第44話 規則の穴
白装束は、しばらく、動かなかった。
「――もう一度、おっしゃっていただけますか」
「受け取って、すぐ返すのは、どうですか」
「……才牌の譲渡は」
「規則にありますか」
俺は、聞いた。
「敗者の才牌が勝者に移る、って規則はありますよね。……勝者が、それを人にあげちゃいけない規則は、ありますか」
◇
白装束は、名簿をめくった。
ずいぶん長い間、めくっていた。
やがて、彼は言った。
「――ございません」
病室が、静かになった。
「才牌の譲渡を禁じる条文は、会戦規則には、ございません」
「――なんでですか」
「――前例がないからです」
彼は、名簿を閉じた。
「百年に一度の会戦で、十回分の記録があります。……勝者が敗者に才牌を返した例は、一件もございません」
◇
ガルド爺が、酒瓶を落とした。
「――坊主」
「はい」
「お前、何やろうとしとる」
「返そうとしてます」
「――それは、わかっとる」
爺さんは、床に落ちた酒瓶を、拾わなかった。
「――そんなことしたら、どうなると思う」
「――どうなるんですか」
「他の候補が、黙っとらん」
爺さんは、身を乗り出した。
「会戦ってのはな、坊主。才能の取り合いだ。……勝ったら奪う。それが前提の場所だ」
彼は、俺を見た。
「――奪わん奴が出たら、規則の根っこが揺れる」
◇
俺は、フィナを見た。
彼女は、紙束を抱えて、俺を見ていた。
「――フィナさん」
「はい」
「危ないですか」
「――危ないです」
彼女は、正直に言った。
「他の九十八人が、あなたを『規則を壊す者』として見ます」
「――でも」
「はい」
彼女は、頷いた。
「――ですが、規則の穴です」
彼女は、紙束をめくった。
「才能は、仕様です。仕様には、穴があります」
彼女は、顔を上げた。
「――規則も、同じです」
◇
白装束が、深く、頭を下げた。
「――承知いたしました」
「――いいんですか」
「規則にございませんので」
彼は、名簿を懐に戻した。
「本日、二十時。才牌の移譲式を執り行います。……その後のことは、規則の管轄外です」
彼は、扉に向かった。
そして、扉の前で、一度、止まった。
「――ロイ様」
「はい」
「一つ、申し上げてもよろしいですか」
「どうぞ」
「――百年ぶりです」
◇
彼は、そう言った。
「え?」
「規則の外を、聞かれたのは」
白装束は、振り返らなかった。
「百年、この役目をしております」
――百年。
俺は、その言葉に、引っかかった。
「――あの」
「はい」
「あなた、何歳ですか」
「――規則の管轄外です」
扉が、閉まった。
◇
その夜、二十時。
俺は、包帯だらけで、闘技場の控え室にいた。
ヴェイルが、向かいに座っていた。
彼も、包帯だらけだった。腕は、肩から吊っていた。
「――なあ」
「はい」
「聞いたぞ」
彼は、俯いていた。
「返すって、本気か」
「本気です」
「――なんでだ」
◇
俺は、少し考えた。
「――ヴェイルさん、四十七分、待ってましたよね」
「――ああ」
「九人分」
「――ああ」
「それって、四十七分×九で」
俺は、指を折った。
「――七時間くらいです」
ヴェイルが、顔を上げた。
「――七時間、あなたは、殺さないために待ったわけです」
俺は、言った。
「俺、六分待っただけです」
◇
「――足りないですよ、まだ」
「――バカか」
ヴェイルの声が、割れた。
「――バカだろ、お前」
「よく言われます」
「――俺は、お前を三十一か所斬ったんだぞ」
「浅く、ですけどね」
「――浅くねえよ! 最後のは深かった!」
「あれは、俺が余計なこと言ったからです」
「――そうだよ!!」
彼は、包帯の腕で、顔を覆った。
「――そうだよ、くそ」
◇
移譲式は、五分で終わった。
白装束が、名簿に指を滑らせて、俺の欄に【加速】と【出血】が書き加えられた。
そして、その三十秒後。
俺は、それを、ヴェイルに返した。
名簿の文字が、また、動いた。
『百番 ロイ/【不屈】』
『八十七番 ヴェイル/【加速】【出血】』
――元通りだった。
◇
「――以上をもって、移譲を完了とします」
白装束は、そう言って、頭を下げた。
そして、付け加えた。
「――ヴェイル様」
「……はい」
「予選敗退により、あなたの候補資格は失われます」
「――はい」
「ただし」
白装束は、名簿をめくった。
「才牌を保有する者は、次回会戦の候補となる資格を有します」
彼は、言った。
「次回は、百年後です」
◇
ヴェイルが、笑った。
「――百年後か」
「はい」
「――生きてねえな」
「はい」
白装束は、あっさり頷いた。
それから、こう言った。
「――ですが、才牌はございます」




