第58話 百年の癖
俺は、膝をついたまま、考えていた。
――勝てない。
時間切れで、引き分け。引き分けなら、席次で負ける。
つまり、俺が勝つには、この人を倒すしかない。
――でも、この人は、才牌ゼロだ。
殴れば、たぶん、倒れる。
――問題は、近づけないことだ。
◇
「――フィナさん!」
俺は、闘技場の縁に向かって、叫んだ。
「はい!」
「――解析、お願いします!」
「――していますが」
彼女の声が、震えていた。
「――才能が、ありません!」
彼女は、叫んだ。
「――解析するものが、ないんです!」
◇
俺は、立った。
三十二回目。
――また、膝が折れた。
今度は、左だった。
「――左にも、砂を?」
「はい」
白装束は、あっさり言った。
「――両足に置きました。あなたが右の砂を払った時に」
◇
俺は、両足の砂を、払った。
立った。
――折れた。
「――今度は、何ですか」
「――砂ではありません」
彼は、言った。
「――あなたの、呼吸です」
◇
「――呼吸?」
「立ち上がる時、あなたは息を吐きます。……三か月、そう練習されました」
彼は、言った。
「吐く瞬間に、わたくしが一歩、前に出ました」
彼は、言った。
「――人は、息を吐きながら、驚けません」
◇
俺は、その説明を、聞いていた。
――理不尽だった。
才能じゃない。技でもない。
――ただ、知られているだけだ。
俺の癖を、全部。
◇
三十三回目。
三十四回目。
四十回目。
――俺は、立ち続けた。
立って、折れて、立って、折れて。
闘技場の縁で、九十人が、見ていた。
誰も、声を出さなかった。
◇
五十回目を過ぎたあたりで、俺は、気づいた。
――白装束が、動いている。
最初の三十回は、片手を上げるだけだった。
今は、歩いている。俺の周りを、少しずつ。
――疲れているのだ。
「――白装束さん」
「はい」
「――疲れてますよね」
「――はい」
彼は、あっさり認めた。
「――百年、鍛えておりませんので」
◇
俺は、笑った。
膝をついたまま。
「――才能をなくしてから、百年」
「はい」
「――何をしてたんですか」
「――進行役です」
「――他には」
「――他には」
彼は、少し、黙った。
「――記録を、読んでおりました」
◇
「――記録」
「はい」
彼は、言った。
「百年、千人近い候補者の記録を読みました。……その全員の、癖と、崩れ方を」
彼は、俺を見た。
「――それだけが、わたくしに残った、唯一の武器です」
◇
俺は、その言葉を、聞いていた。
――それだけが、残った。
二百三十一枚の才牌を失って、百年、記録を読み続けた男。
――才能じゃない。
積み上げだ。
「――白装束さん」
「はい」
「――一つ、聞いていいですか」
「どうぞ」
◇
「――百年前、あなたが優勝した時」
俺は、言った。
「――九十九人の才牌を、全部、奪ったんですよね」
「はい」
「――返さなかったんですね」
◇
白装束の動きが、止まった。
完全に。
「――……はい」
彼は、言った。
「――返しませんでした」
◇
俺は、立った。
五十一回目。
――折れなかった。
白装束が、動いていなかったからだ。
「――なんで、返さなかったんですか」
「――規則ですので」
「――規則に、返すなとは書いてないですよね」
「――はい」
「――あなた、六日前、俺に言いましたよね」
俺は、言った。
「――『規則の外を聞かれたのは、百年ぶりです』って」
◇
白装束は、答えなかった。
「――百年前、誰も聞かなかったんですね」
俺は、言った。
「――あなたも、聞かなかったんですね」
◇
闘技場が、静かだった。
九十人が、見ていた。
「――……はい」
白装束の声が、初めて、揺れた。
「――わたくしは、聞きませんでした」
彼は、言った。
「勝って、奪って、優勝して、賞品を受け取りました」
彼は、自分の手を見た。
「――そして、全部、消えました」
◇
「――九十九人分が、消えたんですか」
「はい」
「――返せなくなったんですね」
俺は、言った。
白装束の肩が、揺れた。
「――だから、百年、ここにいるんですか」
◇
彼は、答えなかった。
答えないまま、片手を上げた。
――俺の膝が、折れた。
五十二回目。
でも、俺は、その手が震えているのを、見た。
◇
「――七十席」
彼は、言った。
「――試合を、続けましょう」
「――続けます」
俺は、立った。
五十三回目。
「――ですが」
俺は、言った。
「――一つだけ、言わせてください」
◇
「――なんでしょう」
「――あなた、俺に、返し方を聞きましたよね」
俺は、言った。
「病室で。『受け取って、すぐ返すのはどうですか』って俺が言った時」
俺は、彼を見た。
「――あなた、『百年ぶりです』って言って、帰りましたよね」
◇
白装束の手が、下りた。
「――あれ」
俺は、言った。
「――嬉しかったんじゃないですか」




