第22話 灰色になる
昼を過ぎても、決闘は終わらなかった。
舞台の石畳は、割れて、焦げて、血で汚れていた。血の大半は俺のものだ。それは間違いない。
でも、王子の唇も、切れていた。
「四十七」
もう、数えているのは俺自身だった。
声が出ないから、頭の中で数えた。広場の声と、たまにずれた。ずれても直さなかった。
◇
王子は、【剣聖】を手放していた。
枯れたのだ。
二番目に燃費の悪い才能は、昼過ぎに灰色になった。
今、彼が使っているのは【俊足】と【剛力】だけだ。派手さのない、いちばん基本的な二枚。
それでも、俺には勝てない。
速くて、強い。それだけで、才能のない人間は何もできない。
俺は殴られて、転がって、立つ。
その繰り返しの中で、俺がやっていることは一つだった。
――待つ。
【俊足】と【剛力】の、切り替えを。
◇
「なぜ、退かなかった」
殴り倒された俺に、王子が言った。
立ち上がる俺を待ちながら、彼は言った。
「あの日だ。行列の前で。……なぜ、退かなかった」
「……荷が、あったので」
「余の行列だぞ」
「はい。でも、婆ちゃんの荷が、道にあったので」
俺は、膝に手をついて立った。
「拾わないと、婆ちゃん、明日、店に出せないんです。あの荷車一台が、全財産なんで」
「――知っている」
◇
王子の声が、変わった。
「余も、見ていた」
彼は言った。
「馬車の中から、見ていた。婆が荷を落とすのも、誰も拾わぬのも、貴様が拾い始めるのも。……全部、見えていた」
俺は、顔を上げた。
「余は、止めたかった」
王子は、自分の掌を見た。さっき、砂をつけたままの手を。
「行列を止めて、降りて、拾ってやりたかった。……余には、それができぬ」
「なんで、ですか」
「王族の行列は止まらぬ。それが決まり事だ」
彼は言った。
「余が降りれば、王家の格が落ちる。格が落ちれば、家臣が困る。困った家臣が、婆の店を潰す。……余が一度優しくすると、十人が飢える。そういう仕組みの中に、余はいる」
王子は、俺を見た。
「貴様は、それを、一言で越えた。『拾い終わったら、退きます』と」
彼の唇が、歪んだ。
「――余は、あの一言が、赦せなかった」
◇
俺は、何も言えなかった。
言えなかったので、代わりに、変なことを聞いた。
「殿下。……その決まり事、才牌に書いてありますか」
「なに?」
「才能って、決まり事が石に刻んであるものだって、ガルド爺さんに教わりました。じゃあ、『王族の行列は止まらぬ』って、どの石に書いてあるんですか」
王子が、動きを止めた。
「どこにも書いてないなら、それ、仕様じゃないですよね」
俺は言った。
「ただの、慣れじゃないですか」
◇
沈黙が、落ちた。
王子の帯が、じゃら、と鳴った。
九枚目が、灰色になった。
十枚目も。
「――黙れ」
【俊足】が来た。
視界から消えて、次の瞬間には目の前にいた。
でも、俺には見えた。
消える直前、王子の右足が――半歩、引かれるのが。
◇
俺は、右へ転がった。
肩から石畳に落ちて、痛みが弾けた。それでも、王子の拳は空を切った。
空を切った腕の内側へ、俺は掌を突き出した。
押す。
王子は、今度は転ばなかった。
半歩、よろけただけだ。
それで十分だった。
よろけた分、彼の【俊足】は無駄に距離を稼ぎ直さなければならない。稼ぎ直すには、魔力がいる。
じゃら。
十一枚目。
◇
「四十九」
俺は、立った。
もう、ほとんど見えていない。左目は完全に塞がって、右目も滲んでいる。
でも、灰色になった才牌は、数えられた。
音でわかる。
枯れた石は、鳴り方が違う。生きている牌は澄んだ音がして、枯れた牌は、鈍い。
じゃら、じゃら。
十二枚。十三枚。
「――やめろ」
王子が言った。
俺にではなかった。
自分の帯に向かって、言っていた。
「まだだ。まだ、余は」
じゃら。
十四枚目。
◇
広場は、静まり返っていた。
誰も、数えるのをやめていた。
王都中が、同じものを見ていた。
三十七の王子の帯から、光が、一つずつ、消えていくのを。
空の皿は、減らない。
いっぱいの皿だけが、減っていく。
俺は、腫れた顔で、笑ったと思う。
「殿下」
「……なんだ」
「あと、二十三枚です」




