第36話 三か月
三か月は、あっという間だった。
毎朝、食堂で皿を洗う。昼、ガルド爺のところで転ぶ。夕方、広場でフィナの検証を受ける。夜、また転ぶ。
それだけの三か月だった。
◇
一か月目。
立ち上がりの時間は、五秒から、三秒八になった。
「――伸びたな」
ガルド爺が、珍しく言った。
「一・二秒です」
「一か月で一・二だ。悪くない」
「二秒には、まだ遠いです」
「――そこからが遠いんだよ」
爺さんは、酒を飲んだ。
「三秒台までは、慣れで縮む。二秒台は、体の作りを変えんと無理だ」
◇
二か月目。
三秒八から、三秒二になった。
伸びが、鈍った。
「――止まりましたね」
フィナが、記録を見ながら言った。
「二週間、〇・一しか縮んでません」
「ですね」
「原因、わかりますか」
「――疲れてます」
「はい」
彼女は、紙束をめくった。
「一日四百回、三か月。累計三万六千回です」
「そんなに転んだんですか、俺」
「転びました」
彼女は、真顔で言った。
「ちなみに、その間に皿を十九枚割っています」
「――数えないでください」
◇
三か月目の頭、俺は熱を出した。
三日、寝込んだ。
起きた時、枕元に、フィナがいた。
「――生きてますか」
「たぶん」
「三日、寝てました」
「――練習が」
「休んでください」
彼女は、俺の額の布を取り替えた。
「三日休んだ分の遅れは、私が計算しました。……立ち上がり時間に、影響はありません」
「本当ですか」
「嘘です」
「――嘘!?」
「〇・三秒、遅くなります」
彼女は、あっさり言った。
「ですが、休まないと死にます。死んだら、〇・三秒どころではありません」
◇
俺は、天井を見ていた。
「……フィナさん」
「はい」
「三か月、ありがとうございました」
「まだ終わってません」
「終わってないですけど」
俺は、天井を見たまま言った。
「三か月、毎日、来てくれましたよね」
彼女の手が、止まった。
「――業務です」
「業務じゃないでしょ」
「業務です」
「専属鑑定士の報酬、まだ払ってないですけど」
「――あ」
彼女は、そこで、初めて気づいた顔をした。
「そういえば、そうですね」
「気づいてなかったんですか!?」
「――忘れてました」
◇
三日後、俺は練習に戻った。
〇・三秒、遅くなっていた。
ガルド爺は、何も言わなかった。
ただ、その日から、爺さんは俺を突き飛ばすようになった。
それまでは、俺が自分で転んでいた。
今度は、爺さんが、木の棒で俺を叩き倒すようになった。
「――痛いんですけど」
「痛くしとる」
「なんでですか」
「自分で転ぶのと、殴られて転ぶのは、別だ」
爺さんは、棒を構えた。
「本番で、お前は、殴られて転ぶ」
◇
これが、効いた。
自分で転ぶ時、俺は「次に立つ」と決めて転んでいた。
殴られて転ぶ時は、そうじゃない。
視界が回って、地面が来て、息が詰まって、それから――「立たなきゃ」と思う。
その「それから」が、時間を食っていた。
「――三秒五です」
フィナが、記録した。
「戻りましたね」
「戻りましたが、遅くなりました」
「はい」
「ですが」
彼女は、ペンを止めた。
「――これが、実戦の数字です」
◇
残り、二週間。
俺は、一日六百回、殴られて転んだ。
三秒五が、三秒〇になった。
残り、一週間。
三秒〇が、二秒七になった。
残り、三日。
二秒七から、動かなくなった。
◇
前夜。
俺は、広場にいた。
三か月前、王子と決闘した場所。今は、誰もいない。
月が出ていた。
「――ロイさん」
フィナが、来た。
「まだやってるんですか」
「二秒七です」
「充分です」
「二秒って言われました」
「ガルドさんの目標であって、必達ではありません」
彼女は、隣に座った。
「――仕様書、第二巻ができました」
彼女は、紙束を差し出した。
一巻より、ずっと厚かった。
◇
「――何ページですか」
「八十三ページです」
「増えましたね」
「増えました」
彼女は、少しだけ、誇らしそうに言った。
「三十七分の三くらいです」
「まだ三ですか」
「まだ三です」
俺は、その紙束を、めくった。
俺の転び方。立ち方。呼吸。膝の角度。何回目で疲れが出るか。何回目で判断が鈍るか。
――全部、記録されていた。
「……フィナさん、これ」
「はい」
「――俺より、俺のこと詳しいですね」
「はい」
彼女は、あっさり頷いた。
「専属鑑定士ですので」




