第54話 不撓
【不撓】。
俺は、その二文字を、見ていた。
「――フィナさん」
「はい」
「三つ目、ほどけました」
「――見えています」
彼女は、闘技場の縁から、駆け下りてきた。
「――ですが、おかしいです」
「――おかしい?」
「――勝っていません」
◇
彼女は、紙束を広げた。
「あなたは、今日、勝っていません。判定は引き分け、その後、相手の申し出による敗北」
彼女は、ペンを走らせた。
「――つまり、戦闘での勝利は発生していません」
「――じゃあ、なんで」
「――条件が、勝利ではないからです」
◇
彼女は、顔を上げた。
「三か月前。決闘で、あなたは勝ちました。……ですが、ほどけたのは、勝った瞬間ではありません」
彼女は、記録をめくった。
「――二十七回倒れて、二十八回立った時です」
「――そうでしたっけ」
「そうです。記録があります」
彼女は、次のページを開いた。
「予選。ほどけたのは、ヴェイルさんを殴った瞬間ではありません」
彼女は、俺を見た。
「――四十七分、待ち終えた時です」
◇
俺は、その言葉を、飲み込んだ。
「――今日は」
「――シャノンさんが、泣いた時です」
彼女は、言った。
「勝敗ではありません。……三回とも、誰かの何かが、変わった瞬間です」
◇
俺は、才牌を見た。
【不撓】。
残り、二つの黒い升目。
「――フィナさん」
「はい」
「――俺の才能、なんなんですかね」
「――わかりません」
彼女は、正直に言った。
「三百十二ページ書いて、まだわかりません」
彼女は、少しだけ、笑った。
「――ですが、一つ、仮説が立ちました」
◇
「――なんですか」
「あなたの才能は」
彼女は、言った。
「――折れない、という才能です」
彼女は、指を立てた。
「【諦めない】。【不屈】。【不撓】。……三つとも、意味は同じです」
「――同じですか」
「はい」
彼女は、頷いた。
「日本語で言えば、全部『折れない』です」
◇
「――同じ意味の言葉が、五つ並んでる、ってことですか」
「――たぶん」
彼女は、少し考えた。
「ただ、段階があります」
彼女は、指を折った。
「【諦めない】は、自分が折れない」
「【不屈】は、痛みで折れない」
「――【不撓】は」
彼女は、俺を見た。
「――『撓む』の否定です。……曲がらない、という意味です」
◇
その日の夜、俺は、その意味を知った。
宿舎の廊下で、俺は、壁にぶつかった。
――壊れなかった。
いや、壁が壊れなかったんじゃない。
――俺の骨が、曲がらなかった。
「――え」
俺は、自分の腕を見た。
左腕。予選で三十一か所斬られて、二か所、骨にヒビが入っている場所。
――押しても、痛くなかった。
◇
フィナが、【看破】で診た。
「――骨が、硬化しています」
「――硬く?」
「いえ、硬化ではありません」
彼女は、目を凝らした。
「――曲がらなくなっています」
「――同じでは」
「違います」
彼女は、首を振った。
「硬いものは、限界を超えると割れます。……あなたのは、割れません」
彼女は、俺を見た。
「――限界を超えると、曲がったまま元に戻ります」
◇
俺は、その説明を、三回聞き直した。
「――わからないです」
「私もです」
彼女は、あっさり言った。
「――ですが、実用上は、こうです」
彼女は、紙にペンを走らせた。
「殴られても、折れません。斬られても、致命傷になりません。……疲労しても、動きが止まりません」
彼女は、顔を上げた。
「――シャノンさんの【硬化】より、上位です」
◇
俺は、その夜、宿舎の屋上に出た。
星が、近かった。
――七日のうち、一日が終わった。
あと、六日。
あと、二回。
「――ロイ」
声がした。
振り返ると、ドルガが立っていた。三十席の、鎧の男。
「――どうも」
「――お前」
彼は、俺の隣に来た。
「――才牌九枚、返したそうだな」
「はい」
「――二回目だぞ」
「はい」
◇
彼は、しばらく黙っていた。
それから、言った。
「――他の連中が、噂してる」
「なんて」
「――『あいつは、才牌を集めに来てない』」
彼は、言った。
「――『じゃあ、何しに来た』」
◇
俺は、星を見上げた。
「――ドルガさん」
「なんだ」
「――俺、才牌、増えないんですよ」
「――聞いた」
「勝っても、一枚のままです。名前が変わるだけです」
俺は、才牌を出した。
【不撓】。
「――だから、集めても、意味ないんです」
◇
「――じゃあ、なんで出た」
「――断ったら、才牌を摘出されるって言われたんで」
「――それだけか」
「――最初は」
俺は、言った。
「――今は、違います」
◇
「――何が違う」
「――ヴェイルさんの、親父さんの才牌が、金貸し組合にあるんです」
俺は、言った。
「ガルド爺の才牌も。……百年前に会戦に出た、爺さんの親父さんの才牌も」
俺は、拳を握った。
「――全部、この島に来てるって聞きました」
◇
ドルガの動きが、止まった。
「――お前」
「はい」
「――取り返す気か」
「――優勝したら、神々の才牌がもらえるって聞きました」
俺は、言った。
「――それが何かは、誰も知らないそうです」
俺は、笑った。
「――知らないものは、何にでも使える可能性があります」
◇
ドルガは、しばらく、俺を見ていた。
それから、大きく、ため息をついた。
「――お前、第三席のカイルを見たか」
「見ました」
「――百二十枚だ」
「はい」
「――勝てると思ってんのか」
◇
俺は、星を見上げた。
「――思ってないです」
俺は、言った。
「――でも、あと二回です」
俺は、才牌を握った。
「二回ほどければ、五文字、全部揃います」
俺は、ドルガを見た。
「――その時、俺の才能が何なのか、たぶん、わかります」




