第26話 勝者、下町のロイ
その言葉の意味を、俺は、しばらく理解できなかった。
勝者。下町の、ロイ。
誰のことだろう、と本気で考えた。それくらい、頭が働いていなかった。
広場は、静まり返っていた。
松明が、ぱちりと鳴った。
――そして。
◇
音が、爆発した。
悲鳴だったのか、歓声だったのか、今でもよくわからない。
王都中の人間が、いっせいに叫んだ。
屋根の上の連中が飛び跳ねて、瓦が落ちた。窓という窓が開いて、知らない誰かが知らない誰かと抱き合っていた。
「勝った! 勝ちやがった!」
「文字化けが! 文字化けが王子様に!」
「ロイ! ロイ! ロイ!」
柵が、押し倒された。
人が、舞台に雪崩れ込んできた。
◇
最初に辿り着いたのは、ピノだった。
十歳の足で、大人の間をすり抜けて、俺の腰に飛びついてきた。
「ロイ兄! ロイ兄! ロイ兄ぃ!」
言葉になっていなかった。
俺は、そいつの頭に手を置こうとして、腕が上がらなくて、諦めた。
「……ピノ。何回だった?」
「ろくじゅうに! ろくじゅうにかい!」
「そっか」
俺は言った。
「よく、数えたな」
ピノは、俺の腹に顔を押し付けて、わあわあ泣いた。
◇
次に来たのは、マーサおばさんだった。
俺を見るなり、平手が飛んでくると思った。実際、腕は上がった。
でも、その腕は、俺を抱きしめた。
骨が軋んで、俺は「ぐえ」と声を出した。
「馬鹿。……馬鹿。ほんとに馬鹿」
おばさんは、そう繰り返した。
「明日は、皿洗いはいいからね。……いいね。来なくていいからね」
「いや、行きますけど」
「来なくていいって言ってんだよ!」
怒られた。勝ったのに。
◇
ドズさんは、人垣の外で腕を組んで立っていた。
目が合うと、そっぽを向いた。
そっぽを向いた顔が、ぐしゃぐしゃだった。
「……ドズさん」
「言うな」
「額はやっぱ、やめた方がいいですかね」
「言うなっつってんだろ!」
◇
そして。
人波を掻き分けて、解析の束を胸に抱えたまま、フィナが走ってきた。
舞台の段で躓いて、盛大に転んだ。
束が散った。二週間ぶんの紙が、松明の風に舞った。
彼女はそれを拾いもせずに、四つん這いのまま俺の足元まで来て、顔を上げた。
目が、真っ赤だった。
「――ロイさん」
「はい」
「ロイさん」
「はい」
「…………ロイさん」
それ以上、何も言えないみたいだった。
俺は、しゃがもうとして、しゃがめなくて、そのまま前に倒れた。
フィナが受け止めようとして、二人でひっくり返った。
広場が、どっと笑った。
◇
「……勝ちましたね」
俺は、石畳に転がったまま言った。
「勝ちました」
フィナも、転がったまま答えた。
「金貨、五枚ですよ」
「五枚です」
「晩ご飯、おごってくれるって言いました」
「言いました」
「じゃあ、明日」
「はい」
「……いや、明後日にしません? 俺、明日は動けない気がします」
「明後日でも、明々後日でもいいです」
フィナは、腕で目を覆っていた。
覆った腕の下から、声が漏れていた。
「……よかった。生きてる。ほんとによかった」
◇
運び出される王子と、すれ違った。
担架の上で、彼は目を開けていた。
俺と目が合って、口が動いた。
声は聞こえなかった。
でも、たぶん、こう言った。
――もう一回。
俺は、頷いた。
いつでもどうぞ、と言おうとしたら、喉から変な音しか出なかった。
◇
その時。
胸が、熱くなった。
◇
最初は、心臓かと思った。
やっと限界が来たのかと。
違った。
首から下げていた、紐の先。
才牌が、熱を持っていた。
石が、じんわりと赤く光っている。
「――ロイさん?」
フィナが、身を起こした。
俺の胸元を見て、彼女の目が、見開かれた。
「才牌が……え、熱? 譲渡はまだ行われてないのに、なんで――」
審判の神官が、駆け寄ってきた。
「規定第二条! 勝者は、敗者の才牌より一枚を譲り受ける! ……殿下の帯より、一枚をお選びくだ――」
言葉が、途切れた。
神官の視線が、俺の胸元に落ちた。
広場が、また、静まっていく。
石が、光っている。
十五年間、真っ黒に潰れていた五文字が。
◇
その黒が。
――ほどけ始めた。




