第2話 退かない
行列の先触れの鐘が、大通りに鳴り響いていた。
「道を空けろォ! アルディス殿下のお通りである!」
人垣は綺麗に割れている。露店は畳まれ、荷馬車は脇道に逃げ込み、大通りは王家のためだけの一本道になった。
その一本道の、ど真ん中。
花売りの婆ちゃんの荷車が、車輪を溝に取られてひっくり返っていた。
白い花が、石畳一面にぶちまけられている。婆ちゃんは腰の曲がった体で、一本、また一本と花を拾っていた。周りの誰も手を貸さない。それどころか、人垣から声が飛ぶ。
「婆さん、花なんか捨てて逃げろ!」
「行列を止めたら首が飛ぶぞ!」
婆ちゃんは動かない。……違う。動けないんじゃない。拾うのをやめないんだ。あの白い花が、婆ちゃんの今日の飯で、明日の飯で、今月の家賃なんだろう。
あの婆ちゃんを、俺は知っている。東門のセリネ婆ちゃんだ。日の出前に郊外の花畑まで歩いて仕入れた花を、日暮れまで売って、足の悪い孫娘を養っている。売れ残りの花を、たまにマーサおばさんの食堂が買い取って卓に飾る。俺が配達のついでに何度か運んだこともある。あの荷車一台が、婆ちゃんの店で、倉庫で、全財産だ。
鐘の音が近づく。先導の騎士の馬が、もう目と鼻の先まで来ていた。
誰も出ない。
誰も、出ないなら。
「――婆ちゃん、俺そっち拾うから、婆ちゃんは車輪の側!」
気がついたら、俺は大通りの真ん中にいた。
膝をついて、花を拾う。両手で掬うように、でも花弁を潰さないように。ああくそ、こういう細かい作業も俺は下手なんだ。三本掴んで一本落とす。拾い直す。もう一回。
「小僧!? あんた、何を……!」
「婆ちゃんの花、踏まれたら売り物にならないだろ」
「じゃない! 行列が! 王家の行列が来てるんだよ!」
「うん、だから急ごう。……あっ、また落とした」
「あんたねえ!」
怒鳴りながら、婆ちゃんの手も動いていた。二人がかりで、花が荷車に戻っていく。
――そこで、世界の音が変わった。
馬の嘶き。蹄鉄が石畳を噛む音。そして、鐘の音が、止まった。
「貴様ァ! 何をしている!」
見上げると、白銀の鎧の騎士が、馬上から俺を見下ろしていた。人垣が凍りつくのがわかった。
「殿下の行列の進路である! 直ちに退け!」
「すみません! すぐ退きます!」
俺は答えて、花を拾い続けた。
騎士の顔が、見たこともない色になった。
「……貴様、今なんと言った」
「すぐ退きます、って言いました。この花を全部拾ったら、すぐ」
「今すぐ退けと言っている!」
「はい。だから、拾い終わったらすぐに」
嘘は言っていない。退けと言われたから、退く。ただ、花を踏み潰して退く理由は、どこにもない。両方やればいいだけの話だ。俺は手を動かした。婆ちゃんが「小僧、もういい、もういいから」と俺の袖を引く。よくない。あと二十本。
騎士が剣の柄に手をかけた、その時だった。
「――何の騒ぎだ」
声は、大きくなかった。
なのに、大通りの端から端まで、水が染みるみたいに通った。
黄金の馬車の扉が開いていた。
降りてきたのは、俺と同じ年頃の少年だった。金の髪。仕立ての良い白い衣装。歩くだけで人垣が頭を下げていく。腰には才牌――一枚じゃない。何枚もの才牌を束ねた黄金の牌帯が、じゃらりと音を立てた。
三十七枚。
アルディス第三王子、その人だった。
「殿下! 直ちに排除いたします! この下賤の者が――」
「いい」
王子は騎士を手で制して、石畳の上の俺を見た。
美しい顔だった。そして、その目は、美しいまま、ぞっとするほど冷たかった。人間を見る目じゃない。道端の石が、なぜか喋った。そういう目だった。
「顔を上げたまま、手を止めない平民など初めて見た。……おまえ、名は」
「ロイです。あと三本で終わるので、少々お待ちください」
人垣の誰かが、ひゅっと息を呑んだ。
「……面白い。待ってやろう」
王子は笑った。目は笑っていなかった。
「その代わり、才牌を見せろ。行列を止めるほどの胆力だ。さぞ立派な才能をお持ちなのだろう?」
あ、と思った。
これは、あれだ。皿を割る瞬間と同じ匂いがする。もう遅いってわかってるのに、手が止まらないやつ。
俺は最後の三本を荷車に載せ、婆ちゃんを人垣の方へそっと押してから、腰の才牌を外した。
隠しても仕方ない。どうせ、見ればわかる。
差し出された俺の才牌を、騎士がひったくり、王子に捧げる。
王子の完璧な眉が、ぴくりと動いた。
「――【■■■■■】?」
大通りに、その場の全員の心の声が聞こえた気がした。
文字化け、だ。




