第59話 五文字目
白装束は、動かなかった。
闘技場の中央で、片手を下ろしたまま。
「――七十席」
「はい」
「――試合中に、何をしておいでですか」
「――喋ってます」
「――なぜ」
「――時間があるので」
俺は、言った。
「六十分あります。……まだ、二十分です」
◇
俺は、立ち上がった。
五十四回目。
――今度も、折れなかった。
「――白装束さん」
「はい」
「――一つ、提案があります」
「なんでしょう」
「――俺が勝ったら」
俺は、言った。
「――優勝賞品、要らないです」
◇
闘技場が、ざわめいた。
「――なんと」
「才能をなくす才牌ですよね」
「はい」
「――要らないです」
俺は、言った。
「――代わりに、一つ、お願いがあります」
◇
「――お聞きしましょう」
「――この島に、金貸し組合が来てますよね」
白装束の布が、動いた。
「――なぜ、それを」
「――ガルド爺に聞きました」
俺は、言った。
「担保に取られた才牌が、この島に来てるって」
俺は、彼を見た。
「――返してほしいんです」
◇
「――誰に、ですか」
「――全員に」
俺は、言った。
「借金の担保で取られた人、全員に」
◇
闘技場が、静まり返った。
九十人が、俺を見ていた。
「――七十席」
白装束は、言った。
「――それは、優勝賞品では、できません」
「――できないんですか」
「――神々の才牌は、才能を消すものです。……返すものではありません」
「――じゃあ」
俺は、言った。
「――規則を、変えてください」
◇
「――変える?」
「はい」
俺は、言った。
「あなた、進行役ですよね。……百年、この会戦を回してきたんですよね」
「はい」
「――なら、規則を書けますよね」
◇
白装束は、長いこと、黙っていた。
「――書けます」
やがて、彼は言った。
「――ですが、書いたことがありません」
「――なんでですか」
「――百年、必要がありませんでした」
彼は、言った。
「――誰も、規則を変えてくれと言いませんでした」
◇
俺は、笑った。
「――言いますよ、俺」
俺は、剣を、地面に置いた。
「――何度でも言います」
◇
白装束は、俺を見ていた。
布の下の顔は、見えなかった。
でも――
――何かが、変わった。
「――七十席」
彼は、言った。
「――試合を、続けます」
彼は、両手を上げた。
「――ここからは、わたくしも、本気で参ります」
◇
次の十分は、地獄だった。
白装束は、俺の癖を、全部使ってきた。
右足。左足。呼吸。視線。踏み込みの角度。手をつく位置。
――五十五回目から、八十七回目まで。
俺は、三十二回、立てなかった。
立てなかった、というのは、立つのに五秒以上かかったという意味だ。
◇
八十八回目。
俺は、岩の上で、動けなかった。
――限界だった。
「――ロイさん!!」
フィナの声。
「――もう、いいです! 十分やりました!」
――そうか。
もう、いいのか。
◇
――【不撓】が、消えかけた。
俺が「もういい」と思った瞬間、この才能は、何もしてくれない。
膝が、震え始めた。
視界が、白くなった。
◇
その時。
闘技場の縁から、声がした。
「――いち!」
パン屋のおかみさんの声じゃなかった。
――ドルガだった。
「――に!」
シャノンの声が、続いた。
「――さん!」
二日目の老人。
「――し!」
三日目の少女。棄権したはずの。
◇
「――ご!」
「――ろく!」
「――しち!」
闘技場の縁の、九十人が。
――数え始めた。
◇
俺は、顔を上げた。
九十人が、こっちを見ていた。
――誰も、笑っていなかった。
全員、俺が立つのを、待っていた。
◇
――ああ。
俺は、思った。
三か月前、下町の広場で。
五百人が、俺が負けるのを見に来ていた。
二か月前、予選の闘技場で。
五千人が、俺が立つのを見に来ていた。
――今日は。
九十人が、俺が立つのを、数えている。
◇
俺は、岩に、手をついた。
――立つ。
膝を、立てた。
――立つ。
背中を、起こした。
――立つ。
◇
八十九回目。
俺は、立った。
六秒かかった。
――でも、立った。
◇
その瞬間。
胸が、灼けた。
俺は、才牌を、引っ張り出した。
【不撓】。
――四つ目の升目の黒が、剥がれた。
そして、五つ目も。
二つ同時に。
◇
四つの文字が、ほどけて、混ざって、繋がって。
――五文字が、揃った。
◇
【不撓不屈】。
◇
「――ロイさん!!」
フィナが、叫んだ。
「――読めます! 全部、読めます!」
彼女は、【看破】で、才牌を見ていた。
「――銘、【不撓不屈】。効果、一つ!」
◇
彼女は、叫んだ。
「――『この者は、折れない』!」




