第42話 四十七分
六分は、長かった。
俺は、立っていた。
三十一か所から、血が流れ続けていた。視界は白く、耳が遠く、指の感覚がなかった。
――倒れたら、負けだ。
ヴェイルは、砂に膝をついていた。
彼も、動けなかった。三回の二重掛けが、腕の血管を壊していた。
二人とも、動けない。
闘技場は、静まり返っていた。
◇
二千五百人が、黙っていた。
誰も、野次を飛ばさなかった。誰も、笑わなかった。
――ただ、見ていた。
「――なあ、ロイ」
三分経った頃、ヴェイルが言った。
「なんですか」
「――お前、倒れるぞ」
「はい」
「先に倒れたら、お前の負けだ」
「はい」
「――なんで、待つ」
◇
俺は、少し考えた。
「――さっき、言ったじゃないですか」
「なんて」
「殺さないでおくのは、才能じゃなくて、あなたが自分で決めたことだって」
俺は、言った。
「――俺も、自分で決めたいんです」
俺は、拳を握った。
「才能で勝つんじゃなくて、俺が決めたことで勝ちたいんです」
◇
ヴェイルは、しばらく黙っていた。
それから、掠れた声で笑った。
「――バカだな」
「はい」
「――どうしようもねえバカだ」
「はい」
「――九人とも、そう言えばよかった」
彼は、砂を掴んだ。
「『諦めろ』じゃなくて、『待つ』って」
◇
四十五分。
俺の膝が、笑い始めた。
――あと二分。
視界が、半分、消えていた。
「――ロイさん!!」
鑑定士席から、フィナの声が飛んだ。
「あと二分は、無理です! 今、殴ってください!」
「――まだです!」
「死にます!」
「――死なないです!」
俺は、叫び返した。
「【諦めない】ですから!」
◇
四十六分。
俺は、片膝をついた。
――倒れた、と観客席がどよめいた。
でも、俺は、片膝だった。
両手は、ついていない。
――まだ、倒れていない。
「――ロイ!」
ヴェイルが、叫んだ。
「もういい! 殴れ!」
「――あと、五十秒」
「バカ野郎!!」
◇
四十七分。
鐘は、鳴らなかった。
時間を計っていたのは、俺と、ヴェイルと、たぶんフィナだけだ。
俺は、片膝から、立ち上がった。
――何秒かかったかは、わからない。
たぶん、十秒くらいかかった。
二秒七じゃなかった。
でも、立った。
◇
俺は、ヴェイルの前に、歩いていった。
三歩。
拳を、握った。
「――ヴェイルさん」
「――なんだ」
「四十七分、経ちました」
「――そうか」
彼は、顔を上げた。
笑っていた。
「――やれ」
◇
俺は、拳を、振り抜いた。
――当たった。
ヴェイルの体が、砂の上を、二度跳ねた。
そして、動かなくなった。
◇
闘技場が、静かだった。
二千五百人が、声を出さなかった。
俺は、その場に、立っていた。
――立っていた。
膝が笑って、視界が白くて、全身から血が流れていて。
それでも、立っていた。
◇
――胸が、熱くなった。
傷の熱さじゃなかった。
もっと内側。才牌のある場所が。
俺は、震える手で、才牌を引っ張り出した。
◇
一つ目の升目。
【諦めない】。
――その文字が、ほどけていた。
墨が滲むみたいに、字が崩れて、形を失って。
そして、二つ目の升目の黒が、剥がれていく。
二つの升目が、繋がって。
――新しい文字が、浮かんだ。
◇
【不屈】。
◇
俺は、その二文字を、見ていた。
――名前が、変わった。
フィナが言った通りだった。
勝つたびに、名前が変わる。
◇
そして、体が、変わった。
――痛みが、遠くなった。
消えたわけじゃない。三十一か所の傷は、そのままだ。血も、まだ流れている。
ただ、その痛みが、俺の動きを、止めなくなった。
膝の震えが、止まった。
視界の白が、少し、晴れた。
――負傷や恐怖で、動きが鈍らない。
それが、【不屈】だった。
◇
闘技場の、審判が、立ち上がった。
「――決着」
彼は、宣言した。
「勝者、百番、ロイ」
◇
その瞬間。
二千五百人が、立ち上がった。
音が、降ってきた。
――三十分前まで、笑っていた人たちが。




