第30話 白装束の使者
その朝、俺はいつも通り、マーサおばさんの食堂で皿を割った。
「三日連続で割らなかったから、そろそろだと思ってたよ」
おばさんは笑った。
「王子様に勝っても、皿は割るんだねえ」
「才能は変わってないので」
「一枚増えたんだろ」
「増えたっていうか、ほどけたっていうか……」
言いながら、俺は胸元の才牌に触れた。
【諦めない】。
あれから何度も試したが、この才能は、何もしてくれない。
力は出ない。速くもならない。剣は相変わらず飛ぶ。皿は割れる。
できるようになったことは、一つもない。
強いて言うなら――あれだけ殴られて、俺は一度も気を失わなかった。
フィナに言わせると、それが【諦めない】の中身らしい。気絶しない。心が折れない。倒れても、続けられる。
地味だ。地味すぎる。
でも、割った皿の破片を拾いながら「もう一回」と言うのが、前より、ほんの少しだけ楽になった気がした。
才能なんて、案外、そんなものかもしれない。
◇
食堂を出たところに、フィナが待っていた。
「おはようございます、ロイさん! 昨日の解析、まとまりました!」
彼女は分厚い紙束を掲げた。三日で、また増えていた。
「【諦めない】の性質について、仮説が三つあります。一つ、喰った才能は使えない。これは検証済みです。ロイさん、値切れませんでしたから」
「昨日、八百屋で試しましたけど、逆に高く買わされました」
「なんでですか」
「愛想がいいって言われて」
「愛想は才能じゃないです」
フィナは真顔で紙をめくった。
「二つ目。喰うたびに、文字が『太く』なっています。これ、私の【看破】ではっきり視えました。何かが、育ってます」
「育つ」
「三つ目」
彼女は、そこで少しだけ声を落とした。
「残り四文字。……ほどける条件は、たぶん『勝つこと』じゃありません」
「え?」
「だって、ロイさん、王子様に勝つ前も、何百回も『もう一回』って言ってましたよね。それでほどけなかった。……あの日だけ、ほどけた」
フィナは、俺を見た。
「あの日、いつもと違ったのは何ですか」
俺は、考えた。
考えて、思い当たった。
「……広場に、人がいたことですかね」
◇
答えを言いかけたところで、通りのざわめきが、変わった。
人が、割れていく。
決闘の朝と同じだった。ただし今度は、俺を避けるためじゃない。
道の向こうから、白いものが歩いてくる。
◇
白装束だった。
頭からつま先まで、継ぎ目のない白。顔は薄い布で覆われて、目も鼻も見えない。
背は高くも低くもない。男とも女ともつかない。年齢も読めない。
足音が、しなかった。
その白が、俺の三歩手前で止まった。
「――下町のロイ」
声も、性別がなかった。
「……はい」
「才牌一。銘、【諦めない】。三日前、王族アルディスの【値切り】を捕食」
白装束は、懐から一枚の名簿を取り出した。
紙ではなかった。薄く延ばした石の板のようなものだった。
俺の目でも、そこに文字がびっしり並んでいるのが見えた。
「確認いたします。この才牌は、あなたの生得のものですか」
「……たぶん」
「たぶん、で結構です」
白装束は、名簿の最後の行に、指を滑らせた。
空白の一行に。
「では、ご案内を」
◇
通りが、静まり返っていた。
フィナが、俺の袖を掴んだ。指が冷たかった。
「あの、失礼ですが」
彼女が、震える声で言った。
「どちらの、どなたでしょうか。身分証の提示を求めます。ロイさんは決闘の勝者であって、被告でも被疑者でもありません」
「見習い鑑定士フィナ・オルセン」
白装束は、彼女の名前を、当たり前のように呼んだ。
フィナの肩が、跳ねた。
「【看破】保有。塗り潰しを見抜いた者。……あなたも、後日、別途ご案内があります」
「――え」
「本日の用件は、こちらです」
白い手が、名簿を、俺の方へ向けた。
空白の一行が、光っていた。
◇
「百才会戦」
白装束は言った。
「百の才能持ちが集い、才能を賭けて競う会です。開催は、百年に一度」
「……百年」
「候補者の席は、百。九十九まで、すでに埋まっております」
白い指が、最後の一行を叩いた。
叩いた瞬間、そこに、文字が浮かんだ。
『百番 ロイ/【諦めない】』
「百才会戦、候補者百番目の席――」
白装束は、深く、頭を下げた。
「本日より、あなたのものです」
◇
通りの誰も、動かなかった。
フィナの手が、俺の袖を強く握った。
俺は、その名簿を見ていた。
九十九の名前が並んでいる。読めない字も、聞いたことのない名前もある。たぶん、全員が、俺なんかとは比べものにならない才能を持っている。
三十七の王子より、たぶん、ずっと。
……九十九人。
俺は、胸元の才牌に触れた。
黒く塗り潰された、四つの升目に。
――四回。
フィナはそう言った。あと四回、あの日と同じことをすれば、五文字が全部ほどける。
それなら。
九十九人は、多すぎるくらい、ちょうどいい。
「あの」
俺は、白装束に聞いた。
「これ、断れますか」
「断れます」
「断ったら、どうなりますか」
「あなたの才牌は、別の方法で回収されます」
「……回収」
「はい」
白装束は、淡々と言った。
「概念級の才牌を、野に置いておくわけには参りませんので」
◇
俺は、少し笑った。
なんだ。
結局、いつもと同じじゃないか。
選択肢がない。持ち物がない。勝ち目もない。誰も俺に賭けない。
――十五年、ずっとそうだった。
俺は、白装束の名簿に向かって、手を伸ばした。
空白ではなくなった、百番目の行に。
「わかりました」
俺は言った。
「――もう一回、やります」
◇
第1章「文字化けの一文字目」——了。
第2章「百番目の席」へ続く。




