りません」
「――才牌みたいですね」
「才牌は戻ります。膝は戻りません」
◇
俺たちは、下り始めた。
一段。二段。三段。
――百段で、俺は理解した。
「フィナさん」
「はい」
「膝が、笑ってます」
「まだ百段です」
「百段です」
「九万九千八百九十九段、残っています」
「――言わないでください」
◇
上りの時、俺は一人だった。
正確には、途中からドルガが来た。それでも、二人だ。
――今日は、違った。
俺の前を、ドルガが下りていた。
俺の後ろを、シャノンが下りていた。九枚の鎧が、一段ごとにがしゃがしゃ鳴った。
「その鎧、重くないですか」
「重いわよ」
「脱ぎませんか」
「脱ぎ方を、忘れたの」
彼女は、あっさり言った。
「八歳から着てるのよ」
その後ろに、才牌を返された九人が、ぞろぞろと続いていた。
全部で、十二人。
◇
「――なあ、七十席」
ドルガが、振り返らずに言った。
「はい」
「――お前、この階段、上る時は一人だったな」
「そうですね」
「――今、何人だ」
俺は、数えた。
「――十二人です」
「そうだ」
彼は、それだけ言って、また下り始めた。
五十段ほど下りたところで、もう一度、言った。
「――上りの時、俺はお前の荷物を持った」
「持ってもらいました」
「――今日は、持たん」
「――なんでですか」
「持つほど遅くねえだろうが」
俺は、その言葉に、少し笑った。
◇
三千段で、二日目の老人が座り込んだ。
八十歳だ。庭木の才能を十四枚持っていた人だ。
「――すまん。少し待て」
「休みましょう」
「――いや、行け。わしは日暮れまでに着けばよい」
「階段、消えますよ」
「消えたら、その時考える」
彼は、そう言って笑った。
「わしはな、八十年、庭木ばかり見てきた」
彼は、雲を指した。
「――上から下を見るのは、初めてだ」
結局、俺たちは全員で座った。
◇
三千段目からの景色は、妙だった。
下を見ると、雲だ。
上を見ると、島だ。
――どっちも、行ける気がしなかった。
「フィナさん」
「はい」
「――俺、優勝したんですよね」
「しました」
「実感が、ないです」
「――ないですね」
彼女も、あっさり認めた。
「わたしも、鑑定士として同行しただけのつもりでした」
「違うんですか」
「委嘱状には、公認鑑定士と書いてあります」
彼女は、紙を出した。石ではなく、普通の紙だ。
「――この紙、まだ持ってるんですか」
「持っています」
◇
「――優勝したのに、才牌は一枚のままです」
俺は、胸元を出した。
【不撓不屈】。
五つの升目が、全部繋がっている。
「賞品も、もらってないです」
「辞退しましたので」
「――辞退しました」
俺は、それを見た。
「――代わりに、条文を一つ書いてもらいました」
「あれ、効きますかね」
「効きます」
フィナは、即答した。
「――なんで、そう言い切れるんですか」
「会戦の規則は、地上の法に優先します」
彼女は、紙束をめくった。
「セン様が、そう仰いました。……そして、あの方は百年、規則しか読んでいません」
「――規則しか読んでない人の言うことって、信用していいんですかね」
「規則の話なら、世界で一番信用できます」
◇
俺は、雲を見た。
――王都は、どうなっているだろう。
才牌を担保に取られていた人が、何万人いるのか、俺は知らない。
ガルド爺。ヴェイルさんの親父さん。
――たぶん、もっといる。
「フィナさん」
「はい」
「――何人くらい、返るんですかね」
「――計算しました」
「してたんですか」
「昨日の夜に」
彼女は、紙束の後ろの方をめくった。
「金貸し組合の公表資料から、担保として保有されている才牌の枚数を逆算しました」
「――何枚ですか」
彼女は、顔を上げた。
「四万一千二百枚です」
「四万」
「はい」
「――人数だと」
「三万人前後かと」
俺は、その数字を、飲み込んだ。
三万人。
下町の全住民より、多い。
◇
「フィナさん」
「はい」
「――三万人が、才能を取り戻すんですよね」
「はい」
「――それって」
俺は、言った。
「――いいことですよね」
◇
フィナは、答えなかった。
紙束を、抱え直しただけだった。
「フィナさん?」
「――たぶん、いいことです」
彼女は、そう言った。
「――たぶん?」
「たぶんです」
「――そこ、断言しないんですね」
「断言できることしか、断言しません」
◇
彼女は、雲を見ていた。
「ロイさん。条文には、才牌を返せ、と書いてあります」
「はい」
「借金を返せ、とは書いてありません」
「――借金の話、してないですよね」
「していません」
彼女は、そう言った。
「――書かなかったことは、起きないわけではありません」
◇
俺は、その言葉の意味を、その時はまだ、わかっていなかった。
わかったのは、三日後だ。
――地上に、着いた日だ。




